化け猫 其の一
──西伊州に楽という男がいた。
彼は病の母と二人暮し、貧乏ではあったが大層人の良い男だった。
ある日の事、男が地主の家の前を通ると軒先から猫の鳴き声がする。見れば猫が屋敷の前で鳴いている。
「おい! 猫が鳴いているぞ! 早く何処かにやっちまえ!!」
猫の鳴き声が聞こえたのか、屋敷の中から地主の息子の怒声がした。
地主自身は素晴らしい人だったが、この息子は横暴、傲慢を絵に描いた様な男だった。楽はこの猫も此処にいたら殺されてしまうと思い、慌てて猫を懐に入れ家に連れ帰った。
「──おや、楽。早い帰りだね?」
家に帰ると、今日は調子が良さそうな母親が声をかけてきた。
「猫を拾ったのさ」
「おや、飼うのかい?」
顔を顰める母親に楽は首を左右に振った。
「いいや、ただ地主様の家にいたら殺されちまうと思って連れ帰って来た。後で遠くに放してやるよ」
そう言って、楽は猫を懐から出すと、自分の粥を分けてやった。すると、余程腹を空かせていたのかむしゃむしゃと方ばっていた。
「さあ、少しの間ここで大人しくしてくれよ」
楽が話しかけると猫は分かっているのかいないのか、にゃあとひと声鳴いた。
──その夜
楽は猫を連れて山の方へ行った。
「──ここなら安全だろう。さあ、あっちへお行き」
楽が猫を放してやるが、猫は楽に懐いたのか中々離れない。
「──きゃあぁ!!」
そうこうしていると、何処からか劈く様な悲鳴が聞こえた。驚いた楽がこっそりそちらの方を覗くと、女が男に襲われているではないか。しかも、女は楽のいる方へと向かってくる。
──こりゃ、大変だ!!
楽は慌てて向かってきた女の手を引き、自分の方へ引き寄せると木陰に身を隠した。女の姿を見失った男達は女の姿を探していたが、暫くすると去っていった。
木陰から楽と女は出てくると、女は楽に礼を言った。
「あ、ありがとうございます」
顔は分からなかったが、所作からどこぞの良家の御令嬢のようだった。
男は去ったものの、山の中に若い女、それも良家の女を一人置いて行く訳にもいかず、楽は彼女を家の近くまで送り、その日は帰る事にした。
──翌日
「──猫は逃がすんじゃなかったのかい?」
家の呑気に身体を舐めている猫を見て楽の母親が言った。
「そうするつもりだったんだけどなぁ」
昨夜の出来事もあり、何処かへ行ってしまったと思っていた猫は楽の家へと戻って来ていた。
「懐かれたんだね」
「困ったなぁ」
楽と母親はそんな猫を見て苦笑していた。その日の昼下がり。
「──御免下さい」
玄関口で老女の声がした。
──何だろう?
珍しい客人に楽は首を傾げながら、顔を出した。
「何でしょう?」
戸口に顔を出すと見慣れない老女と身なりの良い若い女が立っている。若い女は楽の顔を見ると頬を赤らめた。その表情を見て、老女は微笑んだ。
「──お嬢様、このお方ですね?」
「ええ」
「あの、どちら様ですか?」
「昨夜助けて頂いた周紅蘭と申します」
──周家の御令嬢だったのか!!
驚く楽の前で女の恥ずかしそうに俯いた。この周家はこの辺りではかなりの良家だった。
「それはどうも」
楽は気の利いた事も言えず、頷くだけだったが、女の方は礼を言い終わると満足そうに帰って行った。
ただ楽はこの時地主の息子が見ている事には気づかなかった。
──数日後
その後何事もなく暮らしていた楽だったがその平穏も長くは続かなかった。
「──おい! 楽という男はいるか!?」
数人の男が楽の家に押しかけたのだ。そして、楽を捕えて連れ去ってしまった。楽が連れて行かれたのはなんと周家。大勢に囲まれながら困惑した楽は問うた。
「何故、此処に連れてこられたのでしょうか?」
「お前が楽か! 貴様が破落戸と共謀して娘を攫おうと計った事は分かっているのだぞ!!」
紅蘭の父親らしき男にが放った言葉に楽は愕然とした。訳がわからない楽はそのまま引き倒され、袋叩きつけられた。
薄れ行く意識の中で、楽は大勢の中に地主の息子の姿を見た。
その後、楽は3日3晩仕置を受け続けた楽は亡骸となって家へと返された。
母親は無実を訴えたが聞き入れられることも無く、そのまま自害してしまった。その死体の横では、例の猫が悲しげに鳴いていた。