鬼子 其の二
その光景を悲鳴を聞き付けた孫子峰は啞然として見つめていた。
──一体何が起こっているのだ?
赤子の泣き声と自身の主君の妻である女の狂った笑い声。塵となった産婆。周囲も子峰同様困惑していた。
「奥さま……」
微かに聞こえた声にはっとして視線を移した。視線の先には他の使用人に混じって子峰と同年代の赤毛の少女がいた。
──確か、梅という名だったか。
異国の血の交じる彼女は屋敷内でも目立っており、奇異の対象であったが、その有能さをこの女主人に見出され彼女に仕えていた。
その主の乱心した姿に動揺を隠しきれていない様だった。
しかし、彼女は何かを決意しすると、壁際の使用人達から離れ、横たわる赤子に布団を巻き付け抱き上げたのだ。
「私が御子を抱えています! どうか、今の内に奥さまをお医者樣の元へお連れ下さい!!」
その声に呆然としていた何人かの使用人が女主人の元へ駆け寄り彼女を両脇から抱える形で部屋から連れ出した。
人々が慌ただしく移動した後、その場に残ったのは子峰、赤子を抱えた梅、入れ違いに部屋に入ってきた当主の弟である梁忠敏とまだ幼い当主の息子・篤明の姿があった。
子峰はちらりと梅に視線をやった。
──何と命知らずな娘だろう。おかげで奥方と使用人達を移動出来たが、産婆を塵にした赤子に触れる等、恐ろくない……筈はないか……。
良く見れば、彼女は震えていた。その腕の中で今も尚も赤子はまだ泣き続けている。
その声に呼応しているのかは分からないが、彼女の周囲には邪気が集まりつつあった。
「ひっ!」
梅が微かに悲鳴を上げた。
「梅と篤明は出来るだけ、部屋の中央にいて。子峰は私とともに護符を部屋に貼ってくれ」
彼は陣を描くとその中央に二人を座らせた。僅かな隙間から溢れる瘴気に梅が小さな悲鳴を上げる。子峰は梅に駆け寄ると懐から護符を取り出し手当たり次第に貼っていくが、まるで減る様子がない。
「──おかしいです、護符が効果がないなんて」
「ああ、まるで何か呪具に邪魔されている様だな」
子峰と見合わせ梅の腕の赤子を見た。赤子は少し落ち着いて来ているが包まれた布団の中でぐずっている。子峰は不意に思いつき護符を赤子に翳した。
「!」
先程まで一向に減らなかった邪気が変化を見せたのだ。
「忠敏樣!」
その光景を見た忠敏は赤子を赤子を包んだ布団の上から護符を貼り付けていった。すると、邪気は消えていた。
──まるで、邪気を呼び寄せる呪具だな。
そんな事を考えた。
「──母上は、この子を父上の生まれ変わりといったのだな」
黙って子峰達の様子を見ていた篤明がぽつりとつぶやいた。
「篤明、義姉上は錯乱しているだけだ」
俯く篤明に忠敏は優しく声を掛けた。
「分かっている。でも、この子が諸悪の根源ならば、私はこの子を始末せねばならない。この家の当主として」
そう言う篤明の顔色は酷く悪かった。父が死に、母親は錯乱状態、そして待ち望んだ兄弟は……。篤明は聡明であるが矢張り子供だ。荷が重すぎる。平常心を保つているだけで十分凄い事だった。
「それに子が生まれるまで義姉上には何の兆候もなかった。何らかの呪いの類が掛けられているだけかもしれん」
「忠敏様の言う通りです。今はまだ何も分かっていないのです。落ち着いて調べれば解決策がきっと見つかるでしょう」
「……そうだな」
子峰も忠敏に続いて言葉を掛けるが、気休めにしかならない言葉しか紡げなかった。




