和尚の不運 其の二
賀州の岩徳和尚はその名の通り岩の様に頑固で真面目で少々短気だった。その為、人徳はあったのだが、彼のもとで修行する修行僧たちはこの性分に困り果てていた。
事実、彼は徳の高い高名な僧侶であり、彼に物申せる者などこの寺のにはいなかったのだ。
1年程前の話、その岩徳和尚の様子がおかしくなった。それは周囲のものから見ても明らかなほど、彼は穏やかになったのだ。それ自体は修行僧達にとってはとても良い事なのだが、どうも気持ち悪い。
修行僧たちは噂した。
──和尚様と妖魔が入れ替わったに違いない!
それからは修行僧たちは代わる代わる和尚の元を訪れて探ろうと魔除けの札を置いたり、麝香を焚いたり策を弄したが、一向に変化がない。
──和尚様は病になったのかもしれない!
そう思い始めた修行僧たちは岩徳和尚と旧知の仲である医者・枯木のもとを訪れた。
「──和尚様はきっと病に違い有りません!! 枯木様助けて下さい!」
修行僧たちの相談を受けた枯木は急ぎ岩徳和尚の元を訪れた。罵声の一つでも浴びるかと思いきや、彼は非常に穏やかだった。
──これは奇妙だ。
これには彼の人となりを良く知る枯木も首を傾げた。何時もの彼ならば修行僧達が勝手に枯木を呼んだりすれば怒りを顕にししていただろう。
首を捻る枯木に岩徳和尚はこう言った。
「今の私はを奇妙に思う事だろう。実は今私は怒ることが出来ないのだ」
枯木は驚き、一先ず岩徳から詳しく話を聞く事にした。
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──それは隣町を訪れた帰りのことだった。
その日は雨が降っていた。寺が近付くに連れて雨足が強くなり、岩徳は近くにあった廟で雨宿りをすることにした。
その廟は古いが丁寧に掃除されており蜘蛛の巣一つない。供え物も多く大切にされているのは明白だった。
──一体どの神を祀った廟なのだろう。この辺りはきっと信心深い人が多いに違いない。
岩徳和尚は感心し、雨が止むまで手持ち無沙汰なのもあって廟の中をじっくり見て回ることにした。
ふと祭壇の横で黒い獣が蹲っているのに気付いた。
──きっとこの獣も雨を避ける為に入って来たのだろうな。
岩徳和尚は思った。
──この獣が廟を荒らせば、ここの信者が悲しむに違いない。
そうなったら大変だと岩徳和尚は隅にあった箒で獣を突いて外に出すことにした。
箒の柄で獣を軽く叩くとこの獣がギャッと鳴いた。そしてその獣は金色の瞳で和尚を見て言った。
「──和尚よ。何故そんな酷いことをする?」
岩徳は驚きのあまり腰を抜かしそうになった。事もあろうにこの獣は人語を喋るのだ。
──妖魔の類だったか!
岩徳和尚は懐の札をだそうとした。だが、札は全て雨に濡れて駄目になっている。岩徳和尚は冷や汗をかいた。人語を解す妖魔は元より非常に強力で厄介なのだ。
「何故答えない? 別に私は貴殿を喰ったりしないぞ?」
そう問われ、岩徳和尚は意を決して口を開いた。
「私はただお前が廟を荒らすのではないかと思ったのだ」
「それで私を追い出そうとしたのか?」
くつくつと笑うその姿は岩徳和尚には不気味に見えた。
「なぁ、和尚よ。良い事を思い付いた。私と勝負をせぬか?」
「勝負だと?」
岩徳和尚は目の前の獣の提案に身構える。
「和尚が勝ったら私は大人しくこの廟から出て行こう」
「お前が勝ったらどうするのだ?」
「私の退屈凌ぎに付き合ってもらうぞ」
そう言って、獣はニタリと笑った。その瞬間、背筋に怖気が走ったという。
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「──では、貴方はその勝負に負けてそのような事に?」
枯木が尋ねると岩徳和尚は首を左右に振った。
「え? 勝ったというのですか? では、どうしてそのような事に……」
訝しがる枯木に岩徳和尚は気不味そうに理由を話し始めた。




