花園の主 其の五
「──礼は何が良いだろうか?」
「礼?」
不意に泣き声の主に訊ねられ、月は首を傾げた。
「貴方が泣き止んでくれさえすれば良いのだけれど……」
「それでは礼にはならぬ。お前の舞は礼を与えるに値する。我もこの山の花神故、礼の一つ満足にしないわけにはいかんだろう。何か言ってみよ」
──泣き声が聞こえなくなれば、ぐっすり眠れるのにお礼にならないなんて。にしても、泣き声の主が花神だったなんて。
泣き止んで貰う事が目的だっただけに礼と言われても直ぐに思いつかない。とはいえ、相手は花神──山に花をもたらす神──だ。無碍にもできず、暫く考えて、はたと思いついた。
「なら、此処から元の場所に戻して欲しいの。付き添いの者と逸れてしまったし、きっと心配しているわ」
「……戻れぬのか?」
礼を要求したつもりが、何故か疑問で返されてしまった。
「お前が自らここへやって来たのであろう?」
花神は不思議そうに言い、何かに気が付いたのか月に手を伸ばした。
──えっ、何!?
ひんやりとしたものが額に触れた月は身体を強張らせた。
「成る程、奇妙な気配だと思ったら原因はその目か。お前の目はこちら側のものなのだろう。故に簡単にこちら側に入ってこられたのだ。なら、戻るのも容易かろう」
「自力で戻れる、という事?」
「そうだ。それから、お前への礼も決まった」
花の甘い香りと共に何か薄い膜が全身を覆う。不思議と体が楽になった。花神は月の背にそっと手を添えるとくるりと体の向きを変えさせ言った。
「さぁ、行け。お前の目には人には見えぬものも見える。良く見れば、あちら側とこちら側の境も見えるだろう」
──人には見えないものが見える?
よく目を凝らすと確かに何か揺らぎこの様なものを感じた。そこがきっとあちら側とこちら側の境なのだろう。
月も自身の目が他者違う事は理解していたが、今まで実感は湧いていなかった。
──私の目は本当に人とは違うのね。
それを今、明確に実感していた。
「花神様、ありがとうございます」
月は花神に礼を言うと境に向って歩き始めた。
「──ふむ、全く哀れよの。呪いの目とは」
月の姿が完全に消えた後、花神は小さく呟いた。その声は月には届かなかった。




