4話
父、国王視点の話です。
「壊滅……だと……? そんな馬鹿な。私が選んだ兵士たちだぞ!」
辺境伯モンド・ジャビネットは、はじめ息子ベルナンドからの報告を信じることができなかった。モンドが直々に認めた実力を持つ兵士たちだ。それがマドヴォルフごときに壊滅に追い込まれるなど、あってはならない。
「しかし事実です。どうやら群れに背後を取られたようで、抵抗する間もなかったように見受けられました。食い荒らされた遺体もあるので、さらなる魔獣の襲撃を防ぐために遺体の回収を急ぎます。現地の処理は私にお任せいただいてよろしいでしょうか」
「ぐ……」
淡々と語るベルナンドに唸ることしかできない。返事のないモンドに、ベルナンドは「では進めます」と言い残し部屋を後にした。
これから亡くなった兵士の家族への報告、そして魔獣出現にあたって国王への報告をする必要がある。
確かに今回襲われた兵士たちはモンドには敵わないものの、それなりの実力の持ち主たちだ。集団での戦闘は慣れていないようだったが、それでも良しとし、配置したのは明らかにモンドの失策だ。数十の犠牲者を出してしまった以上、辺境伯としてモンドの責任が問われるだろう。
すでにベルナンドへ爵位を譲った方が良いのではという声が上がっていることも知っている。モンド自身も二十五歳の時に当主の座を受け継いでいる。
(いや、私はまだやれる。魔獣からこの国を守り抜く重要な仕事を、ベルナンドに任せるわけにはいかない。あれは頭でっかちで、実戦の経験がなさすぎる)
残念ながらベルナンドに剣術の才能はない。今回のように魔獣が群れで襲ってきた時に、ベルナンドに勝ち筋が見出せるとは思えない。
けれど――
(……リーフェは生き残って帰って来た)
モンドが直々に選んだ兵たちが止められなかった魔獣を、リーフェは怪我一つなく全滅に追いやった。
あの気弱な出来損ない騎士が手を貸した? いや、まさかあり得ないだろう。しかし、本当だとしたらリーフェの実力は兵士数十人をも凌ぐことになる。
幼いリーフェに初めて剣術を教えたのはモンド自身だ。ある程度、武器を扱えるようになるのも辺境伯家の者として必要なこと。男だからとか女だからとかは関係ない。それに自分に似たリーフェは末娘ということもあり、他の娘息子よりも可愛がっていた自覚がある。
しかしいつしかリーフェには指導役も歯が立たなくなり、モンドも娘との手合わせに恐怖を覚えるようになっていた。
――娘に負ける。
それがどれほどの恐怖か、モンドはそれまで想像したことがなかった。圧倒的上位の存在だと思っていた自分が、気が付けば遥か高みから見下ろされている感覚。
(二度と剣を持たぬよう命じたはずだ。背も高く可愛げのない娘なのだから、ただ笑っていれば事が済む普通の令嬢として生きるよう命じたのに)
「くそっ!」
モンドは拳を激しく机に打ち付けた。拳の痛みに加え、ヴィートにつかまれた腕に残った痣がジン、と痛む。
(しかもあの男だ! ヴィート・タブル)
しかもリーフェはあろうことか、出来損ないで有名な騎士と結婚すると言い出した。実力もなく、騎士団でも厄介者扱いされている存在だ。確かに見合い相手は彼しか残っていなかったこともあるが、まさかあの二人がうまく行くとは思いもしなかった。
リーフェが見合いを失敗し続けることで、モンドの中に潜む劣等感が紛らわせられていたことにモンド自身は気づいていなかった。だから今回、二人が眼差しだけで会話する光景を目にして、モンドは何もかも許せなくなったのだ。
リーフェには『出来損ない』でいてもらわなければならないのだから。
(だがあの視線……)
長い前髪の隙間から一瞬だけ見えた挑むような眼差し。彼はあの分厚い眼鏡の奥で何を考えていたのだろうか。
得体の知れない不安がこみ上げてくる。
きっとどれもこれも、モンドを見下すような灰色の瞳のせいだ。モンドは勢いよく机の引き出しを開けると、力任せに便箋を引っ張り出した。便箋には皺が寄ってしまったが構わないだろう。格下の男爵家への手紙なのだから。
「リーフェ……お前を絶対に許さんからな」
*
辺境伯領で魔獣に兵士が襲われたとの報告を受け、王城はにわかに騒がしくなった。もちろん報告は国王の元にも届いた。
被害状況も詳細に記されており、国王は思わず顔をしかめた。
「なんとも悲惨な……」
まさかここまでの被害を被るとは辺境伯も想定していなかったのだろう。危機管理の甘さが目立つ。少し前ならわずかな被害で済んだだろうに。
「そろそろ跡目を考えねばならぬ段階なのだろうが、あの男には難しいかもしれんな」
複雑な思いと共に書類を伏せると、ちょうど変な顔をした侍従がやって来た。
「……陛下。騎士が一人、陛下への面会を希望しているのですが……あの……」
「なんだ?」
侍従は珍しく言いにくそうにしている。それほど緊急ではないようだが、いったいどうしたのだろうか。少し待つと侍従は意を決したように口を開いた。
「実は、その男は第一から第六騎士団団長のサッシュを持って来ているのです――」
「騎士団長のサッシュだと?」
国には国王直属の近衛騎士団の下に、国立騎士団として第一から第六の部隊が編制されている。団長となればそれなりの実力が無ければ任命されない。その騎士団長のサッシュを手に入れたということは、彼らを降参させたということ。
「偽物ではないのか」
「いえ……紛れもなく正式なものでした」
まさかそれほどの力を持つ者がいたとは。
そして国王を訪ねて来るということは、何か望みがあるらしい。
(いったい誰が――っ、まさか……)
しかし、国王はそのような並外れた芸当ができる人間を一人だけ知っている。
あれは十年ほど前。狩りに熱中するあまり、護衛の制止を無視し、森の奥に入り込んでしまった時のことだ。
『……っ、へい――』
『どうし……っ! ま、魔獣』
護衛のぐぐもった声に、まずいと気づいた時にはもう遅かった。気づけば巨大な魔獣に背後を取られていた。
『ジャイアベアント……!』
熊を一回り大きくしたようなその魔獣は縄張り意識の強い魔獣だ。どうやら彼の縄張りに踏み込んでしまったのだろう。荒い鼻息は怒りに満ちていた。
護衛は音もなく近づいた魔獣に弾き飛ばされたのか、はるか遠くに倒れている。
ああ、油断した――まず胸をよぎったのは自らの迂闊さへの後悔だ。初めて死を覚悟した瞬間だった。その時の振り上げられた鋭い爪の輝きを今でも夢に見る。
だが国王の体が魔獣に引き裂かれることはなかった。
腕を振り上げたまま魔獣の動きがピタリと止まったかと思うと、次の瞬間、魔獣の頭の真ん中から体液が勢いよく吹き出した。ズズ……ン、と地面に沈む魔獣の体。ぼろぼろと崩れていく様子を呆然と見て入ると、声変わり間もない掠れた声が耳に届いた。
『おっさん。生きてる? うわ、腕ぼきぼき。……あれ、こっちにもいるのかよ』
そう言って近づいて来たのは黒い髪と瞳を持つ少年だった。細くひょろりと長い手足。輪郭にはまだ幼さが残るものの、切れ長な鋭い眼差しが印象的だった。しかし彼の手には何の武器もない。
『こっちのおっさんも生きてるんならよかった。なんでこんなとこまで来たんだよ。この辺、ジャイアベアントの縄張りなのに馬鹿だなぁ』
『お前が倒したのか。たった一人で、武器も持たずに……?』
『まあね。俺、強ぇから』
少年――ヴィート・タブルはニィっと笑った。
あれから十年。
国王が求めた少年は二十二歳の青年になった。彼は故郷に残ることを望んでいたが、国王が側に置かせたいからと無理矢理に騎士団の団員に任命したのだ。少年は自分が剣を使えない出来損ないだからと、分厚い伊達眼鏡や髪で顔を隠し始め、目立つのをひたすらに拒んでいたが……
ガタンと椅子を鳴らして立ち上がると、国王は興奮気味に侍従に叫んだ。
「今すぐ通せ! 私はこの時を待ちに待っていたのだ!」
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