3話
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ここから後日談となります。
数刻後、机に広がる大量の魔石を青い顔をした父と次期辺境伯である兄が青い顔で見つめていた。
「なぜ魔獣がそんなところに。まさかあり得ないだろう……!」
「ですのでご説明した通りです。目の前に証拠もありますでしょう?」
森の入口まで魔獣の群れがやって来た。それはつまり辺境で抑えるはずの兵が襲われた可能性があるということ。彼らを選別したのは父だ。自分が実力を認めた兵士たちが魔獣に太刀打ちできなかったと認められないのだろう。
「しかし、だとしたら――」
「父上、対応は私が……! おい、今すぐ守備兵の様子を見に行かせるんだ。向かう者には魔獣の襲撃に備えろと伝えてくれ」
私の説明を信じようとしない父の代わりに兄が動いた。
六歳上の兄は父に似ず、亡き母譲りの栗色の髪と瞳を持つ優しげな雰囲気の人物だ。実戦はあまり得意ではないが、細かいことによく気が付き、冷静かつ簡潔に指示を出す兄は兵士たちから慕われていると聞く。
廊下で待つ兵に指示を出しながら慌ただしく飛び出す兄を見送ると、部屋には父と私、そして元の頼りない姿に戻ったヴィートが残される。
父は魔石に視線を落としたまま、何やらぶつぶつと呟いていた。ひとまず辞去しようにもできない雰囲気に、私はヴィートに視線を送る。しかし相変わらず髪に隠されて表情が見えない。
でも、そういえば……と私は思い返す。
――どうか俺と結婚してくださいませんか。
先ほどのヴィートの求婚の言葉がはっきりとよみがえる。
私を映すまっすぐな瞳。
私、この人と結婚するの……? これまで連戦連敗だった出来損ないの私に、そのままがいいと言ってくれたのは夢じゃなかったのだろうか。締め付けられるような胸の高鳴りを思い出し、かあっと熱くなる頬を見られぬよう私は慌てて顔を背けた。
だが同時に父の呟きが飛び込んでくる。
「何が魔獣だ。こんな魔石くらいどうにもなるだろう? 私の育てた兵が襲われるだなんて、あり得ない……。もし魔獣の群れが現れたというのなら、出来損ないの騎士がどうやって……」
そこで何かに気づいたように父はハッと顔を上げた。血走った目が揺れながら私を捕らえると、勢いよく立ち上がった父の太い腕が私の胸倉をつかむ。
「――まさか、リーフェ! お前、剣を持ったな!」
「……っ!」
「この出来損ないが! どれだけ私に恥をかかせれば気が済むんだ」
「く……っ」
締め付けられる胸が苦しい。
まさかあの実直な父が手を上げるとは。私は内心ひどくショックを受けていた。しかしこの手を振り払えば、さらに激昂することは間違いない。
次の行動を迷っていると、私の横からにゅっと手が伸びて来た。
「ぼ、暴力は、よ、良くないと思います……」
「お前……っ、リーフェの見合い相手の――」
「はっ、はい。ヴィート・タブルです。あの、手を離してはいかがでしょうか」
おどおどした声と共にヴィートが父の腕に手をかけた。どうやら父はヴィートの存在を忘れていたらしい。ヴィートはヴィートで頼りない青年の設定をまだ続けるようだ。怯えた様子で父を見つめている。しかしそうこうしているうちに私の胸の圧迫感が徐々に緩み始める。
「ぐ、くぅ……っ」
父が苦しそうに顔を歪ませる。見ればヴィートの手につかまれた腕がぶるぶると抗いながらもゆっくりと持ち上がっていく。一方のヴィートの体はぴくりとも動かない。力の差は歴然だ。
「は、離せっ!」
ついに父が私から手を離し、ヴィートを振り払った。
肩で息をつく真っ赤な顔の父は、興奮し唾を飛ばしながら叫ぶ。
「出来損ないのくせに……お前っ、何様のつもりだ!」
「ゆくゆくリーフェ様の夫となる者です。先ほどリーフェ様に求婚し、承諾のお返事をいただきました」
「っ、な……?」
突然の報告に時間が止まる。
怒りで我を忘れていた父ですら、あまりの唐突さにぽかんと口を開いて固まってしまっている。
ヴィートを見ると、彼は真面目な顔で父を見つめていた――と思う。表情が見えないから何とも言えないのだが。
「ジャビネット卿。リーフェ様との結婚をお許しください」
「な、な……」
「――っ、お父様!」
ヴィートは畳みかけるように告げると、いまだ口がきけずにいる父にむかってガバッと頭を下げた。
私も一瞬の間の後、慌てて彼に続く。
彼の求婚を受けることで、私の未来がどうなるのかわからない。しかし互いに背を預けて戦える存在だ。今よりももっと自分らしく生きられる予感しかない。
「こんな時ですがヴィート様からお話があった通りです。お父様のお望み通り、私は彼の元に嫁ごうと思っています」
「……っ」
「私のような『出来損ない』でも良いと仰ってくださいました。有り難いことですわ」
いつも父に言われていることへの意趣返しとばかりに、私はツンと顎を上げて父を見下すような表情を作ってみせた。しかし返って来たのは父からの反応ではなく、横に立つ顔の見えない青年の声だった。
「違います」
「え?」
「僕はあなたが良いと言いました」
「あ、えっと、そ、そうね……」
「そうです。僕にはリーフェ様しかおりませんので」
ハッと横を向くと、分厚い眼鏡の奥から私をいたずらそうに見つめる黒い瞳と視線がぶつかる。
――面白がってるわね!
でもなぜか悪い気がしない。気が付けば「くっ……」と笑いがこみ上げる。自然と頬が緩んでしまい、私は彼に笑顔を向けていた。
しかし――
「駄目だ!」
思いがけない怒鳴り声が響く。見れば顔を怒りで赤く染めた父が、ギリギリと歯ぎしりしながらこちらを睨みつけていた。
「リーフェは嫁に出さん! 我が家の恥を外に出すわけにはいかない!」
「……は?」
私は耳を疑った。
あれほど『早く嫁いで家を出ろ』と言っていた口が、まったく正反対の事を言い出したのだ。結局父は、私の行く手を邪魔したいだけじゃない。
……ああそうか、と私は悟った。
私に剣術で敵わないと気づいた時から、きっと私は父の敵だったのだ。もちろん手放しで祝福されるとも思っていなかったけれど、妬みがここまで人を変えるとは。
父は私の失望の眼差しに気づくことがあるのだろうか。
ため息を堪え、私は背筋を伸ばした。
「ですが誇り高きジャビネット家に、行き遅れの娘などおいておけなかったのでは?」
「駄目だ! 何よりこいつとの結婚など許さん。実力もない、才能もない出来損ないの騎士などに、大事な娘を託せるか! これはジャビネット辺境伯としての命令だ、逆らうことは許さん」
「そんな……」
親子の諍いであればどれだけ逆らっても差し支えない。しかし父が出した「辺境伯の命」となれば話は違う。ジャビネット家は魔獣から国を防衛する要となる家。他の上位貴族よりも重要視されている存在でもある。逆らえばこの国での居場所を失う可能性がある。そうでなくとも「出来損ない」と思われているヴィートの立場は悪化するはず。
「そんなのおかしいわ。私を家から出したかったのはお父様でしょう!」
「やかましい! 出来損ないが口を聞くんじゃない!!」
窓が揺れるような怒鳴り声。ここまで激昂した父とまともな話をするのは難しいだろう。
もし父の命を覆そうとするならば、最上位の存在――国王陛下からの王命、もしくは国を離れるしかない……。
「……はーん、そういうことかよ」
けれど私の隣でぽつりとつぶやいた人物がいた。
「それなら認めさせるまでだろ」
「認めさせる……?」
そうつぶやいたヴィートの前髪の隙間から覗く瞳は、魔獣に挑んだ時と似た鋭い輝きを放っていた。
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