梁家の武人 其の二
──6年前、梁家所有地での夜間演習時の事である。
「──こんな失態をするなんて」
──嫌になる。
郭家の当主である郭清孝は自暴自棄のなりながら捻った足を擦った。
どうやら前日まで長雨で地盤が緩んでいたらしく、その泥濘に足を取られたのだ。名家の当主として有るまじき失態である。
清孝が足の痛みに堪えながら、悶々としているとガサガサと草木を掻き分ける音がした。
「──誰かいるのですか?」
どうやら崖から落ちた事に気が付いた者が探しに来てくれたらしい。声は高くまだ若い。誰が来てくれたのかと顔を上げた清孝はぎょっとした。
暗闇の中、白い顔が浮かんでいたのだ。思わず声を上げそうになるのをぐっと堪える。よく見るとそれが面である事は直ぐに分かった。
──何故、面を着けているのだろう?
「大丈夫ですか!? 怪我はありませんか?」
清孝が不思議に思っていると、彼は駆け寄って来た。月明かりに照らされ、彼の姿がはっきりと認識出来き、彼は梁家の平服を身に着けている事から梁家の者だと理解した。
「君は梁家の人だね?」
「ええ、そうです。貴方は?」
清孝は一瞬目を丸くした。自分で言っては何だが、それなりに顔の知れた名士だからだ。そして、当主でもある。
「私は……」
「いえ、名乗る必要はありません」
清孝が名乗ろうとした途端、彼はピシャリと言い放った。恐らくは目の前にいる相手が誰かという事に遅まきながら気が付いたからなのだろう。
──きっと態と知らぬふりをしようとしてくれているのだろう。気を使わせたな。
清孝は内心で苦笑した。
「すまない」
「いえ、此方こそ申し訳ありません。前日までの長雨で地盤が緩んでいたのでしょう。あの辺りは以前も崖崩れが起きた場所なので気になってはいたのです。皆に伝えておくべきでした」
清孝は彼の話を聞きつつ奇妙の思った。
「もしかして、君一人で見回りに来たのかい?」
彼は若く小柄で新兵であるのは間違いない。しかし、新兵は通常二人一組で行動する。一人きりなのはおかしい。
「はい。少し様子を見て何もなければ直ぐに戻るつもりでした」
この言葉に清孝は眉を顰めた。
「それは良くない」
一人の勝手な行動が他の者に迷惑をかけるのは明白だった。それは新兵であっても許されない。
──だが……。
と清孝は思う。
「だが、君が来てくれて良かった」
掠れた声は思った以上に弱々しく、自身でも驚いた。
今現在勝手な行動をして、人様に迷惑を掛けているのは自身であるのだ。新兵よりも質が悪い。
「…………まずは足の応急処置をしましょう。此処から麓までは直ぐなのでそこまで行けば誰か人もいるでしょう」
彼は何も言わず、清孝の足元にしゃがむと手早く手当した。手慣れているのか、固定された足は傷みが軽くなっていた。これなら他の者に悟られる事なく、詰め所に戻れるだろう。
「君、名前は?」
「………烏白、です。」
少しの間空けて注げられた名を聞き、清孝ほ苦笑した。
「手当ありがとう。何時か礼はしよう」
そう言って、その場は分かれたのだ。




