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*第十一日目 五月二十二日(木)

 朝は五時十分起床。毎朝の事だが、朝方は雲が多く薄暗い。高度も少し高い田舎のせいか、肌寒いくらい。

 朝食までに大方の準備を整え、六時に食堂へ。焼魚・じゃこ&おろし、焼海苔、味噌汁、御飯は二・五杯。

 歯磨き・トイレ後、六時四十分、支払いを済ませ宿を出る。


 先ず、宿前の販売機でペットのお茶を一本仕入れ、缶コーヒーを飲んで出発。

 目の前の県道は大方上り。2キロほど歩き、「国道195号線」を横断。細い遍路道に入る。林道といった感じから、やがてハイキング・コースといった道。朝一でキツイが、距離も短く、間もなく「大根峠」。下りへと転じる。

『ちょっと休憩を…』と思っていたのだが、適当な場所も無く、下の集落に出る。

 ここまで来れば、お寺はもうすぐ。結局、宿を出てからノン・ストップ。

 お寺のある「新野(あらたの)」の町に入り、お寺着。街はずれにある、里山をひかえたお寺。

 昨晩同宿だったマウンテン・バイクのお兄ちゃんが、ちょうど出て行く。ここまで、宿を出てからジャスト一時間半。


《第二十二番札所》

白水山(はくすいざん) 平等寺(びょうどうじ)



   本尊 薬師如来(伝 弘法大師作)

   開基 弘法大師

   宗派 真言宗高野派


 それほど大きなお寺ではないが、朝のすがすがしさが漂う境内に入る。まだ人出は少ない。

 右手の納経所には、ネコの親子。

 その先、石段を登る左手には、「弘法大師」が井戸を掘ったと云う「白水の井戸」。ここに、やはり昨晩同宿だった、地図をもらった女性。


(この翌日知るところとなるのだが、北海道は旭川から来た、仮にNさんとしておこう)。


 少し前に着いたそうだ。「大きなザックのおじさん」は、国道に当たる手前で追い越し、この後再会する事はなかった。

 お参り後、ベンチに座ってNさんと話をしていると…そこへ、巡礼百回以上といわれる「錦のお札」をチラつかせた、三~四十代の男性二人が現れる。


(よく境内で、「納め札入れ」を(あさ)っている人を見かけるが、こういった貴重なお札を探しているのだそうだ)。


 まあ、有り難そうに頂戴はしたけれど…後で聞いた話だが、「職業遍路」というものもあるそうだ。それで生計を立てているのか? だとしたら、どこから収入を得ているのか? 詳しくは知らないが、とにかく「助さんと格さん」、取り巻きのニヤけた二人が吹聴して回っているだけ。当の本人らしき老人…「御老公様」は、車に乗せられている…といった感じ。

『ただ闇雲に回っているだけじゃない? それで何の御利益があるの?』

 単なる浪費としか思えない。ありがたみも無く、あまり良い気分にもなれなかった。

『こんな連中もいるんだな』

 それが率直な感想。


 Nさんを見送り、もうしばし。

 ゆっくりと缶コーヒー一本を飲み干してから、お寺を正面に出て街中へ。それほど大きな街ではなさそうだ。間もなくの所に「桑野川」。架かる橋は、新造の綺麗な物。

 朝の薄曇りが晴れて、陽が差して来た。

 広い県道を渡ると、路肩の無い道。街から遠ざかるに従い、センター・ラインも無くなるが、通行量はさほどでもないので助かる。

 水田地帯の中、緩い上りが続く。「月夜」で突き当たり。正面の山に掛かるようだが…道は左折が道なり。でも、正面カーブ・ミラーに「へんろマーク」。先には民家が見える。そこに続いているとしか思えないような小道に入る。民家の庭先から、人しか通れないほどの道。

 すぐ先に、「月夜御水庵」と「逆さ杉」。(ホコラ)もある。ここは番外霊場。お決まりの「空海水伝説」のある場所。


(特に、水資源の乏しかった四国では、水は貴重だったと言う)。


 掲げられた縁起の札によると…ここで手を洗おうと足を止めた「弘法大師―空海」は、山の岸を突つき、清流を湧き出させたと云う。


(こうした言い伝えから、「空海」は「ダウザー」でもあったのではないか…と言う人もいる。「ダウジング」とは、L型の棒や振子を使い、地下の水脈や鉱脈を探し当てる技「?」の事。未だ科学的に解明された訳ではないが、大昔から活用されていた技術「?」であり、ひいては、「空海」が留学先の唐で学んだであろう「風水学」にも通じるものだ)。


 その後、裏山で野宿したのだが、かかっていた三日月が山の向こうに入り、光が失せてしまう。そこで一心にお経を唱え、月を呼び戻し、一夜を過ごしたと云う。


(その時代、「蚊取り線香」などがあったのか?…などと心配されるむきもあるだろう。でも、今でも四国などに多数存在するとされる「拝み屋さん」などは、やはり修行で巡行したりするらしいが、「結界」を張れば虫一匹入って来ないそうだ)。


 その先をグッと登れば、左からグルッと回って来た先ほどの道。後は道なり登り道。

 すぐ上の方から、重機の音が響いて来る。このあたり、周りを小高い木々に囲まれた小さな峠道。道幅は広いが、ペアピン・カーブのつづら折れ。時折、ダンプが通る。峠の手前に砕石場。

 そこを過ぎれば、間もなく峠。下り側は、両側に草の生い茂る狭い道。幸い、ダンプはこちら側に下りて来ないし、通る車も数えられる程度。

 やがて、遠くに聞こえる国道の気配。この小さな峠を下り終えると、前方を横切る「国道55号」が見えてくる。

「福井川」に架かる橋を渡れば、国道の基礎を成している高いコンクリート壁に突き当たる。


(自然の地形を無視して、なるべく高低差が無くなるように作られた本線は、この側道のずっと上を、高架状に走っている。快適な国道を、車で走っていると気づかないだろう。でもこうして眺めると、多大な手間と資金が使われている事に気づかされる)。


 右に曲がって国道に上がる。対岸の、進行方向左側には歩道が続いている。車の切れ目を狙い、さっさとそちらに渡る。

 ここで突然、故郷の街の光景が、遠い遠い、昔の記憶のように思い出される。帰りたいとか、恋しいとか、ホームシックになっているわけではない。別世界に来てしまったようで、ずっとこんな生活を送っており、これからも続けていくような感覚が…こんな事をしている自分に満足。


 やがて、一発目のトンネル。

「福井トンネル」

 ここは照明で明るく、歩道もあるのでホッとする。


 そこを抜けた少し先、通っていた左の歩道際に木造のお遍路休憩小屋。時刻は十時を回ったところ。午前の休憩に良い時間。

 中に入って腰を降ろすと…「ん?」。フト足元を見れば、クシャクシャになった封筒が落ちている。他人の手紙を見るのは良くないが、何か大切な落し物かもしれない。手に取って中を見れば…『なんだコレ?』。書かれてあったのは、毒物・劇物違反に対する上告書の下書き。要するに、シンナー中毒か何かの息子に対する裁判の判決に、父親が不満だったようだ。でも、『何でこんな所に?』。

 そんな事をやっていると、マウンテン・バイクの若者が現れる。

「いいですか?」

 もちろんだ。大学生くらいだと思うのだが…もっと若いかもしれない。


(でも、こんな時期。学生や生徒なら、学校があるはずだ)。


 東京を出て一週間。きのう、「淡路島」経由で四国入りしたと言う。自転車の荷台にシュラフ、小ぶりなザックを背にしただけ。野宿しているそうだが、GジャンにGパン、こちら以上に「あるものだけ」といった感じ。自転車にしても、今流行りの「マウンテン・バイク―MTB」ではあるが…格好はMTBでも、とてもオフロード走行に耐えられないような安価な物も出回っている。そんな一台だ。

「お遍路さんと話をするのは初めて」なのだそうだが、『何かワケありなのかも』と思ってしまう。


(かつてこの年代の頃、幾人かの「自転車日本一周野朗」と付き合いがあった。旅先で知り合い、途中、一夜の宿を求めて、安アパートを訪れてくれる人間もいた。深刻な話題は、あえてでも避ける(たち)。人づてに聞いた話では、そういった連中の何人かは、特に家庭に問題を抱えていたり…高校を中退して旅に出ていた奴・年齢を上に偽っている奴もいた。みんな、あれからどうしているのだろう? 今ではすっかり、音信が途絶えて久しい)。


 そんな彼を見送り、『もう少し』と思い、ボ~ッとあたりを眺めていると…ほぼ向かいに見える、新しそうな橋のたもと。白い小さな「お遍路看板」がある事に気づく。

 休憩後、道を横断して行ってみると…「二十二番 平等寺 奥之院」とある。道路上に掲げられた大きな標識には、「弥谷(いや)観音」と書かれてある。

 このまままっすぐ次のお寺に向かったのでは早過ぎる。それに正確ではないが、ガイド・ブックの地図で推測するかぎり、ダム湖の対岸を通って、その先で再びこの国道に合流できそうだ。

「明月橋」を渡ってそちらへ。橋を渡ると突き当たり。そこを左。少し行けば左下、ダム湖の方へ降りて行く「へんろマーク」。

 でも、こんな所にわざわざ降りて行くお遍路さんも、そうはいないのだろう。だいたい歩道は右側、左側にある小さな「へんろマーク」では見落としてしまいそう。

 それに、一気に草木が繁茂する季節。だんだん道が薄くなり…やがて、草をかき分けた先に、石灯籠(どうろう)が二つ立ち並び、その奥に大きな石が見える。

『これが御神体?』

 そこからさらに左の方に入ってみると、湖に注ぎ込む小川。ここに橋があったようだが…流れの先に目をやると、ゴミがいっぱい浮いた湖面は間近。これ以上進んでも仕方ない。

 降りてきた道方面に向かって戻っていると、急斜面を流れ落ちるコンクリート製水路。その脇に設けられた階段を上がった先は、先ほどの道。

 道路の向こうを見れば、観音堂の載った小さな丘。道路手前側には、広い駐車場に、トイレと無人のプレハブ納経所。その近くに屋根付き休憩小屋。中では、草刈り作業をしているのであろう、おじさん・おばさんが数人、休んでいる。どうやらここが、目指す「二十二番 平等寺 奥之院 弥谷(いや)観音」。

 後で知った事だが、かつてここには「弥谷山(いやさん) 明宝院(みょうほういん)」というお寺があったらしい。縁起によれば…

 弘仁六年(815)、当地を訪れた「弘法大師」が、岩屋に御本尊の「如意輪観世音菩薩」を刻み、岩窟で十七日間の厄除護摩供を修せられ、満願の日に七不思議を(のこ)したとされる。


(七不思議とは、「不二地蔵」「竺地蔵」「四寸通し」「硯石」「ゆるぎ石」「日天月天の跡」「胎内くぐり」)。


 しかし明宝院は、昭和三十年代に焼失・廃寺となる。近年では、「福井ダム」の建設により、霊場遺跡の大半は水没してしまったようだ。


 時刻はちょうど十一時。とりあえず階段を登って、てっぺんのお堂へ。手を合わせ、正面階段を下って来ると…(ふもと)に、黄色の混じった派手な色(づか)いのヘビ。ここの神様か? 行く手を(さえぎ)っている。

『仕方ない』

 迂回して、下の道に戻る。ここからダム湖を左に巻いて、さらに先へ。「55号」に戻れるはずなのだが…湖を離れ、川に沿って進む。

『ハテ?』

 どんどん離れて行くような…『戻るべきか? 行くべきか?』。少々不安になり始めた頃、『ホッ!』。遍路札が下がっている。

 そうとなれば、足取りも軽やかになるが…道端に、たぶんイタチと思われる、つぶれて、半ばミイラ化した死体。昨日の国道沿いでは、手足の先以外、肉片と化したネコ。あるいは、剥製のように固まったタヌキ。特別この地に多いというわけではないだろう。ただいつもなら、それに気づいても、車でアッと言う間に通り過ぎてしまうだけだ。


(そういったものが、そのまま放置されているという事は、都会や「北海道」と違い、カラスの数が少ないのだろう。都市部はゴミの数が多いので、カラスには暮らしやすい環境なのだろうが、かつて「北海道」を旅した時、「ヒッチコック」監督の映画『鳥』を彷彿させる場面に出くわした事がある。とある島の公園に、ポツンと一人でいた時の事だ。あたりを見回せば、カラスの群れ…それも、ハンパな数ではない。そいつらが、こちらが右に移動すれば、こぞって右に。左に向かえば、やはり左。大群で着いて来る。カラスというのは、なかなかに頭の良い動物だそうで…以前やっていたテスト・ライダーの仕事。タヌキやスズメを跳ねるのはよくある事だが、カラスだけは皆無なのだ…はっきり言ってあの時は、少々身の危険を感じていた。バイクだったから良かったものの…二羽組みのカラスに襲われた・食料を食い荒らされた・バイクのシートを破かれた…等、「北海道」ではカラスの被害が結構あるようだ)。


 それにしても…「死」というものが遠ざけられた現代において、こういった場面でもなければ、それを実感として意識する機会も無い。歩き旅なればこそ。

 でも、「ふう~」。何と言っても、「現代っ子」と言われて育った世代。それに、元々こういったものは苦手な人間。


(だから、たとえどんなに優れた頭脳を持っていたとしても、医者にはなれないだろうし、食料危機に(おちい)れば、まっ先に飢え死にしてしまうだろう)。


 横目で一瞥(いちべつ)。通り過ぎる。形が残っているのも不気味だが、さっきまで生きて動いていたものが、骨と肉だけの(かたまり)になってしまうなんて…ましてやそれが、明確な意思を持っていた人間なら…少し上って下れば国道。合流して間もなくの所。左のみの歩道の脇に、花束が添えられてあった。死亡事故でもあったのだろうか?

「カサッ!」

 通り過ぎざま、花束がこちらに倒れこむ。

『ドキッ!』

 何というタイミング。ただただ合掌。連れて来なければいいのだが…と、歩を早める。


 この後、「星越トンネル」までは、おおむね上り。最後の急勾配は、追い越し車線のある幅広い道。でも、歩き遍路には無用な物。むしろ切り開かれた道端には、日除けになるような木々が無く…あ、暑い! ちょうど強い日が差していた。

 やがてトンネル。その入口すぐ手前。歩道脇にコンクリート壁。日陰にもなっているし、腰掛けるにはちょうど良い高さ。時刻は、お昼少し前。上りも上り切ったし、トンネル通過前に一休みしていると…道路向かいの畑で作業していたおばあちゃん。こちら側の、このすぐ近くに止めてあった車に、孫を連れて戻って来る。

「大学生?」

『そんなわけないでしょ』

 四十過ぎのハゲおやじをつかまえて(頭には白手拭いを巻いていたが)、嬉しくなるような事を言って下さる。

「私は地元なのに、(お遍路に)行った事がなくって…」

 まあ、そんなものだろう。

 トンネル内は左側を歩く。マグライトを後ろに向けて、テール・ライト代わりで通行。

 トンネルを出れば、国道右側に峠のメシ屋。手前で休んだが、ここで食べなくては次のアテは無い。時刻もちょうど良い時間。

 本日の「日替り」は、「ちらし&阿波うどん」。空調の効いた店内で、しばしの清涼感。天気の良い本日。気温もだいぶ上がってきた。ここに三十分ほど。おとといからの顔見知り、歩き遍路の御夫婦と入れ違いで店を出る。


『考える時間は十分ある。でも、同じ事ばかり考えていたのでは進歩が無い』

 結局、同じ事ばかりを考えては、堂々巡り。

『自分には、これが限界。これ以上に発展しないのだろうか?』

 過去に起こった出来事を振り返っては、クヨクヨしてみたり…科学や哲学に関して、一人で頭を捻ってみたって、行き着く所はいつも同じ。

『自分にとって・今までの自分の人生で、足りないものは「良い出会い」だ』

 常々、そう思っていた。何がしかで…スポーツでも、芸術でも、実業でも、成功したと言われる人には、必ず一つは「良い出会い」のエピソードがあるものだ。

「良きライバル」「良き恩師」「良き伴侶」。

 たとえば、誰でもが知っている「本田技研」の創始者「本田宗一郎」氏。あまり語られる事はないが、氏には「名番頭」と呼ばれる人がいた。

 でなければ、あの程度のメーカーがごろごろしていた時代、一歩抜きん出る事などできなかっただろう。実際、人を()き付ける「カリスマ性」はあったのかもしれないが、「エジソン」のように何がしかの発明をしたわけではないのだ。

 スポーツにしても、しかり。「群雄割拠」と言えば聞こえはよいが、「ドングリの背くらべ」では印象が薄い。それよりも、ズバ抜けた才能が二つあれば良い。二人の「天才」が競い合う…そんな展開の方が面白いものだ。

 野球で言えば「ON」時代、F1なら「セナ・プロ」時代、二輪ロードレースなら「キング・ケニー対ヤング・スペンサー」、米モトクロスなら「リック・ジョンソンVSジェフ・ワード」。

 きっと才能がありながら、「良い出会い」に恵まれなかったばかりに、埋もれたまま消えていった人も大勢いるのだろう…というのが、いつもの結論だ。

『もし「良い出会い」さえあれば、一気に才能を開花させられる?』

 だいたい、自分に「才能」と呼べるほどのものがあるのか? たとえ「良い出会い」があったとしても、それにふさわしい人間でなければ、「ただの通りすがり」で終わってしまう事だろう。


「フア~」

 ここで、大アクビ一発。道は単調、景色も…はっきり言って国道沿い、似たような道だし、代わり映えしなくて退屈してきた。記憶も曖昧(あいまい)。特に昼食後は、アクビ連発。眠気に襲われ、ボ~ッとして歩く。

 それに国道とはいえ、歩道のある所ばかりではない。回り切るまでに時間のかかる半径(アール)の大きいカーブなど、気が気ではない。前後の車の気配に気を配り、景色を楽しむ余裕も少ない。

 退屈しのぎに、『となりのトトロ』のテーマ・ソング「さんぽ」を口ずさみながら歩けば、やがて「久望トンネル」。時刻は一時を回ったところだ。ここも左側通行。

 出口手前には、腹ばいになって居座るお犬様。すっかり行く手をふさいでいる。たぶん、トンネルを抜ける風で涼んでいるのだろう。疲れたような顔。こちらが迫っても、どいてくれそうな気配すら無い。

『仕方ない』

 後方確認し、車道に降りて「お犬様」迂回。鼻先をかすめても無反応。

 そういえば、ここに入る手前、本日休業の食堂前にいた母子の犬。親子共々、ダルそうな表情をしていた。気候が良いから・良くなったから、気の抜けた顔をした犬が多い。


 そして・そして…本日最後のトンネル、「一ノ坂」のトンネルを抜ける。

 その先・左側に、屋根付きの休憩小屋。中には石のテーブルとイス。ここで小休止。時刻は二時代。お寺までは、あと6キロほどだ。

 その後は、正面に見える山を見て『あの山登るのかな〜』などと思っていたが、谷間を回り回って…やがて歩道が出てくれば、目指す「日和佐(ひわさ)」の街はずれ。家々が増えてきて、パチンコ屋・コンビニ…そのうち、歩いていた国道沿い右側に…


《第二十三番札所》


医王山(いおうざん) 薬王寺(やくおうじ)



   本尊 薬師如来(伝 弘法大師作)

   開基 行基菩薩

   宗派 真言宗高野派


 厄除けのお寺として有名。

 御本尊は、世に「後向薬師」といい、裏手から拝する事ができる。

 ここは、それほど高くはないが、小高い山の中腹に建つ。敷地の一角に、木陰にベンチの置かれた広場。そこからは「日和佐」の街とお城が一望できる。

 JRの駅もある門前&城下町。結構大きな街だ。おみやげもの屋や宿も多い。お寺到着はだいたい三時頃。まだ早い時間だが、本日はこの街に宿を取ってある。この先しばらく、宿が途切れてしまうからだ。

 しばし景色を眺めていると…団体のおばちゃん数名。声を掛けられ、最後に「食べかけだけど」と、のど飴を頂く。

 その後、右上に立つ塔を回って下りて来る。

 そのままお寺を出て、正面の道を進む。

「日和佐」の街並を見ながら、突き当たりを右。いったん左に()れて、港に行ってみる。木々の匂いから、潮風の香りへ。

 小さな湾になった港の対岸には、お城がある。それほど高くはないが山城だ。結構お城好きなので、行ってみたい気もあったのだが…右の方からグルッと、かなりの距離を歩かなくては渡れない。足も疲れていたので止めておく。

 時間はそろそろ四時。よい時刻だ。本日の宿は、「JR日和佐駅」前にあるビジネス・ホテル。

 駅前に向かい、まずは銀行でお金を下ろす。その後、スーパーで買物。

 今夜のメニューは、「にぎり寿司」と「コロッケ」に「サラダ」。それと、明日の朝食用「おにぎり」。

 買物袋を提げて、駅前ロータリー近くの宿にチェック・イン。

 部屋は205号だが、実質四階。一階は貸店舗。二階は、ここのオーナーの自宅になっている模様。その上、2フロアがホテルになっている。

 部屋に入ると、ナゼかツイン。広くて畳間もある。


(畳の部分は、補助ベッドも兼ねているのだろう)。


 床はフローリング。西と南に窓がある部屋。網戸は無いが、『この高さなら蚊は上がって来ない?』と、窓はずっと開放。ナゼかシャワー・カーテンが無いが、ユニット・バスの造りは綺麗。

「ふう~」

 部屋に入って一息。普通のビジネスと違う雰囲気なのは、ポスターで見たようにトライアスロンの大会があったり、海水浴客やお遍路さんだってやって来るからだろう。


(このような土地柄、むしろ、そちらの数の方が多いかもしれない)。


 それに温暖な土地の、イイ感じの空気が漂っている。

 今、夜の七時くらい。下に見える駅のホームに電車が着いた。降りる人も結構いるが、二両編成のローカル線が良い雰囲気。

 その先に見えるお寺の塔は、ライト・アップされている。

 今晩はビジネスなので、プライベートが完璧に守られており、部屋での食事の後、少しテレビを見て…「NHKが1チャンネル」というのは、関東でのみ通じる常識。また、各地で地元の放送を見て思う事は…我が故郷の地方テレビ放送局は、かなりの低レベル。


(一説によると、大手スポンサーがらみの「縁故採用」が、質の低下・レベルアップを妨げている…と噂されている)。


 TVに限らず文化でも何でも、中途半端に「東京」に近いからいけないのだろう。没個性・個性喪失・独自性など皆無だと、常々思っていた。

『まあいいか』

 明日はたくさん歩きたいので、今日のところはこのへんで。


本日の歩行 32・50キロ

      42218歩

累   計 349・59キロ

      454082歩


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