前座 其の二
「──此れが紗華の大禍が始めて現れた話に御座います」
講談師の言葉と共にドドーンと銅鑼が鳴った。羅羽は再び夢から醒めた様な感覚を覚え、はっとした。
「──黒い獣が出てくる話ではないのですね」
──始めて聞く話だ。てっきり、『紗華の大禍』といえば大きな黒い獣が登場する話だとばかり思っていたが。
羅羽がしみじみ言うと講談師は同意する。
「ええ、そちらの方が有名ではありますが、『紗華の大禍』が始めて姿を現した時の話といえば此方でしょう」
「成る程」
──『紗華の大禍』の話として伝わっていないのは黒い獣が登場しないために別の話だと思われていたのか、或いは話としては面白みにかけるからか?
羅羽がそんな風に思案していると、講談師は羅羽の考えを理解したのかくすりと笑った。
「実際、一度に三千もの人が消えれば大事でしょうに。得体のしれない化け物の方が人々の気を引いたのでしょうかね?」
「時代は戦乱の世です。きっと人が消えるというのもさして珍しくはなかったのではありませんか?」
安穏な時代に生きる羅羽には戦乱の世など想像出来ない。それでも、戦になれば何百、何千と人が亡くなるということは知っている。
「それを言うならば、嘗ての世は妖魔の跋扈する世。妖魔も決して珍しくはなかったのではありませんか?」
「あっ、確かにそうですね」
講談師に指摘され、羅羽は紗華国の時代が戦乱の時代というだけでなく、妖魔が跋扈していた時代なのだと思い返す。
──この話をあまり聞かないのは矢張り内容か。人が消えた、黒い炎を見たというだけではきっと面白みにかけたのだろう。
「ところで何故、最初にこの話をなさったのですか? 此れだけでは『紗華の大禍の誕生譚』とは言えないでしょう」
「きっと、『紗華の大禍』と言うと黒い獣の話を思い浮かべるでしょう。だから、この話をして認識を一にしておきたかったのです」
「認識を一に?」
──それはつまり……。
「『紗華の大禍』は黒い獣ではない? 或いはそれ以外の姿がある?」
羅羽の殆ど独り言のような呟きに顔の見えない講談師が笑った気がした。羅羽は目を輝かせた。
「──では、続きを話しましょう」
再び銅鑼がドーンと鳴った。




