針子姫 其の一
──『紗華』
妖魔の跋扈していた時代、大陸の東部から中央にかけて存在した大国の名である。
3つの大河と2つの山脈に囲まれたこの国は、文武に優れた8大家に支えられ栄えていた。
しかし、現在『紗華』と呼ばれていた場所は、度重なる戦乱により幾つかの国に分かれている。
『紗華国妖魔奇譚』は、その『紗華』と呼ばれた時代、妖魔討伐に関わった武人や修験者、僧侶達の英雄譚を纏めた書である。
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──遙か昔、まだ妖魔が跋扈していた時代。紗華と呼ばれる豊かな大国に、文武に優れた大家が八家あった。
その日、その内の一家に当たる張家の当主・張皓然は叔母である胡蘭にちくりちくりと小言を聞かされていた。
彼は本日名家の跡取りにして、不名誉な記録を更新したのだ。
「──さて、記念すべき30回目の見合いの失敗。どう償って頂こうかしら」
叔母の胡蘭が嫌味ったらしく言うので、皓然はふくれっ面で文句を言った。
「叔母上が勝手にした事ではありませんか」
「黙らっしゃい!! 名家の跡取りだと言うのに嫁も来ないなんて……」
叔母はおいおいと泣き真似をする。このやり取りは見合いの失敗が5回続いた後から始まり、皓然はいい加減うんざりしていた。
この皓然という男は見目こそ非常に麗しい美男子であったが、傲慢で苛烈な性格であった為、中々女人が寄り付かない。だというのに当人は慎ましやかな美女を好む為、彼の嫁探しは非常に難航を極めていた。
成人した頃から何度か見合いを続けているが、皓然自身が相手を怒らせては破断になっていたのだ。
いい加減相手を見つけるのも難しくなっている事実には当人も気がついてはいたが、目を背けていた。
「反省も兼ねて貴方直々にこの叔母に針子姫の仕立てた着物を持って来なさい」
「針子姫?」
皓然は首を傾げた。
「何処の姫です? 聞いた事がありませんが」
「でしょうね」
胡蘭はふっと意味深な笑みを作った。
「梁家当主の従姉妹にあたる娘なのですが、病弱で余り人前に現れないのです。それこそ深窓の姫君の様でしょう? ですが、その裁縫の技術は素晴らしく、彼女の仕立てた晴れ着で婚儀を挙げると幸せになれると噂が立つほどなのです」
「はぁ……、叔母上が晴れ着を着られるのですか?」
四十を過ぎた叔母に胡乱げな視線を向けると、彼女はキッと皓然を睨みつけた。
「全く馬鹿も休み休み言いなさい! 兎も角、私は針子姫の仕立てた着物が欲しいのです! 貴方は反省の印としてこの叔母に針子姫の仕立てた着物を持って来なさい!」
皓然は内心で舌打ちをした。
──針子姫とやらの着物が欲しい為に俺の見合いの失敗を利用したな。面倒な事になった。
しかし、着物一つで小言の多い叔母の気が晴れるならと皓然はその申し出を受ける事にしたのだ。




