7話
項垂れて動かなくなった父の部屋を離れた私たちは、庭のガゼボに向かった。並んで座った私たちは何となく父の話題を避け、手紙の話題になる。
「じゃあ何度か手紙を送ってくれていたの?」
「むしろなんで送らねぇと思うんだか。結婚申し込んでるっていうのに」
「そ、そうよねっ。結婚を――」
きっと父が命じていたのだろう、どうやら手紙は私に届いていなかっただけらしい。唇を尖らせるヴィートに私は慌てて頷いた。
しかし「結婚」と口に出した途端、急に妙な気恥ずかしさに襲われる。さっきまで父と対峙していたのが嘘みたいなふわふわとした感覚。落差に眩暈が起こりそうだ。
ああ、でも……と私は気づいた。
ふわふわとしているのは、きっとこれまで着ていた鎧を脱いだせいだ。
いつしか着ていた「出来損ない」の鎧。
それを着ていれば誰も傷つけずに済んでいた。特に父は私を「出来損ないの令嬢」にしたかったのだろう。自分が傷つかないために。
けれど私は違った。ずっと苦しかったのだ。その証拠に今、こんなにも軽やかな気分になっている。
――もし彼と出会えなかったら。
ちらりと横と見ると、愉快そうに細められた黒い瞳と視線がぶつかる。でも咄嗟に私の口からとびだしたのは可愛げのない言葉で……。
「……見ないでちょうだい」
「はははっ、そりゃ無理な話だな」
「もう……ふふっ」
ケタケタと笑うヴィートにつられて、私もつい笑い出してしまう。
――ああ、幸せだな。
私の胸にじんわりと広がる温かさ。まだ彼のことを何も知らないのに、笑い合うだけで深く分かり合えているような気すらする。
「そういえばすごいわね。近衛騎士団なんて」
「手っ取り早く出世するなら団長たちをぶっ飛ばすしかないと思ったんだよ」
団長たちにしてみれば災難だっただろう。きっとこれまで格下だと思っていた騎士に挑まれ、気づけば地面に転がされていたのだろうから。しかしこれで彼が「出来損ない」と呼ばれることはないはずだ。あれほどの力を持つヴィートが正当に評価されることは素直に嬉しい。
本当に良かった、としみじみしていると目の前にスッと手が差し出された。
「そんで早くここに来たかった」
「え?」
見れば固い表情のヴィートがジッと私を見つめている。
「リーフェ様を迎えに来たかったんだ。とはいえ何にも考えてないから、ひとまず王都に行くことになるけどな」
「ヴィート様……」
「様、はいらねぇ。そのままでいいよ」
「……ヴィート。ありがとう」
ひんやりとした彼の手を取り、名を呼ぶと胸の底から喜びが湧き出してくる。笑顔を向けると、小さく息を吐きヴィートは表情を緩ませた。
「はー良かった。リーフェ様にここで断られたらどうしようかと思ってたんだ」
「断るわけ無いでしょう?」
どうやらヴィートは思いのほか心配性だったらしい。
彼が心配するのは私に関することだけだと知るのは少し先のことだが、この時は決まり悪そうに頭を掻くヴィートが愛おしくて仕方なかった。
「……リーフェでいいのよ。私たち、結婚するのでしょう?」
「へっ?」
私の言葉にヴィートが間抜けな声を上げた。
「私はあなたが良いのよ。私にはヴィートしかいないわ」
「……くくっ。そうだろ」
いつしか、からかい混じりに言われた言葉を返せばヴィートの唇が楽しそうに持ち上がる。
「俺と一緒ならリーフェは一生楽しく生きてけるはずだぜ。約束する」
「それは楽しみだわ。結局、私は『出来損ない』のままだけどよろしくね」
「はははっ! それならなおさら楽しいや」
はっきりと見えるヴィートの表情は心から楽しそうだった。きっと私も同じように微笑んでいるはずだ。大きな手をぎゅっと握ると、同じくらい強く握り返される。
――ああ、この時間がずっと続きますように。
そう思ってしまうほど幸せな時間だった。
森の奥から立ち上る白い狼煙を見つけるまでは――。
*
森の奥には辺境伯家が派遣した兵士たちの詰所がある。
緊急時、つまり魔獣の襲撃の際は狼煙を上げて知らせる決まりになっていた。白は襲撃、そして赤は討伐完了の合図だ。私たちがマドヴォルフの襲撃を受けた時には、それすらも出来ないまま壊滅させられてしまったそうだが。
辺境伯家の門前では装備を整えた兵士たちが父の指示を待っていた。父に代わって指示を出せる立場である兄は、先日の襲撃の後処理でまだ詰所から戻って来ていない。だが兵士を連れて行っているうえ、狼煙を上げる余裕もあるようだ。
でも……と私は空を見上げた。青い空に伸びる白い狼煙が赤に変わる気配はない。増援を急いだほうがよさそうだが、なかなか父は姿を現さない。
私とヴィートは少し離れた庭の中からその光景を見ていた。
「一体お父様はどうしたのかしら。早く向かわせないと」
「迷ってんじゃねぇの」
「え?」
「自分も行くかどうか」
「それ、どういう――」
私がヴィートの言葉を理解するより早く、勢いよく屋敷の扉が開いた。中から現れたのは武具を身に着け、戦う準備を整えた父の姿だった。
父の姿を認めた兵士たちがどよめく。それもそのはず、父は妻である私の母を亡くして以来、魔獣討伐には参加していなかったからだ。それは生まれてすぐ母を失った私に、父をも失わせてはいかないという思いからだったらしい。理由はどうであれ実戦から退いて長い父が討伐に加わる様子を察し、兵士たちは戸惑いを隠せずにいる。
兵士たちの元へ向かう途中、父は庭から見ている私たちの視線に気づいたのだろう。ちらりと目線を寄こしたがすぐに正面に向き直る。
「お父様、本気なの……?」
お前には負けられない――そんな父の声が聞こえた気がした。
殺気立つ父の雰囲気に兵士たちもしん、と静まり返る。ぐるりと兵士たちを見回した父は大きく息を吸い込むと声を張り上げた。
「誇り高き辺境伯家の兵たちよ! 今より魔獣討伐に向かう。私も共に戦おう! 我が剣技の前では魔獣などすぐに塵と消えるだろう。瞬きせずにその目に焼き付けるが良い!」
「――うおおおぉぉっ!」
父が剣を天に突き上げると兵士たちから鬨の声が上がる。
私の胸に生まれた翳りをよそに、兵士たちの声を一身に浴びる父の横顔は恍惚としたものだった。
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次話は明日18時更新です。予定どおり10話で完結となりそうです。