9話
本日2回更新予定です。
詰所に到着し、真っ先に目についたのは剣を大振りしている父の姿だった。豪快な太刀筋は父の得意とするところだった。しかし瞬発力の高いピギーグにとは相性が悪い。戦い方を変えなければならないはず……なのに、父は頑なに変えようとしていない。
そうこうしているうちに父は一匹に狙いを定めた。駆け出し、大きく剣を振り上げる。
「だめ……!」
私は思わず地面を蹴っていた。
案の定、父の斬撃はピギーグにかわされ、剣が地面に突き刺さった。
すぐに体勢を整えなければ……! だが父は呆然と迫りくるピギーグを眺めているだけだった。
――お父様、どうして逃げないの!?
そのままでは直撃だ。ピギーグの衝突の威力をまともに食らうと同時に、鋭い角や牙が容赦なく突き刺さるだろう。
「――お父様!」
「リーフェ! 忘れもんだ!」
私の叫び声に父が身を捩った。
同時に背後から聞こえるヴィートの声と風を切る音。すぐに私の頭上に何かが飛んできた――ヴィートが投げた剣だ。ちょうどよく勢いを失い落ちて来る柄をつかまえると、私は一気にピギーグの首に振り下ろした。マドヴォルフに比べて重い手ごたえ。小さく「ピギ」と鳴きながらピギーグの首は飛んでいった。
一方、父は魔獣の牙をくらった左腕を抑えながらうずくまっていた。
幸いピギーグは毒を持たない種族だ。止血さえしっかりすれば命に別状はないだろう。ただし形の変わっている肩……。そちらはもう元通りに動かせないかもしれない。
「リーフェ……」
「……遅くなりました」
掠れた声で私を見上げる父は老人のようだった。
すっかり年を取り、すがるものは自分の輝かしい過去だけだったのかもしれない。ただ、それは私が壊してしまったが――
「あらあら。こりゃなんと、こっちも重傷じゃないですか」
父を前に立ちすくむ私の後ろからヴィートの呑気な声が聞こえてきた。振り向くとヴィートは両肩にそれぞれ兵士を抱えていた。兵士たちは意識がないようで、地面に降ろされてもぐたりとしている。
「骨はめちゃくちゃですけど、一応生きてますんでご安心を」
どうやら襲われていたところを助けたらしい。ヴィートは袖口に残る魔獣の残骸をぴんっ、と指先で払った。
「ありがとうヴィート。けど、剣の渡し方はもう少しやり方があったんじゃないかしら」
「でも距離も勢いもピッタリだったろ?」
「そうだけど……」
「……お前たち、何をしに来た」
呻くような声にハッと振り返ると、駆け寄った兄に支えられた父がこちらを睨みつけている。
「手柄は貴様らにくれてやる。だが今すぐここを立ち去れ」
「父上っ? そんなことを言っている場合じゃないでしょう! この状況では少しでも戦力が必要です」
「いや、戦わせるわけにはいかない」
「父上!」
父の発言に兄が驚きながら諫めるも、聞いているこちらは呆れるしかない。この期に及んでそんなそんなことを言いだすとは。
誰もが何も言えずにいると、父は兄を押しやり、よろよろと地に手をついた。
「頼む、リーフェを戦わせないでくれ」
「っ、お父様……」
「もう私は見たくない。これ以上惨めにさせないでくれ」
肩を震わせる父に息が詰まる。こんなに父は小さかっただろうか。憧れていた父の面影はもはやどこにもない。今の父は何もかも私になすりつけることで、自分を守ろうとしている。私は知らず知らずのうちに剣の柄を固く握りしめていた。
「……ずいぶん勝手なことを仰るものね。お父様を惨めにさせたのは私じゃない、お父様自身よ」
「……っ?」
「お父様が勝手に比べて勝手に落ち込み、勝手に私を敵視していただけでしょう。私を巻き込まないでください」
「な、なんだと……」
顔を上げた父の顔には怒りがありありと浮かんでいた。
しかし私たちはそれ以上会話を交わすことはなかった。ヴィートがずいっと私と父の間に割り込んだからだ。
「ほらほら、立ち話は止めましょ。俺たちはあんたのご機嫌取りに来たんじゃない、魔獣と戦いに来たんですよ。つーか、こんなん倒したところで手柄になるって本気で思ってます?」
「――ピビャァァ!」
甲高い鳴き声が響く。父の流す血のにおいに気づいたのだろう。見れば一頭のピギーグが応戦していた兵士を跳ね飛ばし、興奮した様子でこちらに突進してくるところだった。
剣を構えようとする私よりはやくヴィートが一歩進み出た。
「真正面から来んのはあんまり好きじゃないんだよなぁ」
ぶつぶつ文句を言いつつもヴィートの表情は余裕が満ちている。その隙に私は兄に声をかけ、父たちを建物の中に避難させるよう促した。
だが、父は何も持たずに魔獣に立ち向かおうとするヴィートに気づいたらしい。
「おい! お前、なぜ剣を持たない!」
「えっ、今それですか?」
その間にもピギーグの鋭い角がヴィートの目の前に迫る。頭を振り回し、涎をまき散らしながら突進してくる魔獣は目の前の獲物に歓喜の咆哮を上げた。それが最期の咆哮となることを知らず……。
「ビギュアァァァッ!」
「うっせーな。一生口閉じてろ!」
ピギーグの牙が濃紺の騎士服に触れる。しかしその牙はヴィートの肉を切り裂くことはできなかった。ヴィートの拳が鼻先に叩きこまれる。ヴィートの放った打撃の衝撃とスピードに乗ったピギーグの自重がぶつかり合い、バシャーンと大きな音を立てて魔獣の頭がはじけ飛んだ。
吹き飛んだ肉片が周囲にビシャビシャと音を立てながら落ちる。
私は自分の頬にもへばりついたそれを手の甲で拭った。同時に無意識に持ち上がっていた口角に気づく。早く私も……と胸が疼くのを必死で抑えていると、 ふ、とヴィートがこちらを向いた。
いたずらそうに細められた黒い瞳が私を捕らえると、形の良い唇が動きだけで言葉を紡ぐ。言い終えるとヴィートは挑むような眼差しを向けて来た。
――望むところよ。
私は未だ顔についた肉片を拭うこともできず、呆然としている父に声をかける。
「……お父様」
「……っ!」
はっと我に返った父に、私は久しぶりに笑顔を向けた。
「私に剣を振るう喜びを教えてくれてありがとう。でもごめんなさい、私は普通の令嬢らしくはできないの」
「な……っ。『出来損ない』のままで生きるというのか!?」
カチャ、と音を立てて私は剣の柄を握り直した。ヴィートがピギーグを倒す様子を見たのだろう。助けを求めてこちらに何人もの兵士たちが逃げて来る。そして彼らを追いピギーグもこちらに向かってくるのが見える。
――本番はここからね。
ヴィートもぴょんぴょんと飛び跳ね、体勢を整えている。私は滾る胸の感覚にふるりと身を震わせた。父はさらに何か言おうと口を開いたが、それより早く私はヴィートの元へ駆け出した。
「もちろん。私は彼と一緒に『出来損ない』のまま生きるわ!」
「リーフェ、行くぞ!」
「ええっ、行きましょう!」
戦いに向かうには似つかわしくない弾んだ声が響く。
必死に逃げる兵士たちが驚いた顔で視線を向けて来るのは、私が満面の笑みを浮かべていたからだろう。
突進してくる魔獣をすんでのところでかわし、脳天に剣を叩き込む。間髪入れずに持ち手を返し、剣を振り抜きながら横から飛び掛かって来る一頭の首を力いっぱい飛ばす。
「はあぁぁっ!」
「グビャァアアァ……ッ!」
二匹のピギーグが断末魔の叫びを上げながら形を失くしていく。ころりと姿を現す魔石は相変わらず美しい輝きを放っていた。
なぜ魔獣は人を襲うのだろう。
それに最近の出現率はこれまでと全く違う。何か良からぬことが起こっているのかもしれない。
そんなことが胸をよぎったほんの一瞬、私はすっかり油断していた。ずんっ、と背中に重さを感じる。
「さすがだねぇ」
「――っ?!」
耳元を低い囁きがくすぐった。あ、と思った時には私の背中を踏み台に、弾みをつけたヴィートが宙に舞い上がる。ヴィートは青い空を背ににやりと笑うと、落下しながら固く組んだ両手をピギーグの頭上に振り下ろした。
「グ、ガッ」
鈍い声を上げながら頭を潰された魔獣はぼろぼろと崩れていく。その中でゆっくりと立ち上がりながら、ヴィートは清々しい笑い声を上げた。
「はははっ、驚いたか! ぼーっとしてんなよ。あと少しだ、さっさとやっちまおう」
ああ、この人はなんて――
胸をぎゅっと締め付ける思いを吐き出すように、私は声の限り叫んだ。
「ヴィート! 私、最高に楽しいわ!」
「そりゃよかったな。けどこれからはずっと俺と一緒なんだ。こんなもんじゃ済まねぇからな」
「望むところよ!」
私は再びヴィートの元へ足を踏み出した。
*
この日、空に赤い狼煙が上がったのと時を同じくして、辺境伯家から盗まれた黒い馬が満身創痍の辺境伯を乗せて厩舎へと戻った。今回の魔獣討伐に関して辺境伯は何も語らず、長男であるベルナンドが後処理を含めすべてを引き継ぐ形となった。
一方、辺境伯家の三女リーフェが屋敷に戻ってくることはなかった。
行き遅れの「出来損ないの令嬢」は、父の命に逆らった罰として自らこの地を離れる選択をとったらしい。とはいえ背の高い彼女は目立ち、行く先々で人々の記憶に留まった。ただ悲壮な様子は全くなく、傍らの騎士と幸せそうに笑い合う姿が印象的だった、と人々は語るのだった。
最終話は本日18:30に予約投稿しています。
次話で完結となります。