5話
「✻」の前まではヴィート視点です。
所属騎士団の団長に一対一の勝負を挑んだものの、まるで相手にされなかった。それもそのはず、俺はこれまで何もできない「出来損ない」として振舞っていたのだから。
しかし「俺がわからせてやるよ」とからかい半分でかかって来た先輩騎士を数秒で地面に沈ませると、徐々に雰囲気が変わってきた。
俺は剣を使えないが、体術だけは人よりも優れている自信がある。名をつけるなら天性の才とでもいうのだろう。
己の体をどう操ればいいのかは自然と理解できる。それなら次はいかに限界を超えていくか。自らの強さを越えるための鍛錬ならどれだけ辛くても苦痛ではなかった。
しかし国王の命を救ってしまったがゆえに、捕らわれるように任命された騎士の職。故郷で時々現れる魔獣を倒しながらだらだら過ごしたかったのに、好きでもない剣を与えられ、規則と階級の中で生きる日々。下っ端から抜け出そうとしない俺を周囲が苦々しく見ているのは知っていた。けれど全然やる気が起きなかったのだ。彼女と共に戦うまでは……。
「とりあえず第六騎士団まで、全員分あります」
ドサドサ……と無造作にサッシュをテーブルに置くと、目の前の国王の顔が輝いた。
「ヴィート! ついにやる気になってくれたのだな」
「ええ、どうしても出世させてもらう必要がありまして」
「いやぁ、しかし派手にやったものだ。きっと大騒ぎだな」
「さあ、どうでしょう」
嘯いてみたものの、騒ぎになっているのは事実だった。これまで格下と思っていた相手に、しかも剣も持たない下っ端に上官たちが軒並み倒されたのだから。
動きが予測できない魔獣に比べ、型通りの動きしかできない騎士団員たちと戦うのは正直退屈すぎた。剣を持つのを禁じられていたリーフェの方がよほど良い動きをする。
――今、何してっかなぁ。
国王を前にして大事な話をしているというのに、そんなことを考えてしまった自分の馬鹿さ加減に笑いがこみ上げる。
要するに一目惚れという奴だった。
辺境伯家の「出来損ないの令嬢」というのが彼女の前評判。どこからどう舞い込んだのかわからない見合い話を受けたのは、正直なところ怖いもの見たさだったのかもしれない。
リーフェ・ジャビネット――今年二十二歳になる辺境伯家の末娘。くすんだ灰色の髪と気の強そうな灰色の瞳。物静かで、話題を振ってくることはない。そして特徴的な背の高さ。自分より少し低いものの、他の男性と並べば嫌がられてしまうだろう。
家は長男が継ぐ予定で、二人の姉たちはすでに嫁いで家を出ている。残された行き遅れの令嬢が、必死に嫁ぎ先を探している――はじめはそう思っていた。だからこの縁談を断ろうと思ったのだ。
しかし魔獣と遭遇し、「自分が残る」とナイフを手にした彼女の姿に、この縁談を断るという選択肢は跡形もなく消え去ってしまった。
魔獣の放つ殺気を受けてキラキラと輝く瞳。バラ色に色づいた頬に、高揚感を抑えきれず自然と持ち上がっている口角。漫然と馬に乗っていた時のつまらなさそうな彼女はどこにもいなかった。
――なんだ、そういうことかよ。
俺はその瞬間、無意識に腰から剣を抜いていた。
見たい。彼女がどう立ち回るのか。
知りたい。無数の殺気を受けて震えるどころか、こんなに楽しそうに目を輝かせる人間が、なぜあんなにつまらなさそうな顔をしているのか。
『リーフェ様はそれ使うといいですよ』
そう告げると彼女は驚いたものの、瞳の奥に期待の色が浮かぶのを隠そうともしなかった。いや、隠せなかったのだろう。襲いかかって来た魔獣に、待ってましたとばかりに剣を振るった彼女の顔は、喜びに満ち溢れていたのだから。
鋭く、迷いのない太刀筋。型にはまった騎士団の剣術とは違う、実戦に特化した剣だ。素早い魔獣の動きに合わせ、払う、突く、叩き斬る……臨機応変に動きを変える。長い髪をなびかせ、まるで舞っているような彼女の剣技から気づけば目が離せなくなっていた。
――彼女をもっと自由に輝かせてあげたい。
俺ならそれができるはず。
それは裏を返せば、俺自身の理解者を得たいということだったのかもしれない。騎士という立場に置かれながら剣が苦手だから、本意じゃないからと逃げ続けていた俺が一歩踏み出すなら今しかない。
「それで――」
国王の声に意識を引き戻される。気づけば国王が愉快そうにこちらを見つめている。
「お主が『出世する必要』とは?」
そう問う国王はにやにやが隠しきれていない。何がそんなに楽しいんだかわからないが……。とりあえず俺は用件を簡潔に伝えることにした。
「はい。辺境伯家のリーフェ様と結婚したいと思いまして。先日見合いの場を持ち、リーフェ様からは承諾を頂いたのですが……」
「ほう、なるほどな。あのおてんば娘なら納得だ」
「……っ!」
「私が何も知らないと思っていたか?」
驚く俺をよそに、国王は合点がいったというように机の上のサッシュを手に取った。
「辺境伯の許可が得られなかった、というわけだな」
「まあそういうことです」
「……事情はわかった」
そう言うと国王はサッシュを置き、扉の横に控えていた侍従に声をかける。
「今から近衛騎士団長に使いを出せ。念願の副団長候補が現れたから実力を確かめに来い、と伝えるんだ」
「かしこまりました」
俺はそれを聞き、内心驚きつつ素直にありがたかった。近衛騎士団と言えば国王直属。貴族とはまた違う、権威ある立場だ。身分や肩書きを笠に着るのは好きではないが、今の俺には必要なものだった。
侍従が出て行くと国王は俺に得意気な顔を向けた。
「近衛騎士団の副団長なら辺境伯も文句は言わんだろ。まあ団長との力比べの結果次第だが」
「ありがとうございます」
俺が頭を下げると「だが……」と国王は残念そうに呟く。
「だが問題は辺境伯だ。昔はもう少し真っ直ぐな男だったのだが、いつからこうも頑なになってしまったのだろうか」
「言っちゃ悪いですがクソ親父でしたね」
「……そうか。あやつは真面目なやつでな、実力もあるがゆえ道を譲れないのだろうな。しかし事実を事実として受け入れられぬのなら、今の地位が相応しいとは言えぬ。誰かが引導を渡すしかあるまい」
「っ……」
不意に厳しい表情に変わる国王に俺は息をのんだ。
きっと今回の魔獣の襲撃の話も届いているのだろう。政治の話は知らないが、多くの犠牲者を出している以上、辺境伯は何かしらの責任を問われるはずだ。
そうなれば彼女は落ち込むだろうか……。
それとも再び剣が握れるようになったと喜ぶだろうか……。
そこで俺ははたと気づく。思考が全てリーフェ中心になっていることに。
「で? リーフェ嬢のどこが決め手だったんだ? 教えなさい、国王の命令だ」
重い空気を振り払うように、急に明るい声を出した国王の言葉も追い打ちをかける。
まだ出会って間もないにも関わらず、なぜそこまで彼女に惹かれてしまったのだろう。はっきりとした言葉では言い表せないが、思い浮かぶのは彼女が頬を染めてはにかんだように微笑む様子で――
「なんか、良いなと思ったんですよ。それだけです」
「はっはっは! 最高じゃないか!」
「……そうですね」
高らかに笑う国王の声が照れくささを誘い、なぜか全身がむずむずした。
でもそうなんだ。最高なんだ、と俺は彼女の笑顔を思い浮かべながら何度も胸の中で叫んだ。
*
魔獣襲撃から十日が経とうとしていた。
辺境伯家の雰囲気は最悪だった。
私は父の命で外出をも禁じられていた。犠牲になった兵士の遺族への対応で兄は寝る間もなく働いていたし、父は新しい兵士の選別をすべく動いていたがいつも機嫌が悪かった。そのおかげで私は父と顔を合わせず過ごせていたのは幸いだったが。
でも――
唯一気にかかるのはヴィートの事だ。
あの日から一度も連絡がない。私も筆まめな方ではなく、どう連絡したらいいのか悩んでいるうちに十日が経ってしまっていた。
今日も相変わらず机の前で悩んでいると、部屋の扉が叩かれた。
おそるおそる扉を開くと、そこにいたのは神妙な面持ちの執事だ。まさか手紙が――と思ったが、それは全くの見当はずれだった。私はその後執事の発した言葉に落胆が隠せていなかったと思う。
「リーフェ様。旦那様がお呼びです」
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次話は明日18時更新予定です。