最終話
本日二回目の更新です。
二度と足を踏み入れるつもりはなかった辺境伯家にやって来た私は、少し前のような刺々しさが嘘のように消え去っていることに驚いた。
とはいえ通された応接室で向かい合う兄――ベルナンドの表情は固い。なかなか口を開かないベルナンドにやきもきしていると、ヴィートが口を開いた。
「辺境伯閣下、この度はお招きありがとうございます。すっかりご無沙汰してしまいました」
「ヴィート殿。私はそのような身分ではありません、どうぞお止めください。リーフェもだ」
「ですが私はもうタブル家の人間です。爵位のない身分の私が失礼はできませんわ」
そう告げた通り、私は半年前にヴィートと結ばれリーフェ・タブルとなった。
本来なら父の許可が必要だと渋られた手続きを、国王陛下からの書簡一つでごり押ししたのは記憶に新しい。澄ました顔をしていると兄は打ちのめされたような顔に変わる。
「リーフェ、お願いだ。話をしたいんだ」
「……なるほど。お兄様のお願いなら仕方ありませんね」
兄は「そうしてくれると助かる」と疲れた顔で苦笑いを浮かべた。
私がヴィートと共に王都に発ってから半年。
ピギーグの襲撃の後、私は辺境伯家には戻ることなく、着の身着のままで王都に向かった。もちろんヴィートと共に。
王家は辺境伯家からの報告より早く、ヴィートと私から辺境伯領の状況を知ることとなった。厳しい顔をして私たちの報告を受けていた国王陛下は一言、『残念だ』と口にして深いため息をついた。
その後すぐに辺境伯家へ王家から兵を派遣することが決まる。つまり辺境の守護役であるべきジャビネット家は、今やその力がないと判断されたのだ。
王家はなにより魔獣の行動異常を憂慮していた。そのため特に兵の質の著しい低下は早急に対応すべき点であり、辺境伯家にはなぜ改善策を講じなかったのかと責が問われることとなった。
「私は剣術が苦手だ。そんな私が口を挟んでも見当違いなことしか言えないだろうと、我が家の兵力の現状を知ろうともしなかった。そのツケが回って来ただけなんだ」
兄はこの半年の思いを打ち明けるように、静かに語りはじめた。
あの日の夜、父は爵位を兄に譲った。
ピギーグにやられた肩の状態は思いのほか重く、表舞台から身を引く決断をしたそうだ。
「父上にも思うところがあったんだろう。結局すぐに傷が元で体調を崩し、数ヵ月は寝たり起きたりの生活になってしまったから判断が早かったのは幸いだったよ」
今、父は領地の片隅に居を移し、療養生活を送っているらしい。滅多に外にも出ず、誰に会うこともなく屋敷の中でぼんやりと過ごしているそうだ。
怪我のせいで心が折れてしまったのだと同情の声もある。しかし私にはただの責任逃れにしか思えなかった。国王陛下にもそう伝えると、彼は苦笑いしながらも頷いていたが……。
「ところで――」
顔を上げると、真剣な表情で私たちを見つめる兄と目があった。
「今日二人に来てもらったのは、折り入って頼みがあるからなんだ」
兄の言わんとすることは何となく予想がついている。
そうでなければ陛下に頼んでまで、私たちを辺境伯家へ呼び寄せる必要などないのだから。
しかしとりあえず話を聞くべく、私は続く言葉を待った。
「頼みというのは、この家を二人に継いでもらえないだろうかということだ。ヴィート殿を婿として迎え、リーフェにこの家に戻って来てほしいんだ」
――やっぱりね。
予想は的中した。
ある程度心の準備をしていたものの、わずかな動揺が胸に広がる。静かに息を吐きながら、私は口を開いた。
「それはどういうことでしょう。お兄様では何か不都合でも?」
「私はこの地位に就く器ではない。もちろん実務的なことは得意と言ってもいい。だが魔獣への対応に関しては、私ではどうしても及ばない点が多い」
兄は悔しそうに唇を噛んだ。
「二人に負担を強いることになるのは重々承知だ。だが領民や辺境伯家としての今後を考えれば、私は力不足なんだ……」
そう言って兄はすまない、と頭を下げる。
前辺境伯だった父はたとえ自分に非があろうと簡単に頭を下げる人ではなかった。自分の弱さを認めることすらできなかった人物だ。
その点、兄は誠実すぎるのかもしれない。それが兄の良さだと自覚していないからこその苦しさなのだろう。けれど変化は往々にして苦しいものなのだ。結局変化に耐え切れず、普通の令嬢になれなかった私がいうのもなんだが、兄はきっと良い領主になれるはずだ。
私の答えは決まっていた。だけどヴィートはどうなのだろう――
私はちらりと横に視線を送る。私の視線に気づいたヴィートは眼差しだけで頷く。
「……そのお話、お断りします」
「どうか頼む……!」
私の声に兄はさらに深く頭を下げた。
「私、令嬢としては出来損ないですし、家がどうとか家督がどうとか、さっぱりわかりません。それに、この家を継ぐことで私にどんないいことがあるの?」
「待ってくれ、もう誰もお前を『出来損ない』と思っている者はいない……! それは信じてくれ」
「いいえ、別にそれはどうでもいいの。あれから半年です。私だって何もしていなかったわけじゃない。王都で見つけた役目もあるの。だからそのお話は受けられません」
王女付侍女たちの教育係――それが王都で見つけた私の役目だ。いざという時に備え、短剣の扱い方を指導している。かつてのヴィートに負けず劣らずの縁故採用だが、日常的に剣に触れることが認められた生活は魔獣を斬る爽快感には至らないものの、とても充実している。
「……そうか、わかった。無理を言って申し訳なかった」
きっぱりと言い切った私に、兄は思いのほかすんなりと引いた。顔を上げた兄はどこか吹っ切れたような顔をしている。
「もし断られたら提案してほしいことがある――と父上が言っていたことがあるのだが、最後に聞いてくれるかな」
「え……?」
父が?
まるで父も私とヴィートに辺境伯家を託すことに、賛成していたような言いように胸がざわめく。しかし私の緊張をよそに兄は穏やかな表情を浮かべていた。
「いつか、リーフェの剣技をぜひ辺境伯家の兵士たちに見せてやってほしいそうだ。お前の剣術は辺境伯で一番だろうから、と……」
――私の剣術を父が認めた。
だからどうしたということもない。今さら、だ。
もう生きている限り、私たちが会うことは二度とないだろうから……。けれど、もし次の人生があるのなら、もっと違った形で出会ってみたい。今度は剣を交え、互いに健闘を称え合えるかもしれない。
「あと、もう一つ。これはヴィート殿にだが――」
「え、俺ですか?」
驚くヴィートに、兄は困ったように微笑んだ。
「『出来損ないの娘を頼む』だそうだ」
「ははっ。出来損ない同士仲良くやりますよ。な、奥さん?」
これこそ、今さらだ。
父によく似た灰色の瞳を閉じ、私は小さく頷くのが精一杯だった。
*
屋敷に残していた私物を引き取ると、私とヴィートは兄に見送られながら馬車に乗り込んだ。
「ではお兄様も息災で」
「今日は忙しいところありがとう。もしまたこの地を訪れることがあれば――」
「ベルナンド様!」
別れの挨拶を遮る従者の声に、私は弾かれたように空を見上げた。
青い空に白い線が一本、真っ直ぐ立ち昇っている。
「魔獣が出たのね!」
「あちゃー、こりゃなんてタイミングで……」
狼煙が上がった場所には王家から派遣された兵士がいるはずだ。手練れの集まった兵士たちのこと、きっとすぐ討伐は終了してしまうだろう。
でも――
「リーフェ、受け取れ!」
名を呼ばれた次の瞬間、目の前に現れた黒い物体を反射的に掴む。ずしっと重いそれは私の剣だった。
「おお、さすがの反射神経。なあ、一緒に行くだろ?」
ヴィートの黒い瞳がいたずらそうに私を映した。挑むような眼差しに私の口角が自然と持ち上がる。
「もちろん! ほら、急ぎましょう!」
私はヴィートの手を取り、駆け出した。
「出来損ない」の私が一番輝ける場所に。
私を一番輝かせてくれる「出来損ない」の騎士と共に。
【終】
お読みいただきありがとうございました。
これで短編+後日談の『【連載版】「出来損ない」同士のお見合いだったはずなのですが……』は完結です。
短編の後書きとは少し違う展開になりましたが、二人の行く末を見守っていただき感謝です。ありがとうございました!




