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「発心《ほっしん》」―ある冬の日―

 午後一時のサイレンと共に、強い風が吹き出した。冷たい北風。

 まるで、計ったようなタイミング。


『チェッ!』

 胸のあたり湧き上がる不快感。


『クッソー』

 寝起きという事もあって、いっぺんで不機嫌になる。


『せっかくイイ夢見てたのに…』

 うつらうつらと夢の中、イイ年こいて、某アイドルとイチャつく妄想に(ふけ)っていたのに…。


『なのに、これだ!』

 この季節、風の強い日は大嫌いだ。

 風が吹くくらいなら、雨でも降っていた方がまだマシだ。


『チックショ~!』

 やり場の無い(いきどお)り。


『いったい、いつからだろう?』

 以前の…数年前までの自分なら、こんな事は無かった。


『ムカつくぜ!』

 強い風が吹くと、必ず思い出す光景がある。


 あれは小学校高学年の頃。

 たぶん、とある日曜日。

 川の堤防の斜面。

 風下側の、日の当たる枯れ草の上。

 友達ふたりと三人で、一袋の「仮面ライダー・スナック」を、分けあって食べていた。

 たぶんあの時は、自転車で、どこかに遠出していたのだ。

 向かい風の帰り道。

 いい加減ウンザリし、少々疲れていた。


 生まれ育った地は、関東平野の北のはずれ。

 冬になると、冷たい北風が吹き抜ける土地柄。


 とっくの昔に食べ飽きて、中には、お目当ての「ライダー・カード」だけ確保し、あとはドブに捨て去っている奴もいたけど…

 空腹だったせいもあり、妙に美味しく感じた記憶が残っている。


『仕方ない』

 あの時も、きっとそう思っていたはずだ。

 冬の放課後や休日、屋外で遊ぶ時はいつも、強い風に(さら)され・翻弄(ほんろう)されている…。

 嫌々ながらも、自然が相手では仕方がない。

「毎日必ず」というわけではなかったはずだが、自分が持つ原風景には、そんな光景が多い。


『仕方ない』

 工具を手に取る。

 午後の仕事が始まった。これが現実だ。

 幸い、昼飯あとの昼寝で、昨晩の酔いは完全に抜けていた。


『くだらない』

 男なんて、つまらない生き物だ。

 汗水たらして(かせ)いだ何日分もの金を一晩で…

 下手をすればわずか数時間で、(つか)ってしまうのだ。


『馬鹿らしい』

 わかっていてもやってしまう。

 まあもっとも、金の(つか)い過ぎ・酒の飲み過ぎの後は、「後悔の念」はなはだしく、しばらく足が遠のく助けにはなるのだが…。


「ふう~」

 溜め息ひとつ。

 今日の現場は清掃工場。悪臭が漂って来る。

 幸いこの時期は、まとわりつくハエに悩まされる事は無いのだが…。


「ふう~」

 溜め息、もう一つ。

 生業(なりわい)は機械整備。

 大型の機械が多く、一人で出来るような仕事ではないが、正式にはどこにも属さない「一匹狼」。

 数年前、辞める・辞めないでモメてから、今の立場になった。


「チェッ!」

 思わず舌打ち。

 風に運ばれた砂塵(さじん)が、目に飛び込んだ。


『大した仕事じゃない』

 そう思うが、頭数だけ揃えば出来る仕事でもない。

“それなり”の技術と経験は必要だし、人材も豊富ではない。

 だから、“それなり”に重宝はされている。


 でも、「独立自営」と言えば響きは良いが…

「国民健康保険」に「国民年金」。「確定申告」をして「所得税」。

 早い話、「フリーター」と何ら変わらない。


(もっとも、組織に縛られるのが嫌で、こんな立場にいるのだから、むしろ「望むところ」だ)。


 現場はコロコロ変わるので飽きは来ないが、中には面倒な現場や、嫌な客もいる。

 どちらにしろ、やっている内容に違いは無い。


 代わり映えしない毎日。

 休日も勤務時間も定まらないローテーション。

 何だか誰かに操られているようで…

 決して親会社の人間ではない。彼らだってそのうちの一人なのだ。

 あえて言えば…「社会」にだろう。


『こんな事やってるだけじゃ、何も変わりはしない』

 中には、(なげ)くような口調でありながらも、内心、いかに休み無く働き続けたかを自慢気に語る働き者もいるが…

 その人物は数年前、長年「糖尿」を(わずら)った末、五十歳を目前に(ガン)で他界してしまった。

「まだやりたい事があったのに…」

 それが末期(まつご)の言葉だが、そんなに働きずめで、どこにそんな暇があったと言うのだろう?


「ふ~」

 いつだったか、動物王国の創始者として知られる動物家が、かたわらに立つ馬の首を撫でながら、こんな風に語るテレビ番組を見た事がある。

「動物も、衣・食・住から開放されると、それぞれの個性が出て来るものだ」と。

 確かにそうだ。

 動物だって、犬・猫以上の知能を持った生き物になると、各々(おのおの)の個性を持っている。


(高度に複雑化された人間に、二人と同じ人が存在しないように、犬・猫ほどになれば、必ずどこかに違いが出て来るものだ)。


 そこで氏は、こんな風にも言っていた。

「動物には野生が良いと言うが、果たしてそうだろうか?」と。

 確かにそうだ。

 毎日の「食い扶持」に頭悩ませる「その日暮らし」の状態では、個性も埋没してしまう。

「餌を手に入れる」以外の事で、知恵や工夫を発揮している余裕など無いのだ。


 ならば、今の自分はどうだ?

 日々の仕事と生活に追われ、個性を発揮する場などあるのだろうか?

 だいたい、自分の「アイデンティティー」とは何だ?

 少なくとも今の仕事に、そんなものは必要とされない。


『クッソ~』

 モヤモヤと渦巻く、言葉にならない嫌悪感。

 何かに納得がいかなかった。


「チェッ!」

 意味も無く舌打ち。



 そんな日の「三時休み」だった。


「行ってくれば」

 それは、何気ない一言から始まった。


「いいんじゃない」

 皆、口を揃えてそう言う。

 どいつもこいつも、本気になどしていなかったのだ。


「四国でも歩いてこようかな…」


 そんな一言。

 誰も真面目に取り合っていなかった。


『甘いよ』

 そう思った。だいたい…

『落ちぶれたもんだ』


 そんな思いが強かった。


『こんな奴等に、対等な口をきかれるなんて…』


 仕事が終われば、酒かギャンブル・女遊び。

 それで一日が終わってしまう。


 ただ働く事が好きで、あくせく働き続ける奴もいるけど…

 こんな仕事に、ヤル気も生き甲斐も見出せない。


「俗物」


 そんな言葉がピッタリくるような連中ばかり。


『サルに敬語や丁寧語なんて、使う必要は無い!』


 子供の頃は…赤ん坊は「純真無垢」。真っ白な存在だと思っていた。

 又、「人間は生まれながらに、みな平等」…そんな、「民主主義」を絵に描いたような人間観の持ち主だった。

 でもやがて、そうでもない事に気づいてくる。


(特に、この業界に入ってからはいっそうだ)。


 なぜなら…人間は、生まれながらに、多くのものを引きずって誕生する。

「環境」以前に、「遺伝」など、生命単位でしかり。

 生まれた時点から、「平等」なんてありえなかったのだ。


輪廻転生(りんねてんしょう)」には懐疑的だが、「バカはしょせんバカ」。

 生まれながらに「馬鹿」なのだ。途中で変わるなんてありえない。

「話せばわかる」なんて、サルに向かって語っても無意味。

「無知の知」や「知の知」なんて、説くだけ無駄だ。


(だから「ソクラテス」先生や「千利休」師匠は、「いいがかり」とも思える罪を受け入れ、死罪になったのかもしれない)。


 少なくとも今現在、周りを見渡せば、そんな事を考える人間は一人も存在しない。


 いったい「賢人」とは、どこに居るのだ?

 どこに行ったら「偉人」に会えるのだ?


『もうウンザリだ』


 だいたい、「二足歩行のサル」程度の奴等に、中途半端な教育を授けたのが間違いだ。

「愚痴」や「文句」ばかりを言いやがる。


 今の人類に、「自由民権」は早過ぎる?


「エリートによる独占的なリーダーシップ」という考え方がある。

 最近では、『それも悪くない』。そうも思う。


 現在最古とされる「人類」の化石は、七百万年前の物。

 その歴史の中で、「動物園のサル山」的集団から始まり、「君主制」が出来上がったのは最後(つまりここ最近)の数千年の事。

 だから「君主制」とは、かなり進んだ政治形態なのだ。


 西洋の逸話に、こんな物があるという。

「専制政治」をする「暴君」で名の知れた領主。

 その人物が退位を決めて街を去ろうとした時、城門を出ようとした彼に向かって人民は、「行かないでくれ」と泣いてすがったと云う。

「馬鹿」でも「素直」なら結構だ。

 牽引してくれる人間がいなくては、進む方向がわからず路頭に迷ってしまう自分達に気づいていたのだろう。


 確かに、そんな時代もあっただろう。

 だが、中途半端に教育化・情報化が進んだ現在、動物園の猛獣ではないのだ。

(ムチ)」だけで人は動かない。

 なのに、未だに勘違いしている(やから)もいる。

「馬鹿に権力を持たせたらこうなる」の見本みたいな奴等だ。


(中小零細の経営者には、こういったタイプが多い…が、そこまでだ。それ以上の規模には対応できない)。


 そういった連中には、こう言ってやりたい。


「あなた方には、足りないものがある」


 それはつまり…人を統率するには「持って生まれた才能」―カリスマ性が必要だ…と言う事。


(「カリスマ」とは、「神からの(たまわ)り物」という意味。「いばる」だけでは無理な相談なのだ)。


 また、こちらが控え目に、大人しくしていようものなら、どんどん付け上がって来る連中もいる。

「言葉遣い」や「礼儀」すら(わきま)(わきま)えていない。

 だから、時には「(ムチ)」も必要なのだ。


(かつて日本人の美徳とされた「謙遜」や「控え目な態度」は、今ではすっかり死語となっている。

 そういった点でも完全に「欧米化」しており、多少ハッタリをかますくらいでないと、「なめられる」「つけ上がる」ような連中ばかりが目につく時代だ)。


「じゃあ、そういう事で…」

 良いタイミングだった。

 仕事仲間に、仕事を下ろしてくれている親会社の人間。

 主要なメンバーが揃っていた。


『誰にも文句は言わせない』


 仕事を干されても構わない。どうせ元々「腰掛け」程度。

「体力の60パーセント、能力の30パーセント以上は使わない」で始めた仕事。

 でなければ、他に何も出来なく

なってしまう。


(実際には、そんな事ばかりも言っていられない。でも、常にそんな心づもりでいた)。


 フリーになる時の条件は「日給制のアルバイト。休みたい時はいつでも休める」。

 それで、休みを取っては海外旅行に出掛けたりもした。

 フツーのサラリーマンでは、できない相談だ。


(もっとも、先のスケジュールの見えないこんな仕事。そうでもしなければ、それこそ何も出来なくなってしまう)。


 クビになるなら本望だ。

「生命を維持」するための「片手間仕事」と割り切っている。


 だから「責任」や「面倒」が発生する仕事はお断り。


『仕事量も収入も、必要最低限で十分』と思っていたが、その割りには一人暮らしには十分すぎる(かせ)ぎがあった。


 そんな立場に甘んじて、十年近い歳月が流れていた。

 でも、そろそろ「潮時」だ。

 なにしろ、望んでいた事は、何一つ実現していないのだから…。


『このまま埋もれてしまうのか?』


 冗談じゃない!

 何か事を起こす時期だ。


 とにかく、承諾は出たのだ。

 もちろん、明日というわけにはいかないが、こうなった以上、こちらとしても後には退()けない。



 午後から吹き荒れた風は、その日の日没近く、ピタリと止んだ。


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