妖狐 其の五
気が付けば、月は山の中を我武者羅に走っていた。
目の前で塵になる姿を見て、月は激しく混乱していた。
──何処か人のいない所に……。
蠢く虫の気配はゆっくりだが、月の後を追ってきている。その気配から逃れる様に月は足を只管動かした。
「あっ!」
足がもつれて転びそうになり、身構えた。しかし、衝撃が月を襲うことはなかった。
「──あら? 貴女そんなに急いでどうしたの?」
あの妖艶な妖狐──玉が月を支えていたからだ。月は混乱したまま、本邸の離れであった事を話していた。
「──それは凄く怖かったわね。でも、私なら大丈夫よ。そこら辺の妖魔より強いから」
戯けて見せる玉に月はほっと息をついた。
「それに私、物知りよ。天天よりも」
玉の口がきれいな三日月を描く。その口元に僅かに犬歯が覗いていた。
「じゃあ、この目もどうにか出来る?」
「ええ、勿論」
そう言うと玉は月の手を取り立ち上がった。月は玉に手を引かれるまま山の中を歩く。
「何処に向かってるの?」
「直ぐに分かるわ」
山の奥は薄暗く、嫌な気配がする。しかし、代わりにあの虫の蠢く気配はついて来ない。
──ついて来なんじゃない。ついて来られないんだ。
奥に行けば行くほど、濃くなる嫌な感じに月はそう感じた。
玉に手を引かれるまま歩き続けてポッカリと空いた空間に出ると、その正体は判明した。地面に突き立てられた一本の剣。
「ひっ!」
月は剣から発せられるその悍ましい気配に身を強ばせた。
「大丈夫よ」
玉にそう言われても全く安心出来なかった。
「あの剣は何?」
「呪いの剣よ」
「呪い?」
「ええ、触れるだけで人を殺す事の出来る剣」
「そんなものが何故こんな所に?」
月は山の中を散策していたが、そんなものの気配は全く感じなかった。
「私が持って来たの。貴女の為にね」
「私の為?」
その言葉に月は目を見開き、玉を見た。当然ながら、目隠しをしている月には彼女の表情は分からない。だが、何故か今彼女が怪しく微笑んでいると思った。
「ねぇ、知っているかしら? 邪で邪を払う方法があるのよ」
月には玉が何を言おうとしているか分からなかった。
「なら、強力な呪いには強力な呪いをぶつけても効果があると思わない?」
月の肩に玉の手がそっと置かれ、耳元で彼女は囁く様に言った。
「月、あの剣を手に取りなさい」
「えっ、でも……」
躊躇する月に玉は更に囁く。
「あの剣を手に入れれば、貴女はその呪いの目を制御する事が出来るようになる。躊躇う必要はないでしょう?」
玉が月の肩を強く押した。その勢いのまま剣の前に倒れ込む。
「それに死んだって文句は言えないでしょう? だって、貴女は母親殺し何だから」
凍てつく様な玉の言葉に月は剣の柄を掴んでいた。