元老院 其の三
「──大丈夫なんじゃなかったのかよ」
梁家の客間では凱は悪態をついた。梁家についてから既に3日が経っていた。
「素性が不明な奴を簡単に受け入れるわけないさ。それでも食事を出してもらえるだけマシだろ。それより、烏白と馬角が心配だ。俺達のせいで罰を受けているかも」
「このお人好し! その名前だって偽名だったじゃないか!」
苛立つ凱を無月はむっと睨んでしまった。偽名なのは何となく察していたが、烏白は梁家の子息ではなく子女だった事には全く気が付かなかった。本当に良く化けたものである。
──通りで周りが警戒する訳だ。
年頃の良家の娘に近づく若い男。周囲からどう見えるかなど容易に想像がつく。
『──お嬢様に目をかけていただいたからと付け上がらないで下さいませ』
自分達を客間に通した女の言葉が全てを物語っている。
場合によっては殴り殺されてもおかしくない立場だ。それを事情を聞き、部屋に軟禁する程度で済んでいるのは、梁家が噂通り品行方正な家柄だからだ。
「いっそ逃げるか?」
苛立ち紛れだろう凱がそんなことを口走ったが、無月は首を左右に振った。
「逃げたければ兄貴だけ逃げればいい。俺は此処に残るよ」
そもそも逃げたところで行く宛などないのだ。それは凱も同じだった。
──俺はあの子の側にいる。
その決意に不思議と揺らぎはなかった。
「──もう逃げ出す算段ですかな?」
「「!!」」
気が付けば、部屋の入口に一人の男が立っていた。梁家に来た最初の日に会ったあの初老の男──元老院の梁義雄であった。
義雄は部屋に入るなり、射貫くような視線を無月に向けた。
「少しばかりお前達に選択肢を与えてやろうと思ってな」
「選択肢?」
「ただ、月様に尽くす事が条件だがな」
──烏白に尽くす?
「何をすれば良い?」
無月の口から迷いなく言葉が出た。
「ほう? 随分と返答が早いな?」
義雄は無月の答えを面白がる様に目を細めた。
「そんな覚悟此処に来る前から出来ている」
「お前は、な。後ろの男は違う様だぞ」
振り返れば、顔を青くした兄がいた。
──迷ってる。兄貴は俺に付き合って此処にいる。即答出来なくて当然だ。
無月は凱への申し訳無さで再び一杯になった。掌を握り締め、義雄を真っ直ぐに見る。
「俺があの子に尽くす。何でもする。兄貴の分までだ。だから、兄貴の事は……」
「言葉などなんとでも言える。信用ならんな」
「なら、どうしろと」
「行動で示せ」
「行動?」
無月が問えば、義雄はニヤリと笑った。その顔に無月は背筋が寒くなった。
「名前を捨て、顔を捨て。儂の孫となれ」
その言葉に無月は目の前が真っ暗になった。




