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夢の悪役令嬢転生をしたはいいけど、元の悪役令嬢が好きなヤンデレ男に脅されているので、現実世界に帰れる方法を死ぬ気で探します!

作者: 塩谷 千夜




 どうしてこんな状況になっているのだろう。



 元の陰キャで非モテな私では一生近づけないような、顔面国宝級なイケメンに壁側に追い込まれている。

 いわゆる少女漫画お馴染みの壁ドンだ。私の心臓は高鳴り、手は汗で塗れているだろう。

 

 しかしその理由はトキメキなどそんな可愛い理由ではなかった。



「お前、僕の大好きなヘレナじゃないよね……?」




 彼の目の笑っていない形だけの笑顔が怖すぎる。拷問官のようなオーラを発していて、私の首元にはナイフが向けられている。少しでも動いたら血が吹き出すだろう。


 

 私、イケメンでも闇属性ヤンデレはタイプじゃないんだ……っ!!

 


 そう叫びたくなるのを泣きそうになりながら何とか抑える。




 

 

 どうしてこうなったのか、時は今日の朝まで遡る。



 

 小鳥のさえずりが聞こえて目を覚ます。

 心臓に悪いスマホのアラーム音ではなく自然に目覚めたということに違和感を覚えつつ、寝起きの私は大きく伸びをした。なのにギシギシとマットレスの悲鳴が聞こえないのに気づいて飛び起きる。


 

 私が寝ていたのは天蓋付きのふかふかのベッドで、見渡せばどこの中世貴族の部屋だといった豪華な内装。

「えっ?」と驚きで思わず零れた声も聞き慣れたものでは無い。視界には肩口で切りそろえた黒髪ではなく、腰まで伸びた赤髪が揺れて、こたこたになったパジャマではなくネグリジェを身につけていた。

 私は部屋にある可愛らしいドレッサーへと急ぐ。



 鏡に映ったのは寝起きでアイロンをせずとも強くウェーブのかかった艶やかな赤髪。長い睫毛をまとったアイライン要らずの迫力満点のツリ目。真っ赤なぷるんとした唇の近くには黒子が一つあり色気がやばい。

 目線を下にずらせば豊かな胸もと。すらりとした脚も伸びていて、スタイルも抜群だ。

 

 

「これ、もしかしなくても悪役令嬢に転生したのでは……!?」

 


 そう言って鼻息を荒くしても鏡の中は美少女のままだった。見れば見るほど美人で、お肌もツルツルですごい。


 


 私、大石玲奈はどこにもいる日本の女子高生であった。


 

 悪役令嬢や異世界転生物の小説を見るのが好きなオタクでもある。元々少女漫画が好きだった私は、悪役令嬢になってヒーローに溺愛されるような物語が好みにぶっ刺さった。

 私は何度か乙女ゲームも手を出したことはあるが、飽き性なため直ぐに放り投げてしまい部屋で埃を被っていた。

 その点ネット小説は学校でもスマホと時間があればさくっと読めて良かったのだ。長年浴びるように読んでいたから、あの物語の中では!?と思い当たるものはなかった。

 そもそもここは元のストーリーがある世界なのだろうか。



「どうせ転生するなら幼少期からが良かったな。でも断罪後に思い出すパターンもあるからまだマシな方なのかな」

 


 それより、私が転生をしたということは死んでしまったのだろうかと首を傾げる。あるあるなトラックに衝突した覚えも、神様的存在に出会った記憶もない。

 というか赤ちゃんから始まった訳じゃないから、転生じゃなくて転移か? まぁそこは大事じゃないからどうでもいいか。

 


 思い出せないことを考えていても仕方が無いと、悪役令嬢のお部屋探検と称しウキウキで見て回る。デカイ宝石の着いたアクセサリーを見て興奮したり、七五三でしか着たことないようなドレスを眺めて目を輝かせたりしていた。


 

 先程は興奮して気づかなかったが、ドレッサーに手帳が置いてあるのを見つけた。なんだか、某殺しちゃうノートのような禍々しさを感じる。この部屋にあるのだから“私”のものなのだろう。

 

 

「ヘレナお嬢様、おはようございます」


 

 物色をしていれば、控えめなノックの音の後にメイドさんが沢山入ってきた。コスプレじゃないメイド服ってこんなにしっかりしているのかと感心してつい見つめてしまう。

 あと私……この身体の名前はヘレナって言うのか。なんか私の名前と少し似てて運命を感じる。


 

 そうしてあれよあれよとお風呂に入れられ、着替えからヘアメイクまでされるがままで少し恥ずかしかったけど、お姫様気分でなんか気分が良かった。ただ突っ立ってるか座ってるだけで何もしなくていいし。

 着替えさせられたのは、白を基調としたアイドル衣装みたいに可愛い制服だった。リボンが大きくてスカート丈は少し長めだ。ポケットが着いていたので、後で読むために手帳をこっそり隠し入れた。



 朝の支度が終われば朝食を食べるために食堂へと案内される。廊下も美術館のように綺麗で絵画とか彫刻品が置いてあってびっくりした。お高そうなシャンデリアもあって凄い。


 

 食堂にあるテーブルは横長で、何十人も座って食べれそうなほど大きかった。椅子はたった三脚しかなかったけど。

 パラパラと手帳を捲って見れば、丁寧に三食分のメニューが書かれている。どうやらいつも一人でご飯を食べているらしい。

 まぁ“私”の父親と母親が居たら、どういう感情になればいいのか分かんなくて困るからいいんだけど。

 ていうかこれ私も書かなきゃだめなのかな。私日記とか書くの無理なんだけど。三日坊主どころか可愛い日記帳買ったら満足するタイプ。

 


 そんなことを考えていれば、食事が運ばれてくる。私は食べたことないけど、イタリアン……で合ってるのかな、高級フルコースのような見た目の料理が並べられる。見た目が美しくて量が少なくて味が上品というか薄い。

 もちろん箸などなくて置いてあるのはナイフとフォークだ。幸いなことに身体が覚えているようで、自然と手が動いて良かった。これが転生チートか。

 そうして機械的に料理をお腹に詰めて私は立ち上がる。



 移動は想像していた通り馬車だ。女の子ならおとぎ話で見て憧れる子も多いのではないだろうか。

 もちろん快適な自動車とは比べ物にならないほどおしりが痛いけど、自転車通学で汗水垂らしているよりよっぽどマシだ。

 学園へ向かうまでの時間が暇なので、この“私”のプロフィールを知るためにもう一度手帳を開いた。


 

 名前はヘレナ・ブランシェ。悪役令嬢らしく身分の高い公爵令嬢の一人娘である。へー、でも婚約者はいないんだ。

 私と同い年の16歳。学園に通う一年生らしい。

 得意魔法は火だと書かれている。ていうか魔法あるんだこの世界!! 使ってみたいけど、馬車の中で火だるまになるのは怖いので今度試してみよう。



 穏やかな日常を綴っている……なんてことはなくて、気に入らない男を火だるまにしただとか、自分に陰口を叩いた女を泣くまでやり返したなど怖いことが書いてある。紛うことなき悪役令嬢だなぁ。

 禍々しい文章のところには、マリアという女性のことが書いてある。男爵令嬢なのに男に囲まれていて気に入らないらしい。この子がヒロイン枠かな?

 

 

 他にも男性らしき沢山名前が出てきてるけど、カタカナなのもあって覚えきれない。そもそも私は人の名前覚えるの苦手なのよね。多分この人たちが攻略対象枠で、誰かがヒーローなんだろう。

 まぁ、学園に行って身分の高いイケメンを探せばなんとかなるでしょ!



 そう結論づけて手帳をしまい、窓の外を眺める。窓から見える風景は日本とは全然違っていて面白い。そうしていると、お城のような校舎が見えてきて私は目を輝かせる。

 夢の学園生活が始まるのだ。



 

 馬車から降りれば、道の先にイケメンな男性が立っているのが見えた。銀髪に赤い目の高身長イケメンだ! 

 そんな彼の周りには美しい女性達が沢山居たのだが、彼はまるで羽虫を見るような顔をしていた。女性嫌い属性か?


 

 美形の睨み顔は怖いな~と、遠巻きに見ていれば目が合ってしまいヒュっと息を飲む。

 しかし私に向けられたのは人を殺せそうなほど冷たげな視線ではなく、別人級の優しい表情であった。

 そうして女性達を蹴散らすようにこちらへと寄ってきて、何だか忠犬のようで可愛いと思った。悔しそうな女性達の視線が突き刺さるが気にしない。




「おはよう、ヘレナ」


 

 蕩けるような甘い声が掛けられてドキマギする。それにしても悪役令嬢に優しい男性だなんて、彼は悪役令息とかなのだろうか?

 確かに色合いとかクールな感じとか見るにそんな感じがしてきた。



「お、おはよう」

 


 口が勝手に“ルー”と動きそうになって口を閉じる。

 彼のアダ名か何かなのだろうか。確かにチラッと見た手帳でもルーという言葉はよく見た気がする。しかし名前やアダ名は間違えたら一発アウトであるから慎重にならないと。

 


「ヘレナどうしたの? 具合でも悪いのかな」

「いや大丈夫、よ」

 


 中身陰キャが急に高飛車お嬢様になれと言われても難しいに決まっているのを忘れていた。段々と目の前の男性の視線が疑わしいものになっていく。やべー、もうバレた?

 冷や汗ダラダラの私が逃げようとすれば、ガシッと腕を掴まれる。こいつ細身のくせに力強いな。



 

 そうして人気のない所へドナドナ連れ込まれて、ナイフ付きの壁ドンをされて冒頭へと戻る。

 


「変身魔法でも使っているの? でもその身体はヘレナのものだよね。なら呪いや闇魔法の類か……?」

「違いますぅ……」


 

 つい半泣きで敬語に戻ってしまった。だって怖いんだもん。

 ハイライトの無い瞳でブツブツ言ってるの、いくら顔面が良くてもヤバすぎる。首元のナイフのせいで首を動かすことも出来なくて、情けない声を漏らして否定することしかできない。


 

「お前みたいな濁った色じゃなくて、もっと漆黒の美しさのヘレナの魂をどこにやった?」

 


 私の魂が濁ってると言われたのは腹が立つが、漆黒のヘレナの方が深刻では?と思ってしまった。そもそも魂が見えるのかと不思議に思ったが、気軽に聞ける状況では無かった。


 


「えっと、あの、信じて貰えないと思うんですけど……」



 そうして私は昨日まで別の世界で生きていたが、今朝目が覚めたらこの身体に入って居たということを洗いざらい説明することになった。簡単に信じて貰えるとは思わないが、下手に誤魔化したら命が危ない予感がする。



「もしそれを信じるなら、ヘレナの魂がどうなってるかは分からないんだね」

「はい」



 そこまで話せばナイフが私の首元から離れていき、ほっと一息をつく。



 その瞬間、私の横の壁が大きな音を立てて破壊された。

 一瞬ゲームのエフェクトのようなものが見えたから、きっと魔法で壊したのだろう。わー、夢の魔法を身近で見れたのにこんなに感動しない事あるんだ。ガクブルである。


 

「失礼、苛立っていてね。まぁ嘘探知魔法にも反応は無かったから本当なんだろうね」



 もし嘘をついていたら、私がこの壁のように木っ端微塵になっていたのか。

 でも、苛立ちで物に当たるのよくないと思う!!壁が可哀想!!!泣いてる私も可哀想でしょ!!!


 

「君をヘレナとは呼びたくないから聞くのだけど、名前は?」

「大石玲奈です」

「レイナね」

「えっと、貴方の名前は……」

「僕はルーカス・ブラウンリーだよ」

「……あぁ、なるほど」


 

 その名前を聞いて思わず声を漏らしてしまえば、途端に怪訝そうな顔を向けられてしまい、敵意はないんですと両手をブンブンと振る。

 


「貴方を見た時、口が勝手に“ルー”と動きそうになったんです。朝の食事の時も毎日のことだからか勝手に動いてくれたので、口に馴染むぐらい呼んでたんだろうなぁって思って」


 

 私の言葉に彼は押し黙る。そっと髪を見上げれば、なんだか泣きそうで嬉しそうな複雑な顔になっていた。


 

「僕のことルーと呼んでいいのはヘレナだけだから、絶対に呼ばないでね」

「あっ、はい分かりましたすみませんルーカスさん」

「なんでそれで平民みたいな呼び方になるのかな」

「中身が平民なもので……」

「高貴なヘレナの中身が平民になるなんて……」

 


 わー平民差別だ、いーけないんだ!

 と、私の中のガキ大将が騒いでいたが口は閉ざしておく。

 いいもんね、あんたなんて心の中で呼び捨てにしてやるんだから、と内心でベロを出していた。


 そうして話しているうちにチャイムが鳴り響き、彼はため息を着く。



「色々話をしたいところだけど、とりあえず授業に出てもらうよ。ヘレナをサボらせるわけには行かないし、保健室でボロを出されても困るからね」

「はい……」


 


 そう言って今度は教室まで連行される。

 

 まぁ正直クラスの場所が不安だったので助かる。足は勝手に動くかもしれないが、間違う可能性はあるからね。

 私の席は窓側の一番後ろというめちゃくちゃ良い席だった。ちなみに隣の席はルーカスで、授業中もすごくお世話になりました。


 

 知らん世界の歴史なんてわかるわけが無い。自国の日本史すら赤点ギリギリだったんだぞ私は。

 ていうか異世界でも先生に当てられる事あるんだな。ヘレナがこれぐらい分からないなんて許さないからか、彼がこっそり答えを教えてくれて助かった。

 文字は転生チート様様か、普通に日本語として認識できるから良かったと思う。英語とか見知らぬ言語だったら泣いてた。

 


 それから授業はずっとルーカスが隣の席。移動教室もお昼も一緒で、挙句の果てにトイレ前まで着いてこられてびっくりした。放課後までそんな感じで、少しぐらい一人にさせてくれと思う。

 


 放課後になるや否や、特別なサロンに連れてこられる。許可なく他の人は入ってこれず、防音性に優れているため話すのに最適らしい。

 ボロが出るから人前であまり話すなと言われていたため、やっと口を開ける。


 

「ルーカスさん。私がボロを出さないか心配なのはわかるけど、そこまで一緒に居なくてもいいかなって思います」

「今日は居たくている訳じゃないけど、ヘレナと一緒にいるのは割と通常運転だから周りから変な目で見られることは無いよ」


 

 気にしてるのはそこじゃないけど、これ平常運転なの!?

 よくヘレナは嫌にならなかったな。二人一緒に居るのが当たり前だったのだろうか。



「そういえば、ルーカスさんとヘレナさんってどう言った関係なんですか?」

「……幼少期からの付き合いだね」

「へー、幼なじみみたいな感じですか」

「まぁそうかな」

 


 ふーん、と相槌を打とうとすれば頭痛がした。ほんの一瞬だったから眉を顰めるぐらいで済んで会話を続ける。


 

「私の他にこういう事例は無いんですか?」

「僕が知らないだけかもしれないけど聞いたことないね。魔法や呪いの類なら似たようなことが出来そうだけど」

「言っときますけど私、魔法もない世界の平民ですからね!」

「えっ、魔法が無くてどうやって生きていけるの……?」

「科学という人類が生み出した力があるんですよ。詳しく説明は出来ませんけど」

 


 嘘をついたら魔法で殺される可能性があるので、真実のみを話すよう気を使う。理科も苦手だった私では科学チートは出来ないので残念だ。

 

 

「君は帰りたいとか思わないの?」

「……私、帰れるんですかねぇ」

「帰ってもらわないと困るんだけど」


 

 やだ、目が笑ってなくて怖い。


 

 私が元の世界で死んで転生して、前世の記憶を思い出した……って感じではないんだよなぁ。ほんとかどうかは分からないけど、ルーカスも魂もヘレナと別って言ってたし。

 やっぱり昨日までの私が転移してきて今日ヘレナの身体で目覚めたって感じがする。なら、ヘレナの魂はどこに行ったのだろう。




 それから異世界生活を満喫する暇もないまま、ルーカスさんの監視生活&元に戻る方法を死にものぐるいで探すことになった。


 

 おかしくない? 普通は断罪回避に奔走はずが、ヤンデレヤバ男に理不尽に殺されそうになるのを回避するために奔走させられている。

 私がやりたいのはもっとイケメンの過去の闇を取り除くとかさぁ! 溺愛されるとかさぁ! 転生チートで食事とか医療革命を起こすとかさぁ!!!


 

 しかしルーカスの監視のせいで他の男と話す機会など一ミリもないし、この世界は日本ですか?ってぐらい発達していた。


 

 男子生徒が近づいてくれば、ルーカスはその長身と鋭い目を活かして蹴散らしていた。ヘレナは本当に愛されてんなぁ。

 異世界なのもあって生徒達みんな顔面偏差値が高いのでちょっと話してみたかった。私のコミュ障っぷりでまともに話せるかは分からないけど。

 まぁタイプの人はいなかったから残念。私は優しさが顔に滲み出てるような包容力のあるイケメンが好きなのだ。それを同学年に求めるのはハードルが高すぎか。

 


 

 食事面では、貴族はあまり口にしないらしいが平民の間では味噌汁も米もメジャーらしい。そろそろフルコース料理飽きてきたから私もそういうご飯食べたい。

 医療も各地に病院があり、殺菌魔法、麻酔魔法など、なんなら日本よりすごい技術というか魔法のおかげで清潔・健康な国となっている。

 いい事なのだが色々とがっかりである。



 

 そうして日々の授業を乗り越えつつ、自由な時間の放課後や休日を使って色々検証して行くことになった。



 

 まずは医者を呼んで検査をしてもらった。

 色々な検査をしたが、特に異常無しだと言われてルーカスが不服そうだった。魂違いますよってバレても大騒ぎになって困るでしょうが。

 お医者さん相手に異世界がどうのって説明すれば気が触れたと思われること間違いなしなので流石に黙っておいた。




 次に、私がここに来た前日のヘレナの行動を振り返ることにした。残念ながら毎日書かれていた手帳はその日だけ破り取られていて読めなかったのだ。

 


「ヘレナさんに変わった事とか無かったんですか?」

「変わったこと……」


 顎に手を当てて、ゆっくり思い出すように目を閉じている。首痛めるポーズとかもそうだけど、イケメンは何でも絵になるな。

 


「実はその日、放課後ヘレナが先に帰ってしまったんだ。いつもだったら一緒に過ごしてるんだけど」

「何かあったんですか?」

「分からない。その日は放課後に先生から頼まれ事をしていて少しヘレナの傍から離れてしまったんだけど、戻ったら彼女は帰ったと聞かされてね」

「うーん、用事があったんでしょうか……」

「僕は把握していなかったけど、突然の用事なら仕方ないかと思って次の日ヘレナに何があったか聞こうとしていたら、君が来てたわけだ」


 

 何で婚約者でもない相手のその日の予定を把握してるのが当然みたいに話すのだろう、こわ。

 その後何か分かることは無いかと、ルーカスが公爵邸にやって来て若いメイドさんに話を聞いていた。

 彼が困った顔で聞けば、顔を赤らめて簡単に口を滑らせてくれるのだから、やはり顔がいいって便利だな。



「えーっと、お嬢様が早く帰ってきた日のことですか?

 その日はなにも予定は無かったようですが……あ、でもその日のお嬢様は具合が悪いのかずっと部屋にひきこもって居ましたよ」



 とのこと。部屋で何かあったのだろうか。その後は手分けしてヘレナの部屋の捜索、となると思っていたのだが。


 

「流石に僕がヘレナの部屋に入る事は出来ないから、君が何か手がかりがないか探してみて貰えるかな」

「分かりました」

 


 やはり日本とは価値観が違うらしく、勝手にヘレナの部屋に入ることを断固拒否してルーカスは帰っていった。

 久々の一人になれた時間に思わずため息を着く。


 

 そういえば、“彼”はよく私の部屋に来ていたな。ほぼ一人暮らし状態の私を気遣ってご飯を作ってくれたり、テスト前には馬鹿な私の勉強を見てくれたり。




 …………?



 頭が痛くなり、蹲る。しばらくそうしていれば落ち着いて深く息を吐き出した。何だったんだろう、今の。

 


「手がかりを探すって言ったってなぁ……」


 

 この部屋は私の住んでるところより広く、物も収納も多いので時間がかかりそうだ。とりあえず寝る前の時間を使って少しずつ探していく事にした。

 今日は疲れたからもう寝よう。一応枕元などに何かないかと探したが何も無かった。

 


 それからは、図書室や図書館に行って転生者や転移した者の事例がないか片っ端から調べることになった。

 正直これが一番大変だった。ネット小説のような軽いものしか普段読まない私にとって、論文のようなお堅い文章の本を見ているだけで眠くなる。

 おとぎ話や精神逃避の部類、変身魔法や黒魔術などのそれらしい本を見ていたのだか、当てはまりそうなものは見つからなかった。


 

 他の生徒はほとんど使わない高位貴族専用のスペースに居座っているため、私は小声なら自由に口を開ける権利が貰えてよかったと思う。

 ルーカスさんとは長い時間を過ごしていた。といっても黙って隣に座っていることがほとんどだったが、敬語からタメ口になっても爆破されない程度には打ち解けたと思う。

 そうして今日も欠伸を堪えながらページをゆっくり捲っていた。


 

「あの悪役令嬢、最近大人しくなったらしいぞ」

「また何か企んでいるだけではなくって?」

「でも俺、黒魔術の本読んでるの見たぞ」

「今日もルーカス様にまとわりついて見苦しいこと」

 


 といった生徒達の噂話が耳に入ってくる。図書室なんだから静かにしろやと思う。私が聞こえるということは当然ずっと隣にいるルーカスも聞こえているわけで。

 彼は頬杖をつきながら本をパラパラと捲っている。絵になるなイケメンは。ちらりと一瞬こちらへと目線を向けて口を開いた。


 

「何、傷ついた?」

「え。いや……ヘレナさんって悪役令嬢って呼ばれてるんだなって思って」

「ほんと、馬鹿ばかりで困っちゃうよね。ヘレナの素敵なところは沢山あるのに見ようともせず好き勝手に言うんだから。まぁ、知ってるのは僕だけでいいとも思うけど」

「はぁ……」


 

 うわぁ、と言いそうになるのをこらえた私は偉い。彼を熱っぽい瞳で見つめている令嬢方に聞かせてあげたい。


 

「ヘレナは悪役令嬢と噂されても、一輪の薔薇のように凛としている素晴らしい女性なんだ」


 

 そう語るルーカスはまるで恋する乙女のような熱い瞳をしていた。彼の目には本物のヘレナ様が思い描かれているのだろう。手帳を見る限り、気に入らない人間を火だるまにしてるような悪役令嬢なんだけどなぁ。


 

 ちなみに魔法を使うことも彼に禁止された。魔法は緻密なコントロールと経験が必要らしく、一朝一夕の魔法学の基礎も分からないようでは駄目らしい。

 あと失敗してヘレナの身体に火傷でもつけたら殺すぞ、とオブラートに包んだ怖い笑みで言われたのでやめときました。魔法使うの夢だったのに。

 


「ルーカスさんはさ、なんでヘレナさんのことそんなに大好きなのに婚約者になってないの?」

「よく直接聞けるね」

「だって気になって……」


 

 大きなため息の後、鋭い視線で見つめられて心臓がキュッとかった。恋ではなく恐怖の方で。


 

「……僕の身分が低いから、ヘレナの両親に認めてもらえていないんだ。僕は伯爵、ヘレナは筆頭公爵家だからね。

 絶対に無理という訳では無いけど、彼女の両親は上を目指しているようでね。王族や公爵あたりを狙っているんだと思う」

「そうなんだ。貴族社会って大変だね」

「だから、認めてもらえるように色々手を回しているところ」


 そう言って黒い笑みをうかべる。裏から着々と囲い込むつもりなのだろう、ヤンデレのすごいところだ。

 


「そういう君は元の世界に大事な人はいなかったの?」

「元の世界に……」


 

 私は大事な人を思い浮かべようとして、脳内にノイズが流れる。砂嵐のような、目の前がチカチカとする。頭が痛い。

 あれ、そういえば私は現実世界のことをあまり思い出そうとしなかった。見知らぬ異世界に来て、寂しがるどころか家族のことすら思い出さなかったのだ。

 思い出した。私はお父さんと二人で暮らしていた。お母さんは小さい頃に亡くなっていて、お父さんは仕事が忙しくてほぼ家に居ないため家に一人でいることが多かったのだ。


 

 それなのに、ずっと誰かと過ごしていたような情景が断片的に脳裏に浮かんでは消えていく。

 私の大事な人が、家族の他にもいたはずなのだ。


 

 私は何を忘れているんだろう……?


 


「……ごめんね、嫌な質問だったかな」


 

 気の毒そうなルーカスの声でハッとする。その顔は本当に憐れんでいるように見えて、どうやら私は非リアのボッチだと思われたらしい。失礼な。

 暗くなってしまった空気を変えようと、私は口を開く。



「最初にルーカスさんが言ってた、魔法とか呪いの可能性はあるの?」

「十分あると思うけど、どれかと言われると難しいな。それこそ、鑑定とか受ければ別なんだろうけど」

「鑑定?」

 


 私の脳裏にお宝を鑑定する番組が流れ出す。どうでもいい事ばっかり思い出すのだから。


 

「魔法属性の他にスキルというものを持っている人がいるんだけど、その中に鑑定があってね。見た人の状態を知ることができるらしい」

「すごい! それで見てもらったらだいぶ絞れるのでは」


 ようやく進展の手がかりが見つかりそうで私は目を輝かせる。本ばっかり読むのほんと飽きた。漫画読みたい。


 

「そういえば、マリアという子が鑑定スキルを持っていると噂になっていたね」

「マリアって、あの、男爵令嬢の……?」

「知っているの? 彼女はよく鑑定スキルを使ってお金儲けをしているようでね。僕も一度話したことあるから、頼めば鑑定してくれるかもしれない」


 

 スキルでお金儲けしてるんだ。ちょっと私の中のヒロイン像が崩れそうになっている。

 いやでも、悪役令嬢とヒロインが対面するの良くないのでは?

 

 

「えっと、ルーカスさんだけ行くなんて出来ないかなーっ、なんて……」

「鑑定は目の前に当人がいないと出来ないんだから無理だよ。明日彼女をサロンに呼び出すから逃げないでね」



 悪役令息と悪役令嬢に呼び出されたヒロインの図はやばいんじゃないかなぁ。そんなことを思いつつYES以外を認めない彼のオーラに私はこくこくと頷いたのだった。


 

 

 その日はもう家に帰って、手帳を見返すことにした。

 マリアへの怨念は酷かったが、いじめてはいなかったらしい。彼女のことだから一度や二度ぐらい火だるまにしているかと思ったのだが、学園ではルーカスがずっとそばに居るため二人きりで話すことすら出来なかったのではと推測する。

 それでもマリアをこんなに恨むなんて、悪役令嬢の運命なのだろうか。

 とりあえず、表面上は何もしていなかったため明日は何とかなりそうだと私は安心して眠りについた。


 


 そうして迎えた次の日、放課後のサロンにて。

 初めて間近でみたヒロインちゃんはとても可愛らしかった。ふわふわの桃色の髪にはお花のピン留めが映えていて、蜂蜜色の瞳はパッチリしていて睫毛が長い。彼女がはにかめば花が舞うような錯覚がする。



「それでは、ヘレナ様を鑑定すればいいんでしょうか……?」

「そうだね。あと、他言無用でお願いね」

「もちろんです! 依頼料には口止め料も入ってますからね」

 


 お金が入ってあるだろう袋を胸に抱えて満面のを浮かべている。どうやら彼女はルーカスからお金をしっかり貰っているらしい。

 


「それではヘレナ様、失礼しますね。


 『スキル発動、鑑定』」


 

 私に一言声をかけてから、マリアは私の方へ右手を突き出して呪文を唱える。その瞬間、私とマリアの間に四角い光が現れる。

 彼女がしばらく目を見開き何かを眺めたあと、ハッとしたように私たちへと声をかけてくる。

 

 

「これ、初めて見ました……! こちらおふたりにも見えるように表示しますね。


『ステータス、オープン』」

 


 彼女がそう言葉に出せば、私の目の前にゲームのようなステータス画面が空中に現れて私はつい興奮してしまった。

 目を通してみれば名前や生年月日、爵位や魔法属性などが書かれていて、ジョブの部分に悪役令嬢と書かれていた。

 それらを目を輝かせながら読んでいたが、一番下に気になる文言が書かれていた。私とルーカスが同時に息を飲む音がした。


 

『状態:魂交換』



「この魂交換という状態は初めて見ました。

 ……ということは、今ここにいるのはヘレナ様ではないということですか?」

 


 私達は目を見合せて頷き、彼女に事情を説明することになった。

 私が異世界転移などと不可思議な話をしても、マリアは呆れることも取り乱すこともなく真剣に話を聞いていた。

 そうして話し終われば、彼女は唐突に口を開いた。


 

「異世界転移じゃないと思います」

「え?」

「広い意味で言えば異世界転移している状態だと思うんですが、普通の異世界転移者とは別だと私は思います」


 

 どういうことか分からず、私はただ首を傾げることしか出来なかった。そもそも異世界転移に理解があり過ぎではと不思議に思う。

 


「私は今まで色んな人の鑑定をしてきました。

 昔、とある冒険者パーティの鑑定をしたことがあるんです。すると皆さん『異世界転生者』『異世界転移者』の文字が書かれていたんです。


 私がそれについて言及をすれば、気のいい人たちだったので冗談半分みたいに別の世界の話をしてくれたんです。ニホン、だったかな。

 それに嘘の反応はなかったので、私は信じることにしました」


 

 なるほど。話が脱線してしまいそうなので黙って聞いているが、この世界で転生者パーティが冒険者無双してる可能性があり胸が高鳴ってしまった。

 


「それでヘレナ様のステータスなのですが、異世界転移者とは書いてありません。本当はココに書いてあるはずなんです」


 

 そう言って、『悪役令嬢』と書かれた部分を指さした。確かに何度見ても『異世界転移者』とは書いていない。

 


「それにその冒険者達には『魂交換』とは書かれていませんでした。

 呪いや魔法の効果ならそう記載されるはずなので、これはなにか別の儀式か超常現象、異常、なにかの結果の状態だと思います」



 頭が痛くなってきた。結局特定するのは難しそうだということだけがわかったのか。異世界転移してるだけで非現実的なのに、もっとヤバいワードが沢山出てきている。

 


「私が分かるのはここまでですね」

「いや、ありがとう。助かったよ」

 


 ルーカスはそう言って笑みを浮かべてお礼を言い、私も深々と頭を下げた。公爵令嬢が頭を下げるなとルーカスに怒られ、マリアはくすくす笑っていた。


 

 明日からは魂交換について調べていこう、という話になって今日は解散になった。


 

 それからまた図書館で魂交換について調べる日々になり、私はヒィヒィ言いながら本を開いていた。

 変わったのは、マリアもたまに話しかけてくれるようになったぐらい。彼女は彼女で転生や転移、魂交換について調べてくれているようだ。

 


「交換って表現が引っかかるんですよね」

「引っかかるって?」

「召喚とかではないんだなと思って。召喚は無理やり連れてこられた感がありますが、交換というと両者が願ってなされたような気がして」

「なるほど」


 二人とも速読して物凄いスピードで本を見ているのに会話まで出来てすごいと思う。私は会話を聞きながら文を追うだけで精一杯なのに。


 

「レイナ様は精神だけが異世界に来てしまった、魂が交換されてしまったという事について何か心当たりありませんか?」

「ふぇ?」


 急に話を振られてしまい、変な声が出てしまった。

 二人の目線が突き刺さって居心地が悪い。本を読む手を止めて、うーん、と頭を巡らせるがよく分からない。

 

 

「……でもそうだな、異世界に行きたいって思ったことは何回かあるかなぁ」

 

「そうなんだ」

「そうなのですね……」



 私の言葉に二人から少し哀れみのオーラを感じたので、私は焦って両手を横に振る。非オタの二人にオタクの気持ちが伝わらないのが悲しい。

 


「あのね、私の世界では異世界に行く内容の小説が人気なんだ。だから憧れみたいな感じで、そう思ったことがある人は結構いると思う」

「勇者の冒険譚を読んで、ドラゴンを倒したり魔王を倒すのを夢見るような感じか」

「そうそう!」

「なるほど、やっぱり違う世界なので文化が違うんですね」


 

 何とか理解してくれて嬉しくなる。私も今見てる魂の原理とかいう難しい本じゃなくて、勇者の冒険譚が読みたい。

 

 

「しかしその場合ヘレナはどうなるんだろう。僕らとしてはあまり異世界という単語すら聞き馴染みがないのだけど」

「確かに。この世界で生まれ育ったヘレナが異世界に行きたいと願う可能性は低い気がするね」


 

 言いにくそうな顔をしたマリアが、おずおずと口を開く。

 

 

「例えば……どこかここでは無い場所に逃げたい、と願ったとか」


 

 そのマリアの言葉を聞いたルーカスは表情を曇らせる。

 ヘレナの両親のことを思い出したのかもしれない。数週間経った今でも、私がヘレナの両親に会うことは一度もなかった。


 

 あの広い屋敷の中でヘレナは一人、何を思っていたのだろう。



 

 

 結局その日も手がかりは見つからず家に帰った私は、ぼんやりとドレッサーの前に座っていた。

 何故か分からないけれど、ここが一番落ち着くのだ。ぼんやりとした顔のヘレナが鏡に映る。


 

 何だか手持ち無沙汰で、引き出しを開いた。美しい化粧品やアクセサリー、香水などが並べられている。まるでひとつの宝石箱の様だ。

 しかし、下の引き出しを開けば中身が乱雑としていた。不思議に思いよく見てみれば、ゴミまで入っていた。

 捨てようと手に取ってみれば、それはぐちゃぐちゃに手帳の切れ端だった。ハッとして引き出しを漁れば、何枚か見つかった。


 

 にじんだような跡は涙だろうか。破らないようにそっとくしゃくしゃになった紙を全て伸ばしていけば、掠れた文字が書いてあった。


 

 私がこの世界に来た前日の日付から文が始まっていた。

 朝食のメニューからその日の授業のこと。そして、隣にいるルーカスのことが書かれていた。

 放課後のところから、彼女の綺麗な文字が乱れていた。


 

 ルーが先生に呼び出されて少しの間教室で待っていることにした、というところは彼から聞いていた通りだ。



『その日は風が強かったから、開いていた窓を閉めようと窓に近づいた。すると、中庭を歩いてたルーを見つけた。

 私は声をかけようとして思いとどまった。


 

 ルーが誰かと話していたからだ。彼が誰かと沢山話しているのが珍しい。

 話していたのは、何故だか気に入らない男爵令嬢のマリアという女子生徒。彼女と話していると言うだけで腹が立って、帰ってきたら文句を言おうと思っていた。

 でもすぐに頭が真っ白になった。


 

 彼が、笑っていたのだ。


 

 ルーが他の女に笑いかけているところを見たことがない私は、倒れそうになった。だからその日は、そのまま帰宅することにした』





 その後は、ひたすらルーカスへの愛が書かれていた。

 最後の紙片には一番ぐしゃぐしゃにされていた。

 

 

『ルーも、やっぱりマリアみたいな可愛い子の方がいいのね』


 

 ルーカス、お前のせいやないかい!


 

 そうしてその後の行動についても書かれていて、私は目を細める。


 

 そうして私はマグマが燃えるような怒りを感じる。身体の感情に引っ張られているのか、玲奈である私が怒っているのかは分からなかった。


 

「『燃えろ』」

 


 自然と言葉が口から溢れて、手に持っている紙は全て燃やした。

 


 悪役令嬢である強いヘレナの、ここだけで見せた本音や弱み。そしてルーカスへの溢れんばかりの愛を綴った紙は全部燃えた。彼女の想いは私とヘレナしか知らなくていい。

 絶対ルーカスには見せてあげない。それがヘレナを不安にさせたルーカスへの罰だ。


 

 よし明日ルーカスにじっくり問い詰めてやると息巻いていれば、耳鳴りがする。魔法を使ったのが良くなかったのか。

 だんだんと頭が痛くなっていく。最近頻度が多くなっている気がするが何なんだろう。もう一度医者に見てもらうべきだろうか。寝れば良くなるだろうかと思ってベッドに横になる。


 

 そうすれば、それまでの痛みが嘘のように私は微睡みの中に吸い込まれていった。






 


 心臓に悪いスマホのアラームで、また朝が来たかと嫌々ながらゆっくり目を開ける。



 寝ていたのは天蓋付きの可愛らしいものなんかじゃなく、家具量販店で買った普通のベッドだ。枕元に置いていた推しのぬいぐるみが床に落ちている。

 部屋を見渡せば本棚には小説ではなく漫画が並べられていて、学習机にはアニメグッズが並べられている。16年もお世話になった見慣れた私の部屋だ。


 

 何だか長い夢を見ていたなと思いつつ、私は歯を磨き冷たい水で顔を洗ってスッキリする。

 昨日も寝落ちるまでネットで異世界転生系の小説を読み漁っていたから、影響して変な夢を見たのだろうと笑う。


 

 昨日コンビニで買っていたおにぎりを口に放り込み、リボンが可愛いブレザーの制服を身に纏う。母から貰ったお気に入りのドレッサーの前で軽く寝癖を直し、眉をかいて、リップをすれば準備は終わる。

 誰もいない家に「行ってきます」の言葉は必要なく、素早く鍵を閉める。


 

 雪が降り始めた季節のため、自転車で登校出来ない分早めに登校しなければいけない。推し活をしている私は毎日のバス代も馬鹿にならないのだ。

 息が白くなる。マフラーを巻けばよかったなと後悔しながら、戻るのは面倒なので歩みを進める。

 


 冬は徒歩のため学校まで着く時間がいつもより長くなるのは好きだった。この先の曲がり角の奥で、私は大好きな人と毎朝待ち合わせをしているのだ。


 

 ミルクティーベージュの髪はふわふわと柔らかくて、タレ目で穏やかな顔には丸眼鏡がかかっている。

 二つ年上のとっても優しくて大好きな私の幼なじみだ。


 

 名前は…………あれ、何だっけ。

 何年も一緒に居る大事な人なのに、何で忘れているのだろう。まだ寝ぼけているのかな。


 


 曲がり角の先を覗けば、いつも通り私を待つ彼がいた。

 でも、その隣に誰かが居る。リボンの色的に三年の先輩だ。ということは彼と同学年で、同じクラスなのかもしれない。


 

 彼女は早朝だというのにメイクもバッチリで、睫毛は長く肌も綺麗で、笑う口元は艶やかで色っぽい。髪は綺麗に巻いてある上に編み込みがされていて髪飾りも合わせると一つの芸術品のようだった。

 桃色のカーディガンを羽織り、白色のマフラーをリボンみたいに結んでいて全てが可愛い。ミニスカ姿は見ているだけで寒そうだが、足が綺麗だなと女の私でもつい目にしてしまう。



 メイクは最低限。髪は梳かしただけ。お下がりの紺色のカーディガンはブカブカで、下は膝までのスカート丈に裏地モコモコの透けないタイツを履いている。

 そしてマフラーを忘れ鼻水を垂らしているような私では、女として到底勝ち目のないと思う。




 気付かないふりをしてすぐに彼の元へ行けばよかったのに、私の足は止まってしまった。きっと幼なじみはいつものようにふんわり笑って「おはよう」と声をかけてくれて、隣にいる人を紹介して、普段通り一緒に登校してくれただろう。


 

 でも出来なかった。その女の人が、私の大好きな幼なじみに抱きついたのだ。


 

 目の前が真っ白になる。足元が崩れるような感覚がする。




 

 違う、これは今の光景じゃない!



 だって私はこの日を知っている。待って、今日は何時なの? なんでもう一度見なくてはいけないの?

 ぐるぐるぐるぐると頭の中を私の言葉が、今の光景が行き交い気持ち悪くなってくる。

 


 

 それで私はその後、どうしたんだっけ。






 

 ハッと目が覚める。



 そこは見慣れたとは言いきれない、フカフカの天蓋付きのベッドの上である。ノロノロと起き上がれば汗がびっしょりで気持ち悪い。耳鳴りが治まらない。


 

 もうどっちが夢なんだか分からなくなってきた。

 でも、さっきまで見ていたのはこの世界に来た前日の出来事だと思い出す。ずっと忘れていた。いや、思い出さないようにしていたのだ。



 

 全部、思い出した。


 

 朝食を食べる気になれず、着替えた私はそのまま馬車に乗った。気分の悪さを誤魔化すように目を閉じて、学園へと向かった。ふと、思い立って私は手帳に記入をした。揺られながらなのでガタガタになってしまったが仕方ない。

 

 馬車から降りればルーカスがこちらへとゆっくり歩いてくる。



「おはよう」

「……おはよう」

「何だか具合悪そうだね、大丈夫?」

「なんだか夢見が悪くて。それより多分元に戻る方法が見つかったから、放課後に話すね」

「えっ、本当に!?」

 


 私の言葉にいつも冷静な彼の声が大きくなった。

 喜びに満ちたルーカスの笑顔が、幼なじみの優しい笑顔に似ていて目を背けたくなった。


 

 放課後、そわそわとしたルーカスと共にサロンへと辿り着いた。ここに来るのも最後になるだろう。



「まずルーカスさんに聞きたいことがあるんだけど」

「何かな」


 

「ルーカスさんは、マリアさんじゃなくてヘレナさんが心から好きなんだよね?」

「勿論。なんで当たり前のことを聞くのかな」

「どうしてヘレナさんのことが好きになったの?」


 

 私はルーカスの問いには答えず、真顔のまま質問を続けた。

 

「自分の陰口を叩いた人間を片っ端から火だるまにしているのを見た時からかな。

 それで憧れて僕が付きまとうようになった。ヘレナはとってもかっこいいけど、甘いものが好きな可愛いところもあって。知れば知るほどどんどん好きになったんだ」

 


 私はその話を聞いて、笑みを浮かべてルーカスへと近づいて胸ぐらを掴んだ。


 

「ルーカスさんねぇ、そんなに好きなら裏から手を回すんじゃなくて直接好きって伝えなさいよ!! そうじゃないとある日突然ぽっと出の女に取られるのよ!?」

「女に!?」


 

 おっと、あの女の先輩を頭に浮かべてたから間違えたや。

 誤魔化すように咳払いをして、私は言葉を続ける。


 

「親御さんに反対されてるからって、好きって言っちゃダメっていう決まりはないでしょ。逃げだよ、逃げ!

 ルーカスさんはきっと隣にいるだけで幸せだったんだろうけど、女の子は好きって言われたいんだよ!」


「……そうだね。その通りだ」


 

 激怒して爆破される可能性も考えていたが、彼は少し黙った後にそう頷いた。

 ルーカスの覚悟の決まった顔をみて私は笑って手を離した。勝手に勇気も貰っておく。



「私も、逃げるんじゃなくてちゃんと失恋してくる」


 

 私の言葉に、ルーカスは目を丸くした。私はバツが悪そうに笑みを浮かべる。


 

「やっと思い出せたの。私、元の世界で好きな人と向き合うことから逃げてきたんだ。でも現実逃避はおしまい。早く帰って彼に好きって言わないと」

「……そっか。じゃあこれから僕達、全てが元に戻ったら頑張らないとだね」


 

 私は頷き、拳を前に出す。

 

 

「何をしているの?」

「私の世界で、頑張ろうねっていう合図みたいな……」



 私がそう説明すれば、ルーカスは少しだけ笑った。

 サロンに、コツンと拳がぶつかる音が響いた。


 


 最後に、お世話になったマリアにも別れの挨拶をすることにする。二人きりで話したいと言えば、了承してくれた。

 突然の呼び出しと、帰るということを告げてもマリアは驚かなかった。その微笑みはいつかこの日が来ると分かっていたかのようだ。


 

「レイナさん、元の世界に帰れるんですね」

「うん、マリアさんの鑑定のおかげだよ。ありがとう」

「いえそんな……私はお金に見合った働きをしたまでです」


 

 マリアは変わった方向の謙遜をしながら、私をじっと見つめていた。


 

「私がレイナ様と仲良くなれたように、元に戻ったらヘレナ様と仲良くなるのは難しいのでしょうか」


 

「実は私のステータスには『ヒロイン』って書かれているんです。ヘレナ様には『悪役令嬢』と書かれているのが関係してるのかなって」


 

 そう言って彼女は目を伏せた。私が戻ったあとの世界はどうなるのだろう。悪役令嬢のヘレナがマリアをいじめて、断罪される未来しかないのだろうか。

 ううん、私は山ほど読み込んだネット小説を頭に思い浮かべる。

 


「大丈夫だよ!! 最近ではヒロインと悪役令嬢が仲良くなるハッピーエンドや、親友になる話や、百合ルートまであるんだから!」

「……言ってる事の半分ぐらいは分からなかったですけど、励ましてくれてるんですよね。ありがとうございます」


 

 私はオタクっぽく熱く語ればちょっぴり引かれた気がする。でも、ちゃんと私の思いは伝わったようだ。

 

 

「あ、でもマリアさんってルーカスさんが好きだったりとか……」


 

 それだったら難しいかもしれない。修羅場で火だるまになることだろう。

 私が恐る恐るそう聞けば、きょとんとした顔をした後、盛大に笑い出した。

 


「あー、おかしい。ルーカス様が毎日ヘレナ様を溺愛しているのを見ていて、そこに横恋慕するほど図太くも馬鹿でもないですよ。私は愛される玉の輿狙いなんです」


 

 そう言ってウインクをされて、美少女パワーにドギマギする。発言はヒロインっぽくないけど。

 


「じゃあそれをヘレナさんにも伝えたら、案外仲良くなれるんじゃないかな」

「そうだったら嬉しいです。頑張ってみますね」


 

 そういってマリアは笑い、握りこぶしを作った。それからしばらく話し込んだ後、そろそろ帰らなくてはいけない時間になってしまった。


 

「それではレイナ様、どうかお元気で」

「マリアも元気でね」


 

 私達は抱きしめあった後に、自然と微笑む。

 そうして名残惜しさを覚えながら、その場を後にした。


 

 近くで待っていてもらったルーカスと合流し、公爵邸へと向かう。彼と同じ馬車に乗るのはこれで二回目だ。

 この後のことを考えて、どこか緊張を解すように二人で他愛のない話をしていれば家に着くのはあっという間だった。


 

 ヘレナの部屋の前の廊下で彼はやはり戸惑ったように立ち止まる。



「いくら何でもヘレナの部屋に勝手に入るのは……」

「ヘレナさんも、目が覚めて一番最初に見るのはルーカスさんがいいと思います」

「……そう、かな」

「そうですよ」


 

 私は笑ってルーカスを部屋に引きずり込み、扉を閉める。

 貴族的にはあまり良くないらしいが、既成事実として上手くやれと心の中で思う。ごめんヘレナ。



 そうして私はドレッサーの前に立つ。これで失敗したらめっちゃ恥ずかしいな。


 

「ばいばい、ルーカスさん。ちゃんとヘレナさんに愛伝えなきゃ駄目だよ!」

「じゃあね、レイナ。言われなくてもそうするつもりだよ。君も頑張ってね」

「うん!」

 


 きっと彼ともう二度と会うことは無いだろう。

 またねとは言わず、幸せになれとお互い目で伝える。私達にはそれで十分だった。


 

 そして私は鏡に飛び込んだ。否、体と魂が分離しているのだ。鏡面に衝突することはなく、世界が歪み、光で溢れて目をつぶる。浮遊感のある中で、私は意識を失った。





 


 あの日、私はショックでずっと部屋で泣いていた。

 


 私が大好きな、佐々木琉生くん。

 近所に住んでいた二つ年上の彼は、人見知りで友達の出来なかった私の面倒をずっと見てくれていた。優しい彼に私はすぐに懐いて「るい兄」と呼んで彼の後ろをついて回っていた。


 

 学校でいじめられた時は守ってくれて、お母さんが亡くなって泣いてる時は抱きしめてくれて、お父さんが仕事に明け暮れるようになって寂しい時はそばに居てくれた。

 それで好きにならないわけがなかった。



 

 私はるい兄が女の先輩を抱きしめているところを見てしまった後、ぐるりと家まで走って引き返して、チェーンまでかけて引き篭ったのだ。もしお父さんが帰ってきたら大変だなんて思いつかないほどショックで、ただ一人で居たかったのだ。


 

 鍵垢でぐちゃぐちゃの心情を書き殴ってスマホを放り投げて、泣き腫らした顔で私はドレッサーの前に座った。

 可愛らしいと言われれば聞こえがいいが、タヌキのような童顔で舐められやすい顔。身長もかなり低く、ツルペタの幼児体型。

 大人っぽい彼の隣に相応しくないとずっと思っていた。


 

「もっと大人っぽくて、自信に満ち溢れたような強い美人に生まれたかった」


 

 ポツリと弱音を零して、そっと鏡に触れる。

 私がお母さんの形見のドレッサーに語り掛けるのはいつもの事だった。



 その時、鏡にぐにゃりと飲み込まれる感覚がした。驚きで悲鳴を上げる間もなく、強い光で気を失ったのだ。



 

 大人っぽくて美人な人になりたいと願った私はヘレナの身体に。

 可愛らしい女の子になりたいと願ったヘレナは私の身体に入ってしまったのだろう。

 


 私達はただ、好きな人の隣に並びたかったのだ。

 ねぇ、きっと私達が似ているから入れ替わることが出来たんじゃないかな。もし出会うことが出来たら友達になれたかもしれないね。


 

 さようなら、ヘレナ。どうか幸せになってね。


 

 

 

 目をそっと開ける。見慣れた、でもちょっと懐かしくて泣きそうになる私の部屋。

 私の手を握っていたのは、大好きな幼なじみだ。


 

「るい兄……?」

「玲奈!!」

 


 私が目を覚ましたのに気がつくと、ギュッと強く抱きしめられる。彼の柔軟剤の優しい匂いが好きだったなと思い出して、私も抱き締め返した。


 

「目が覚めて良かった。玲奈に何かあったらと思うと……」


 

 抱きしめられているから、彼の体が震えているのが伝わってきた。ずっと心配させてしまったのだろう。


 

「あのね……るい兄にはもっと大人っぽくて美人な人が似合うんじゃないかって思って悲しくなって、現実から逃げようとしちゃったの」

「どうしてそんな」

「あの朝、るい兄と女の先輩が一緒にいるのを見て、抱きしめてたから」



 私がそう告げれば、この世の終わりかのように彼は青ざめて首を横に振った。


「違うよ! あれはあの人が足を滑らせたのを支えただけで、神に誓っても彼女とは何も無いよ。信じて欲しい」

「そうだったんだ……」



 良かったと安堵するが、ただの幼なじみである私はそもそも傷つく権利すらないのだ。

 私はいい加減勇気を出さなくてはいけない。



 

「あ、あのね私……るい兄のことが、」


 

 ルーカスには失恋してくると豪語したくせに、本人を目の前にすると好きの一言が言えなくて口ごもってまう。

 小さい頃から好きで、初恋だったのだ。告白もした事がなかった。

 


「それは、期待してもいいのかな」

「るい兄……?」


 

 るい兄の黒い瞳が私をとらえていた。気がつけば腰に手を回されてあと数センチでキスができるような距離まで近づいていて、私は思わず息を飲む。



「女の子に言わせちゃだめだよね。本当は玲奈がもう少し大人になってからしようと思ってたんだけど」


 

 そういって、彼は息を大きく吸い込んだ。たった数秒の事なのに永遠の時のように長く感じられた。


 

「ずっと前から玲奈が好きだよ。僕と付き合ってください」



 いつも穏やかな笑みを浮かべている彼が、真剣な顔でそう告げた。髪から覗いた耳が赤くなっていて、真実なのだろうと思う。

 その言葉を理解した途端、私は嬉しくて涙が溢れてきた。


 

「わ、私もずっと……好きだったの」

 


 泣きじゃくりながら何とかそう伝えれば、るい兄の頬が赤くなり優しい笑顔を向けられる。

 彼の綺麗な手が伸びてきて、いつもの様に頭を撫でるのかと思っていれば、後頭部に手を添えられた。そして唇にふにっと柔らかい感触がした。

 私の、ファーストキスだった。



「本当に嬉しいよ」

 


 私が多幸感でふわふわとしていれば、何度も頭を撫でられた。



 

 

「……本当に、あの女が玲奈の身体に入った時に殺さなくてよかった」


 

 私は世の中の鈍感ヒロインちゃんではなかったので、全部鮮明に聞こえてしまった。しかし、今までの私は鈍感だったのだろう。

 決して痛くは無いけど振りほどくのは難しい腕に抱かれ、私は彼に擦り寄った。ヤンデレが暴走したら怖いとあちらの世界で学んだのもあるが、私がそうしたいのだ。

 ずっと好きだった人とやっと両思いになれて、私は世界一幸せなんだから。



 

 もしかしたら私に転移したヘレナ様も今まで私と同じ目にあっていたのかな、なんて思ってしまった。

 何なら今も愛が重い彼の腕に捕まり、幸せで笑っちゃうのような状況も同じかもしれないなと思う。

 私が手帳に残した、『お幸せに!』という文字は読んでもらえただろうか。



 この後、どこにしまったかも忘れていた買っただけで満足した中身真っ白な手帳が、机にポツンと置いてあるのを見つけた。

 ヘレナが異世界転移してからの日常が綺麗な文字で詳細に書かれていて、笑みを浮かべながら読むことになったのはまた別のお話。

 

 




 最後まで読んで頂きありがとうございました!



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 下にある☆☆☆☆☆から、作品への評価・ブックマークで応援お願いします!

 どんな評価でも嬉しいので、読んで思ったままの素直な評価で大丈夫です!





 また、

 『冷徹な完璧令嬢は、愛しき愚かな王太子を手玉にとり裏の支配者になりました~「仕事と俺、どっちが大切なんだ……?」と婚約者に聞かれたので抱きしめておきます~』

 

 という作品を、短編と連載版(完結)でどちらも投稿しています!良ければ見て頂けると嬉しいです。



 これからも異世界恋愛モノの物語を投稿していくのでよろしくお願いします!

 

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