針子姫 其の四
「──取りに来るのが、随分と遅くなってしまった」
「構いませんのよ」
千頂山で妖魔が出現しているという知らせを受けてから梁家を訪れる頃には5日経っていた。しかし、針子姫はにこやかに出迎えてくれた。
──此れで面倒事から開放される!
意気揚々の皓然は早く着物を受け取って帰ろうと針子姫に通された客間に入り、目を瞠った。
「──やぁ! 張当主」
「なっ!」
客間には、何故か梁家当主・梁篤実が呑気に茶を啜っていたのである。更に皓然を驚かせたのは、その向かいに座る人物であった。
「挨拶ぐらいちゃんとなさいな」
「叔母上まで!?」
篤実の前に座っていたのは、皓然の叔母・胡蘭。彼女にピシャリと言われ、皓然は唇を引き結んだ。
篤実とは親しい間柄だが、他家で叔母と口論などしたくなかった皓然は視線を針子姫に移し、口を開いた。
「針子姫、これはどういう事だ?」
「ぷっ、針子姫だって!?」
「兄上っ!」
「何が可笑しい!?」
突然吹き出した篤実に皓然はぎょっとしてそちらを向けば、篤実は扇子で口元を隠しながらニタニタと笑っている。何故笑われているか分からない皓然はきっと篤実を睨んだが、彼は澄まし顔で人名を呟いた。
「梁明鈴」
「? 誰だ?」
皓然にはそれが梁家の者である事以外分からず、目を白黒させた。それが面白かったのか、再び篤実は笑い転げた。
「お前の言う針子姫、僕の従妹の名前さ。随分と文のやり取りをしていたのに名前も知らないないなんてねぇ」
くくっと体を震わせる笑う篤実に皓然は顔を真っ赤にして掌を握りしめた。
「何故叔母上がここにいる?」
苛立ち紛れに尋ねると、これには針子姫──明鈴が不思議そうに答えた。
「あの、皓然様は胡蘭様がいらっしゃる事をご存知ではなかったのですか?」
「ああ」
「阿明を訪ねてきた夫人に偶然会ってね。僕が連れて来たのさ!」
「まぁ」と驚く明鈴の横で「ちっ」と皓然は舌打ちをしたが、どうにか気を持ち直して言った。
「ふん、名前がなんだ。着物は既に出来ているし、それを叔母上に渡せばもう此処に来ることもないだろう」
「おや」と篤実が眉を上げた。
「それはつまらない」
「何だと?」
嫌な予感に皓然は眉を顰めた。
「そうだ、良い事を思いついた。我が従妹は元より病弱で殆ど家から出られないのだ。僕が他所で聞いた話を聞かせてやっているのだが、折角だ。お前も聞かせてやって欲しい」
「まぁ、いいわね! でも、明鈴さんはどうかしら?」
これに同意したのは何と叔母の胡蘭であった。その叔母は今度は明鈴に話を振った。
──おい、待て。断わってくれ!
そんな皓然の思いも虚しく、明鈴の目は期待に満ちていた。
「それは楽しそうですわね!」




