*第九日目 五月二十日(火)
前日たっぷりと汗を吸い、夜の間に乾燥して縮んでいるのだろうから、靴にだって朝のウォーム・アップは必要だ。しばらく履かなかったトレッキング・シューズ。久しぶりの山歩きでの歩き始め、いまいちしっくりこないのは、そんなところなのだろう。
朝は六時起床。今朝も朝方は曇っている。
ビジネス・ホテルだと、朝はついついユックリ。テーピングの前に、持参のスイス・アーミーナイフのハサミで爪を切り…
(ハサミで爪を切るというのは、なかなか面倒な作業だ。小型の物なので、なおさらだ。この旅の期間を通して、きちんと足の爪を切り揃えられた事は一度も無かった。手の爪に関しては、ついつい面倒になり、特に利き腕の右手など、伸ばし放題となる。今後、「歩き遍路」の旅に出られる方があるなら、小型でも、ちゃんとした爪切りを持参する事をお薦めする)
昨日買い置きの、おにぎり三ケとゆで卵を食べ…七時半頃出発。
昨日チェック・インした時、「朝は早いですか?」と訊かれて、ついお遍路癖…「そんなに早くないです」と答えたが、通常の出張で七時なら十分早い。
フロントに人がいない時は、返却ボックスにキーを入れてくれと言われてあった。誰もいないと思ってそこに鍵を入れると…昨日応対に出てくれた女性が出て来て、「お気を付けて」と見送ってくれる。同年代のその女性は、おそらくここの若社長夫人。たぶん、裏の自宅に住んでいるのだ。
宿を出て、目の前の「国道192号」を左。東を向いて、「徳島市」方面へ。徳島市内までは、この道を歩き続ければよい。
時刻は朝の通勤時間帯。国道とあって行き交う車は多いが、ずっと歩道が寄り添っているので、余計な気を遣う必要は無い。
でも、三十分も歩いた頃…『マ、マズイ!』。ホテルで二度も出したのに、「大ちゃん」第三弾がそこまで来ている。しかし、これも御仏の御加護か? ちょうど良い所にコイン・スナック。トイレ・タイムのついでに、最初の一息を入れる。
その頃から雲が切れ、日が差し始める。正面から照り付ける初夏の太陽。
『あ、あつい!』
(暑くなり始めは、そんな風に感じるものだ。実際の気温は、真夏の“それ”ほどではないだろう。事実、秋口に「涼しい」と感じる温度と変わらないそうだ)。
今日は最初からTシャツのみ。それでも背中はすでに汗ビショ。試しに、昨日の山道下り同様、ザックのストラップをゆるめてみると…背中に隙間ができて通りは良いし、ストラップが肩に当たる位置も変わるので、変化があって良い。平地での歩行なら、重心のズレもまったく支障は無い。
九時半頃、「石井町」に到達。
まだ開店前の、大き目のスーパー敷地内で休憩。建物沿いに置かれた自販機横に、日陰のベンチあり。庇の下に入れば爽やかだ。
そこからは、信号のタイミングで左に行ったり右に戻ったり、歩き分ける。道路というものは、特にこういった幅の広い道は、たぶん降雨時の排水のためなのだろう、中央部から両脇に向かって傾斜がつけられている。市街地の幅広い歩道など、車道との間に排水設備がある造りなら話は別だが…特にこういった郊外では、車道とは縁石だけで区切られ、歩道は道路の一部をなしている。通常の使用ではほとんど気づかないだろうが、道路の断面は、よくよく見ればかなりのカマボコ状なのだ。その事に気が付いたのは、ずっと以前、学生の時、「東京」のはずれに住んでいた頃だ。
けっこう寒い時期だった。何かの用事があって、電車で実家に行った帰り道。映画でも観ようと、都内は「池袋」で途中下車。
映画が終わり、牛丼で腹を満たした時は、すでに午後八時。
そして…特別理由があった訳じゃない。
『歩いて帰ろう』
突然そう思い立ち、歩き始めたのだ。
(「歩いて帰ろう」の楽曲のある「斉藤和義」氏は、同郷の出らしい)。
あの頃は、「東京」の生活圏の西のはずれ、「秋川市」(現「あきる野市」)に住んでいた。
距離にしておよそ40キロ前後。『朝までには着くだろう』くらいの、プチ・チャレンジ。
でも、決して無謀なものではない。山の中というわけではないし、剣道・水泳・サイクリングにレーシングカート、子供の頃からずっとスポーツをやってきた。体力には、それなりの自信がある。
それに、高校を卒業し、十八で、浪人として都会に出た当時は、見るもの何でも新鮮で、予備校をサボッては、あちこち歩き回っていたものだ。
ウォーキング・シューズなんて物は、まだ無い時代。あの頃は、半年で靴底に穴が開いた。
『自分が何者であるのか知りたくて…』
そんな大上段に構えるつもりはないが、自分を痛めつけ、自分の限界に挑む。高校生の頃の趣味「サイクリング」だってそうだ。丸一日走り続けて300キロ超…そんな事もやった。
今回の件だって、そういった一面があるのだろう。お遍路に関してよく使われる言葉「自分探しの旅」。
しかしあいにく、この四十年間、かなりの事はやってきた。「自分について」は、すでによく知っているつもりだ。だが確かに、最近の自分は「道に迷っている」と言うより、「先がまったく見えていない」。「暗中模索」どころか、模索する「なにか」すら持っていない。案外そんなものを求めて、この旅に出たのかもしれない…と、ずいぶんと前置きが長くなったが、延々と歩道を歩き続けて気が付いた。
わずかではあるが、雨水の排水のためだろう、道路の外側に向かって傾斜が付いている。疲れてくると、そのわずかな傾斜が、とても気になるのだ。外側の足にばかり、余計な負担が荷かる。
それにあの時は、山歩きをするわけでもないのに、格好をつけて・粋がって、ごついキャラバン・シューズを履いていた。用も無いのに、でかいオフロード車に乗るようなものだが…男子なら、一度はそういったものに憧れるものだ。
迷彩パンツにワーク・ブーツ、黒いTシャツの上にベストのダウン・ジャケット。無理してそんなカッコをしているオニーチャンもいるが、Tシャツからのぞく腕が白くて細くてアンバランス…だったりして。『イキがっていても、可愛いものだ』と思う年になった自分に気づき、そして若かりし頃の自分を思い出し、少々テレ臭くもなったりする今日この頃。
とにかく、重いし、擦れるし、タウン・ユースではまったく良いところが無い。そこで、時に反対側に渡り、足に荷かる負担を逆転させてみたり…側溝のフタがある所では、その上を歩く。
(一番外側の側溝のフタは、四角いコンクリート製。きれいに並んでいれば、その上はほぼ平らなのだ)。
足を引きずるようにして歩き続け、夜が白み始める頃、最寄りの街…基地の街としても知られる「福生」に着いた。
(この時知った事がもう一つ。自転車…特に無灯火は、パトロール中の警官に職務質問を受ける確率が高い。半夜勤のアルバイトをしていた時も、何度か経験がある。しかし、歩いているぶんにはフリー・パスだった)。
そこを抜け、最後に「多摩川」を渡る。そして、川岸近くに砕石場があるため埃っぽい坂を登れば、間もなく我がアパートメント。
その坂を登り始める頃、背後から陽が差してきた。いつもはバイクで、何気なく通り過ぎていた道。その坂のてっぺんに辿り着くと、消えかかった文字で「見返り坂」と書かれた木製看板。そんな物がある事に、その時初めて気が付いた。そこで後ろを振り返ると…冷気に包まれた朝日の中、眼下に続く清々とした「多摩川」の流れ。すがすがしい達成感。
『良い眺めだった』
歩いていると、いろんな事を考える・思い出す。あの頃は、何も持っていなかったけど、「若さ」があった。
初代ウォークマンを耳に掛け、電車に乗り、歩き回っていた最初の世代。その頃のお気に入りの一枚に、「AOR」の旗手と言われた「ボズ・スキャッグス」のアルバムがある。
(「AOR」とは「アダルト・オリエンテッド・ロック」の略。本来は「アルバム・オリエンテッド・ロック」という言葉だったらしいが、「大人向けのロック」という日本製?の用語)。
タイトルは「ミドル・マン」…つまり「中年」。今では、すっかりそんな年だ。
(かつて「本能寺の変」で、最期に「織田信長」が唄ったとされる「人間五十年。下天のうちにくらぶれば、夢・幻のごとくなり」。しかし、長寿・高齢化が進んだ現代においては、「四十」からが「中年」とされるそうだ)。
やがて「石井」と「国府」の町境。
「国府」の街に入れば、コンビニからハンバーガー屋のある駅近くまでは、先日歩いた見知った区間。
ここの街並、今日出て来た「鴨島」ほどではないが、隣りの「石井」よりは大きい感じ。ただし駅付近、歩道も無く、路肩も狭い所があり歩き難い。
それにこういう所は、どこへ行っても大した違いは無い? お馴染みのコンビニにファミレス。四国にしかないものって…「讃岐うどん」や「阿波うどん」を除けば、大差ない?
(最近関東では、ちょっとした「さぬきうどん」ブーム。それにコンビニは、弁当などの「生もの」の製造や配送の都合があるのだろう、都道府県ごとに事業展開しているようで、県ごとに勢力分布がずい分と違うもの。隣県に入ると様相が一変し、向こうにはあったメーカーが、こちらには一軒も無かったりするものだ。ここ四国でのブランドは、中部地方に多い「サークル○」と、「横浜生まれの○○」が強い。たとえ関東でポピュラーではないからといって、質が落ちるなどといった事はない。こちらでは、これがメインなのだ。ただ同じ系列でも、特にお弁当など、多少種類や内容が違っている事はある。「ご当地弁当」みたいな物や、北海道で食べた某メーカーのおにぎりは、明らかに海苔の厚さが違っていたものだ)。
テクテクと歩き続けると…いつの間にか道幅が広くなっており…「上鮎喰」の橋を渡った頃から、街並も密集して大きくなってくる。
橋を過ぎた右側に…こちらは左側だ…お遍路らしき、大きなザックを担いだ男性の姿。
(いったん追い越すが、この後休憩中に先に行かれる)。
「あれ?」
ちょうどそこで、ポツリと来たので気が付いた。見上げれば、先ほどまでの青空はどこへやら。一面、灰色の雲に覆われている。
「ふう~!」
それに、前回の休憩からすでに一時間以上。どこか良い場所があったら休もうと、自販機で飲物を調達しておく。
遠くに見える木々に目を付け、右へ渡ると…道沿いに警察・学校と続き、その先に「蔵本公園」という大きな公園。トイレに立ち寄ってから、はずれのベンチでザックを降ろす。雨は相変わらずポツリ・ポツリ。乾パンをかじりながらの缶コーヒー。「徳島市」中心部まで、4キロほど手前。時刻は十一時前。いつ本降りになってもいいように、ザックのサイド・ポケットに傘を突っ込んで出発。
「蔵本」から先は、「左古」の「八番町」から「一番町」へと続く。
遍路コースは「一番町」から右に入るのだが、そのまま直進。「徳島駅」を目指す。
街並は…ここも「高松」同様港があるし、近くには空港もある。我が街よりは大きそうだ。
標識に従い駅正面へ。大きなホテルが隣接されており、ターミナル周辺には歩行者用横断橋を兼ねた連絡路が張り巡らされている。
その一角。デパート二階脇の屋外ベンチ。そこに腰掛け、地図とガイド・ブックを広げてしばし思案。時刻は正午。この時点では、強い日差しが射していたのに…。
「国道438号線」に向かって駅前の通りをまっすぐ進んでいると、突然バラバラッと来た。
ちょうどすぐ先は、軒を連ねる商店の軒先が、アーケードのように歩道に張り出している。あわてて駆け込むが、すぐに小降りとなって、間もなく止む。
濡れた歩道を足早に歩けば、正面突き当たりは「眉山」下。ロープウェイ乗り場のある「あわおどり会館」の背後に聳えている。ロープウェイがあるくらいだから、それなりの高度。
登ってみたい気もするが…「せっかくなのに、もったいない」と言う人もあろう。でも、車や電車、バスで旅している人とは違うのだ。コースの一部にできるなら話は別だが、わずかな「無駄足」に気乗りがしない時もある。
(実際、十七番から、徳島市内をカットして次のお寺に向かうルートもある。ここまで来るだけでも、かなりの大回りをしているのだ)。
それに、「乗り物に乗らない旅」と決めてあるので、ロープウェイを使う気にもなれない。『ここで一泊すれば別だが』と、「後ろ髪引かれる」思いも強かったが…こういった時の決めゼリフ、『またの機会に』で自分自身を納得させる。
とにかく、先ずは腹ごしらえだ。昼はとっくに過ぎている。
「あわおどり会館」左横の「徳島 天神社」に参ってから、そのすぐ下、「昼定食750円」の看板が出ているお寿司屋さんに入る。ブツブツ独り言を言うおじさんが、一人で巻いたり握ったり。「赤だし味噌汁」付き。量的には少々満ち足りなかったが、オフィス街(?)では仕方ない。
そこを出て食休みがてら、ベンチに座ってこの後の予定を立てる。このあたり、バスのターミナルにもなっており、広い空間が広がっているのだが…また雨。ガイド・ブックをたたんで、ひとまず先を目指す事にする。
せっかくの「徳島」市内だが、「高松」市内同様、雨に祟られ印象が薄い。
よく旅先などで「あそこが良いから行ってみろ」などと人に薦められて行ってみると…あいにくの雨…だったりすると最悪だ。だからきっと、その逆もあるのだろう…などと思いながら、「徳島」の街並を南に向かっていたのだが、雨足は強まるばかり。
午前中の日差しからは想像もできなかったが、昨日の天気予報通りの展開。ついには、雷を伴った土砂降りとなる。激しい雨に、ポンチョとブーツ・カバーを着用しようと商店の軒先に入る。夕立のような、一時的なものである事を願うばかりだ。
ここでついでに、次のお寺近くの宿に電話してみるが…「相部屋になるかもしれない」と言われ、「他もあたってみます」とTELを切る。そんなに「人なつっこい」性格ではない。仕事の出張などでも、夜くらい、いらぬ気苦労などせず独りユックリしたい方なのだ。
『仕方ない』
ここが取れていれば、もう少し市内見物をしてもよかったのだが…まだ午後の一時半だが、宿を決めるとなると、もう一時半。そこがダメとなると、もう一つ先のお寺の宿坊だ。この雨に、『雨・風がしのげればそれでいい』といった気分。電話してみると、今晩の予約が取れた。
『一度くらい宿坊もいいだろう』
ただし、「五時までに入って下さい」との事。急にあわただしくなった。そこまで行くとなると、かなりある。14キロほどか。とにかく、グズグズしてはいられない。土砂降りの雨の中、ピッチを上げて歩き出す。
雨だし、あわてていたし、傘とポンチョのフードで視野は狭いし…このあたりの区間、ところどころ断片的な記憶しか残っていない。もっとも街中というものは、目に映る情報量が多過ぎるのだろう、特別気を引くものでもなければ、大体がそんなものだ。
雨足が弱まってきた頃、右に行く「国道438号」から逸れ、「県道136号」を直進。
ここは、路肩も無いような狭い道。しかし、まだ市街地を抜けていないので交通量も多い。雨降り・傘差しでは難儀な道。
でも、『急がなきゃ』。サッサと行かないと、『間に合わない』。そんな思いが、身体の蒸れ・足の濡れ・歩きづらい道も、なんのその。スタ・スタ・スタと歩き続ける。
「八万町」の「法華大橋」で「園瀬川」を渡り、「JR牟岐線」の線路を越え、「又新堤」のT字路。左から道が突き当たっている左手前に交番、その向こう角にはそば屋。その店前に、自販機が並んでいる。
それらを覆う赤いビニール・テントの軒下で小休止。雨の方は、先ほどまでの土砂降りと比べれば、ずいぶんと小降りになってきた。予備のペット・ボトルを買ってそこを出ると、ほどなく「地蔵橋駅」付近。距離はマイナス4キロ。
(つまり、宿に予約をした場所から4キロ歩いた…という意味)。
良いペースだ。予定のコースで「国道55号」に合流する頃には、雨はポツポツ飛ばされて来る程度。
片側二車線の55号。交通量は多いが、広い歩道があるので関係ない。合流するままに、右側を歩いていたのだが…
『?』
幅の広い「勝浦川」を過ぎた先。前方の道端で、キックを繰り返すライダーの姿。
近づくにつれ、状況が見えてきた。ビンテージ・スタイルの小柄なジェット・ヘル。黄色いレンズのライディング用メガネを歩道に置いて、キックを繰り返している。それに、『女の子だ』。急いでいたが、見ぬフリをして通り過ぎるのも気が退ける。
「どうしたの?」
色が白くてポッチャリした顔。ヘルメットをかぶってはいたが、十代後半から二十代前半といった感じ。滝の汗を流している。
「エンジンかかんないんだ」
トコトン手の入った単気筒のバイク。アイドリングが下がってきて、止まってしまったそうだ。
土砂降りの雨の後。プラグ・キャップを外して見てみるが、大丈夫そうだ。
「これいくつ? ヨンヒャク?」
「ヨンヒャクだけど、560まで上げてあって…」
『なるほど』
単気筒のキック・スタートには、ちょっとしたコツが必要だ。無闇やたらとキックを繰り返せばいいわけではない。それに、排気量が大きければそれなりに力も必要だし、一気に踏み抜かないと、「ケッチン」と言って、キック・ペダルの跳ね返りをくらい、最悪カカト骨折などといった事もある。
ポンチョの裾をまくり上げ、代わってもらう。先ずはスイッチ・オフでスロットル全開、デコンプ(エンジンの圧縮を抜く機構)を効かせて空打ち数回。溜まっているであろう生ガスを抜く。上死点がつかみづらいが、足先の感触でてっぺんを見つける。エンジンの中で上下運動するピストン。頂上を少し過ぎたあたりから下死点までは、荷重が軽くなる。ここでキックするのが定石なのだ。キック・ペダルを踏み下ろす。
「スポポン!」
でも、気配無し。本当は、全重量をスタンドに預け、全体重を荷けてキックを踏み下ろしたいのだが…オシャレなクローム・メッキのサイド・スタンドは、見るからに華奢で貧弱。アフター・マーケット製だ。
履いている靴のソールも柔らかく、こういった事には向いていない。
それに、特に手の入ったエンジンは、キャブのセッティングも変更されているだろうから、掛けるコツやクセもある。
再び持ち主に戻って…「ん?」。キックのたびに、少しヘッド・ライトが明るくなる事に気づく。
「ライトのオンオフ・スイッチないんだ?」
「無いです」
北米輸出モデルという訳ではないだろうが…アメリカでは、バイクは法令で常時ライト・オンが義務付けられているため、そもそもライトのオンオフ・スイッチがなかったりする。
「ライト消せば、少し違うんだけど…」
電力を、点火のために集中させたいのだが…と、そのうち突然、ボボンと掛かる。
「ありがとうございました」
「いえいえ、ぜんぜんお役に立てなくて」
「歩いて旅してるんですか?」
「うん」
「気をつけて」
「こっちは歩きだから大丈夫。そっちこそ気をつけて」
そこでお別れ。こちらと彼女は反対向き。再び歩き出す。道草を食ってしまったが、まあ仕方ない。それに、そんなに悪い気はしない。『そういえば…』と、歩き出してからフト思った。『血液型、聞いとけばよかった』。今朝のニュース番組。最後の星座占いで、本日「金星五つ満点」の「やぎ座」の人間は、今日、AB型の女性と出会うはずだったから…。
とにかく、雨も上がったし、気分も良いが、『時間が…』。一段とペースを上げる。
雨は止んでいるが、空はまだ厚い雲に覆われている。日中だというのに、どんよりと薄暗い。
途中、「四国のみち」の標識。でも、『ここは違う』。そのうち「へんろマーク」で右に入る。古い街並へ。でもこのあたり、アセッていたせいか印象が薄い。最後に右折で街を出る。
次のお寺は、もう間もなく。先に見える小高い山々のどこかにあるはずだ。両側を、山間の田んぼに挟まれた所。民家の前には、大きな、毛の長い、白クマみたいな犬。ムッツリと、こちらを見ている。
(大きな犬の方が概して、その体格から来る自信なのか、黙っている事が多い。もちろん犬種によっては例外もある。たとえば「アフガン・ハウンド」。かつての友人が「バカなアフガン」と呼んでいたのだが…学生時代、彼の行きつけの食堂で飼っていたアフガン。普通の人では、大人でも持て余すような体格の犬。彼は、そいつの散歩のバイトをやっていた。報酬は「一食タダ」。でも彼曰く、「まったく、やんなっちまうよ。横断歩道のドまん中でウンコしちまいやがるんだから!」。その巨漢では、押しても引いても無駄だろう。それに、どいつもこいつも狂ったように吠え立てる。地元のジョギング・コース上にも一匹いるのだが、巨体をふるわせ騒ぎ立てる姿には、恐怖すら覚える。「まったく、やんなっちまうよ」。持っている持論に、こんなものがある。「ネコは個性的か、イヌは頭が良いか。それが大切だ」。それからすると、アフガンは完全に失格なのだ)。
田んぼに接した左の道路脇で、休憩を取るお遍路のおじさん。挨拶を交わしてそこを過ぎると、登りが始まる。両側から迫る山々によって、景色が絞り込まれて行く。最初の左カーブの右外に、古い山門が建っている。
お寺の山門なのか? 道路からは外れており、すぐ手前には民家と小屋。
『まあいいさ。入ってみよう』
舗装路を無視して行ってみる。くぐってみれば、山際を右上に登って行く遍路道。グルッと登り、最後に石段を上がれば、お寺の下。時刻は三時を回ったところだ。
《第十八番札所》
「母養山 恩山寺」
本尊 薬師如来(伝 行基菩薩作)
開基 行基菩薩
宗派 真言宗高野派
「行基菩薩」の開創になる、「聖武天皇」の勅願寺。
「弘法大師」が修行逗留中、母「玉寄御前」が訪ねて来たので、十七日間におよぶ女人解禁の秘法を修し、母を寺内に迎え、孝養を尽くしたと云う。
敷地はそれほど広くない。お参り後、石段降り口横のベンチに荷物を置き、雨具を脱いで小休止。Tシャツはビショビショだが、セッセと歩いていたので寒さは感じない。
次のお寺へは、登って来た石段とは違う道で、先ずは下の駐車場へ。
(逸れてきた舗装路をそのまま辿れば、ここに至るのだろう)。
その敷地のはずれにあったトイレに立ち寄る。先に用を足していたツアーのおじさんと「連れション」状態。
(「滋賀」から来ていた六十代と思われるこのおじさんとは、この後のお寺の宿坊で再会。「明日も会うかもしれないね」と言ってくれるが、車と徒歩では、そういう事にはならなかった)。
「ふう~」
ここでスッキリ。本日の宿泊地である次のお寺までは、残り4キロ弱だ。
駐車場から少し戻り方面に向かえば、間もなく右に「へんろマーク」。牛小屋の間を抜け、竹薮の中へ。
下道に降りたり…畦道を抜けたり…途中に「義経ロード」。
(「義経伝説」の残る地なのか?)。
「つるまき坂」や「つるはり坂」などとあるが、チラリと一瞥で先を急ぐ。時間的にもペース的にも十分間に合いそうだが、ピッチは緩めない。
やがて県道風の道に出る。「136号」だ。車が通るが路肩が狭く、歩きづらい。
小さな峠を越えると、道路右側に歩道がでてくる。余地の無い場所に、無理矢理作り付けられた物。車で通過したのでは気づかないだろうが、用水路の上や、土手のように盛り上がった道路と水平に、路肩から脇に張り出した空中歩道…そんな箇所もあった。
花火工場を過ぎると、歩道のある右側に「お京塚」と彫られた石柱が立つ。奥には木造の小さなお堂が建っている。ここは、次のお寺にまつわる番外霊場。
その昔、享和年間(1800~)の頃。大阪で芸者をしていた「お京」なる女が、男と出奔。郷里に帰って夫婦となるが、密夫を作り、二人で謀って亭主を殺害。「四国・讃州丸亀」に逃れ、巡礼姿に身を変えるが、この先のお寺で天罰が下る。髪が逆立って、鉦の緒に巻きついた。これを機に「お京」は改心し、ここで「地蔵尊」を拝んで余生を終えたと云う。
『事件を起こしてしまったり、多額の借金を抱えてしまったら、遍路に化けてしまえばいいんだ』
ここに来てから、そんな風に思った事がある。
実際、遍路の格好はしているが、中には怪し気な人もいる。昔からいたと言われる「乞食遍路」の類いだ。薄汚れた白衣は着ていても、中身は浮浪者と変わらない。四国でなら、気候も良いし、何と言っても「遍路」がある。現在なら、托鉢で家々を回らなくとも、団体客が乗り着けるお寺の門前に立てば、気前の良いおばちゃん連中もいる。その日の食い扶持を稼ぐくらい、わけはなさそうだ。さらに、各地に多数存在する、無人野菜販売所。良心の咎めがなければ、食料を手に入れる事など雑作ない。
(事実この後、旅の途中で見た某テレビ局のドキュメンタリー番組。そこに登場した、高齢だが気合いの入った歩き遍路さん。遍路仲間の間では有名な人だったそうだが、その番組出演で足が着いた。その「生涯遍路」さんは、傷害事件で指名手配されていたのだ。もっともその人、画面で見た限りでは、コソコソと逃げ回っている…といった感じではなかった。完全ではないが、ある種、達観の域に近づいていたのかもしれない。何もしていないクセに・何もしていないうちから、わかったような顔をしている奴よりはマシかもしれない。とにかく、そんな事もある・そんな人もいる)。
遠くに街並が見えてきた。空には青空が広がり、天気はすっかり回復。少し前方に、二人のお遍路さん。
(今晩同宿となった、おじさん・おばさんだ)。
「立江川」を越え、その川沿いの道が大きく右・左とS字カーブを描き終える頃、「立江」の街に。裏側から入ったので規模はわからないが、JRの駅もあり、けっこう大きな街のようだ。
たぶん明日通るのであろう右からの道を、中学生の一群が左へと入って行く。そこを左折。狭い道だが家々が建ち並び、おみやげ物屋などもある旧市街地。T字路に突き当たって右。左にグルッと回ると、山門がある。ここが目指すお寺。そして今晩の宿泊地。時間は午後四時二十分。
《第十九番札所》
「橋池山 立江寺」
本尊 延命地蔵菩薩(伝 弘法大師作)
開基 行基菩薩
宗派 真言宗高野派
「聖武天皇」の勅願寺。
ここに逗留した「弘法大師」は、「地蔵」像を刻んで安置。
当初は「奥谷」山麓に建立されたが、天正の兵火で焼失。阿波藩主により、ここに再建される。
先の「お京の鉦の緒」が寺宝として納められており、「阿波の関所」と言われる所以となっているそうだ。つまり、犯罪者などの「ニセ遍路」は、ここから先には進めないのだ。
たまたまではあるが、ここに泊まったのも何かの縁。自称「ニセ遍路」ではあるが、何のお咎めも無くひと安心。お賽銭をあげてお参り。
時間はまだ十分あるので、少々境内をウロつく事にする。敷地はそれほど広いわけではないし、平地に建つお寺。疲れた足で一回りしても、大した手間ではない。
売店にて、白地に「般若心経」の書かれた手拭い購入。明日からは、これを頭に巻くつもりだ。
販売機で飲物を買い込み、ユックリ一本飲んでから、ずっと奥に入った突き当たりの建物へ。ここが、このお寺の宿坊。そこにある納経所が、宿泊受付にもなっている。
作務衣を着た、丁寧な話し方のお兄さんに宿泊代を払い、入口に回って靴と靴下を脱ぐ。雨が上がってしばらく経つが、まだ足元は濡れている。かぶっていたバンダナで足を拭き、中に上がる。先ほどのお兄さんに案内されて部屋へ。
奥まった場所の、窓の無い個室。宿坊とは言っても、TVに灰皿、ポットに茶菓子も用意されている。まあ、フツーの旅館。館内には販売機や売店もあり、これならまったく問題無い。
部屋に入って、急いでテープ剥がし。
(雨でふやけた足なので、すぐに剥がれる)。
五時から、夕方の読経がある。
(ここでは、朝のお勤めは無いそうだ)。
強制ではないが、せっかくの機会。それに、こんな言い方をしては不謹慎かもしれないが、たまの葬式など、決して嫌いではない。
(かつて娯楽が少なかった時代。思いのほか派手な衣装を纏ったお坊さん達が繰り広げる儀式は、ちょっとしたパフォーマンスだったに違いない)。
こういった非日常に接する機会など、そう度々あるものではないし、たまには新鮮で神聖・荘厳で重々しい気分に浸るのも悪くはない。
でも、いくらニセ遍路とはいえ、せめて白衣くらい着ていないと気が退ける。今後の事もあるし、一枚くらい持っていても損はない。それに、旅の記念にもなる。
そこで、宿のサンダルをつっかけて、先ほど手拭いを購入した表の売店へ。袖無しの白衣を買う。背には「南無大師遍照金剛」の文字。
(「弘法大師―空海」の密号だそうだ)。
五時きっかりに、鐘の合図で玄関先から本堂へ。宿泊客の、おもに中・高年の男女がゾロゾロ。ここで夕のお勤め。
後方にはイス席もあったのだが、無理して畳に座る。でも、『やめときゃよかった』。最近、まったく縁の無い正座。おまけに一日の歩行の後。ふくらはぎはパンパンに張っているし、足首から先はボロボロ。
無料で配られた小冊子で、初のお経だったのだが…途中からは足が痺れて、それどころではない。こういった時には、いつも思う事。
『早く終わってくれ』
心の中で何度もそう叫びながら祈る。早く終わってくれる事を…『最後の鐘で終了したんだっけ?』。
思ったほど長くはなかった。痺れる足で立ち上がり、本尊の前で手を合わせる。
間もなくお食事タイム。団体のおばちゃん達もいて、数十名の大部隊。一番端の・一番奥に座る。
メニューは…刺身に煮物、おひたし・お吸い物、フルーツ…等々。
混みあう食堂をサッサと出て、愛想の良い売店のおばさんに案内されて浴場へ。男性の数は少ない。貸切状態でお風呂を頂く。タオルも浴衣も無いけれど、湯舟はぬるめのジェット・バス。
その後、部屋に戻ってこれを書いていた。窓の無い部屋というのは、落ち着いて集中でき、こういった書き物をするには持って来い…そんな気がする。
ただ、薄い襖戸。周りの音がよく聞こえる。個室が四つかたまったこの一角。周りはツアーの添乗員さん、運転手さんやバス・ガイドさんのよう。先ほど向かいの部屋から、女の子のクシャミが聞こえました。現在九時半。遠くのテレビの音、さっきまで響いていた男性のイビキも鳴り止んだ。そろそろ寝よう。
それにしても、先ほどからかすかに悪臭を放っているのは…自分の荷物か? それとも、この部屋自体? それに、六時前の夕食では、早くにお腹が空きそうだ。そんな感じの初「宿坊」。
本日の歩行 35・20キロ
45721歩
累 計 288・10キロ
374202歩