1話
拙作短編【「出来損ない」同士のお見合いだったはずなのですが……(https://ncode.syosetu.com/n5193ji/)】の連載版です。2話までは短編の改稿となっています。(3話以降が後日談部分です。)よろしくお願いします。
今日は3話まで同時投稿しています。
深いため息とともに、父は執務机の上に見合い相手からの返信を伏せた。
「まただ、リーフェ。お前、先方に何をした」
「何もしておりません」
「何もしていないのに断られるわけがないだろう」
私は背筋を伸ばし、難しい顔をして座っている父を見下ろした。父が自分とそう背の変わらない私から見下ろされることをあまり好まないのを知っている。わざとそうしていることに気づいたのか、父は苦い顔をしながら立ち上がった。私と同じ灰色の瞳が同じ高さになる。
「お前は少しは自分を顧みろ! パッとしない見た目のくせに背ばかり高くて、ただでさえ目立つんだ。おまけに令嬢らしいことは何一つできない。辺境の守護を任せられる誇り高きジャビネット家に、行き遅れの娘などおいておけないからな」
「それなら家を出て一人で生きます」
「馬鹿なことをいうな! そんなことをしたら、『ジャビネット家は娘の相手一人見繕えない家だ』と笑われるだろう。そんな恥を晒せるか! 無駄なことを考えている暇があるなら、刺繍の練習でもしておけ!」
ぴしゃりと吐き捨てられ、私は父の部屋を追い出された。
廊下では掃除にかこつけて聞き耳を立てていたらしいメイドたちが、どこか気まずそうな雰囲気を漂わせている。私は思わずため息をつきたくなるのを押し留め、作り笑いを貼り付けた。
「お父様、ご機嫌斜めになっちゃったわ。ごめんなさいね」
そう言うとメイド達は焦ったように頭を下げ、そそくさとその場を去った。きっとこの後は仲間同士の噂話に花を咲かせるのだろう。
見合いを断られたのは今回で何度目になったか覚えていない。
リーフェ・ジャビネット――今年二十二歳になる私は、国の辺境に現れる魔獣から国の守備を任されている辺境伯家の末娘。十六歳から結婚が認められているこの国で、私はいわゆる『行き遅れ』。男女とも、伴侶を得て一人前とされる中、私はまだ誰とも婚約していない。めぼしい男性にはほぼ婚約者がいて、辛うじて見合いにこぎつけたとしても即お断りされてしまうのだ。
断られる理由はわかっている。
父譲りのくすんだ灰色の髪と瞳。気が強そうな顔立ちに巷の令嬢のような愛らしさはない。さらにこの身長だ。ヒールの高い靴を履けばもれなく男性を見下ろしてしまう。女性はか弱く、庇護をうける存在であった方が良いという風潮に相反している外見だ。
大人しく読書するのも嫌いではないけれど、体を動かす方が好きだ。幼い頃は外を駆け回って遊ぶ子どもだった。
それに加えてきわめて不器用。刺繍などもってのほかで、生まれてすぐに亡くなった母の代わりにと、二人の姉たちが「私たちが嫁ぐ前になんとか」と必死に手ほどきしてくれたものの、彼女たちも匙を投げる結果となってしまった。
取り留めのないおしゃべりや流行りのドレスなど令嬢らしい趣味に興味が無いのも減点要素なのだろう。それでいて堂々としている私はすでに家を離れた姉たち曰く「可愛げがない」そうだ。
人の趣味は人ぞれぞれだからまあいい。私にだって生きがいとなっている趣味はある。けれど令嬢らしい趣味は、魔獣に囲まれたこの辺境ではてんで役に立たない。どうせなら魔獣討伐に役に立つことを身に着ければ、今よりもずっとみんなが安全に過ごせるのに――そう思って生きて来た。
✻
「どうしました? 気分でも?」
「あ、いえ。少し考え事を」
「そうでしたか。いやあ、本当にいい天気ですね。遠乗りにはぴったりです」
声をかけられ、私はハッと顔を上げた。
今日は通算十何人目かとの見合い相手と領地内の遠乗りに出かけていたのだ。私が慌てて作り笑いを浮かべると、隣に並ぶ馬上でもっさりとした黒髪の青年が分厚い眼鏡越しに空を見上げた。
彼の名はヴィート・タブル。男爵家の末子で、リーフェと同い年の二十二歳。職業は王宮騎士だ。
第一印象は「背が高い」というもの。彼はリーフェよりも身長が高く、二人が並ぶとなかなかの存在感だった。しかしヴィートは騎士にしては細身で、目が隠れるほど長い前髪と分厚い眼鏡のせいもあり、頼りない印象だった。
それもそのはず、騎士といっても彼の実力でいまの職に就いているわけではないらしい。
過去に彼の父が国王陛下の命を救った経験から特別待遇で召し上げられた、いわゆる縁故採用だ。
――騎士としての実力は残念ながら見た目通り。剣を持たせればふらつき、走れば転び、騎士としては使い物にならない男。背の高さから目印代わりになるだけの出来損ない。
それが父のヴィート評だった。実力もなく、やる気も感じられない、境遇に甘えるだけの人間――そう評されるヴィートは、魔獣からの守護を何よりの誇りとしているジャビネット家が最も認めたくない存在でもある。
それなのに彼は私の見合い相手となった。しかし父としては行き遅れの娘をいつまでも抱えている方が恥だったのだろう。「家格からしても絶対に断られない相手だから」と今回の見合いを取り付けたのだ。
令嬢として出来損ないの私。
そして騎士として出来損ないと言われるヴィート。
はたから見れば似た者同士で似合いの二人だ。
私にとって彼の騎士としての実力は正直どうでもいい。私だって一般的な令嬢にはなれないのだから。とはいえ行き遅れの可愛げのない出来損ないを押し付けられようとしているヴィートは、いったいどういう心境なのだろうか。
ちら、と横の馬上を見るとヴィートはまだ空を眺めていた。
「本当に、空が青くてきれいですねぇ」
「……ええ、本当に」
空の話題はもう何度も聞いている。繰り返される同じ話題に彼の不器用さが伺える。かといって私も自分から話題を振れるほど話し上手ではない。
私もヴィートと同じように空を見上げた。白い雲がゆっくりと流れる、穏やかな空だ。
だけど……。
私は手綱をぎゅっと握りしめた。
今、馬の横腹を蹴って思い切り走り出せたらどれほど気持ちがいいだろうか。スカートを履いているせいで横乗りだが、それでもそれなりに走らせることはできる。
少しでも女性らしく見えるように整えてもらった髪が乱れるのも構わず、馬の息遣いを聞きながら風を切れたら……。
――もっと自由になりたいわ。せめて想像するくらい許されるわよね。
私は苦笑いを浮かべながら、浮かない気持ちを押し込めた。
森の入口に差し掛かった私たちは馬に水を飲ませようと、小川の側で休憩を取ることに決めた。
「うわぁ、っとと! ……っ、すみませ……うぐっ」
しかし馬から降りたヴィートはすぐに木の根につまずき、大きな声とともに地面に倒れ込んだ。すぐに立ち上がろうとするも、今度は腰に下げた剣にバランスを崩し、再び転がってしまった。
確かにこの鈍さでは騎士として成り立たないだろう。父の評をなんとなく実感しつつ、私は呆れ半分、心配半分で声をかけた。
「あの、大丈夫ですか?」
「すみません。よく転んでしまうもので」
「あ、ああ。そうなんですね」
答えながらヴィートは焦ったように眼鏡をかちゃかちゃと動かす。長い前髪に隠されて表情はわからないが、さすがに気まずそうだ。
「僕が見合い相手なんかになっちゃってすみません」
「え?」
不意打ちのような見合いの話題に私は間抜けな声を上げた。
「ぼ、僕、騎士団でも持て余されているし、今みたいによく転ぶし。頼りになるとはいえないです。だからどうしてあなたのような辺境伯家の素晴らしいお嬢様との縁談を頂けたのか、全然わからなくて……」
「――っ、そ、そんなこと……」
この会話の流れを私は知っている。
慌てて口を挟むがヴィートの方が一瞬早かった。
「申し訳ありませんが、このお話はなかったことにしていただけませんか。あなたには僕よりももっといい人がいるはずです。……ああ、そうだ。僕の生家の男爵家からでは辺境伯家の体裁もあるでしょうし、国王陛下を通じてお返事させていただきます」
ヴィートは空を見ながら断り方を考えていたのだろうか。急にぺらぺらと饒舌に語り、あまつさえ国王陛下の名前まで出してきた。その違和感に気づけないほど、私は突然の出来事に動揺していた。
「僕は騎士としても貴族としても将来が暗いですし、リーフェ様も災難でしたね。いやあ、どうして出来損ないの僕なんかと見合いなんかするはめになっちゃったんですかね」
「ちょ、ちょっと待ってください。勝手に決めないで――」
「……グルルル……」
「――っ!?」
その瞬間、私の背後、森の中から何かが唸るような声が聞こえた。弾かれたように振り返ると、隣からヴィートの震える声が聞こえてくる。
「ま、魔獣……」
視界に広がるのはいつもと変わらない森の木々や茂った草。魔獣の姿は見えない。
しかし馬たちは落ち着かなく、今にも逃げ出したいとばかりに地面を掻き、首を激しく振っている。風に乗り、鼻先を掠める腐臭。そして森の中から向けられる殺気――それは確かに魔獣が私たちを狙っている証だった。しかも単体ではない。どんどん増えていく気配は狼に似た姿をしたマドヴォルフだろう。群れで行動する習性を持ち、知能も高いせいで連携して人間を襲う厄介な魔獣だ。
「こんなところに魔獣の侵入を許すなんて兵士たちはどうしたの……?」
本来、魔獣は国境付近で辺境伯家の兵士が食い止める手筈になっている。それなのに人里近いこの場所まで侵入を許してしまうなんて。胸のざわめきが膨らんでいく。
「まさか襲われた……?」
「リーフェ様、とにかく今は逃げましょう!」
腕を強く引かれ、私はヴィートと一緒だったことを思い出した。私の腕を掴む彼の手は小刻みに震えている。
「ぼ、僕がおとりになりますので、リーフェ様は馬を全速力で走らせてください。きっと逃げ切れるはずです」
おとり?
私は思いがけない言葉に耳を疑った。まさか出来損ないの騎士と言われるヴィートが、自分を盾にしてまで私を守ろうとしてくれているとは……。
相変わらず顔は髪で隠れ、ヴィートの表情はわからない。しかし私の腕を取る彼の手の震えは、しっかりと恐怖心を伝えていた。
しかしヴィートは出来損ないの令嬢と呼ばれ、「可愛げがない」と散々言われてきた私を守ろうとしてくれている。見合いは断られてしまったけれど、彼の行動に私はどこか救われたような気持ちになっていた。
私はヴィートの震える手に、自分の手を重ねた。
「いいえ。残るのは私よ」
「え……?」
その瞬間、長い髪の奥からヴィートが驚いた視線を向けたのがわかった。
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