紗華の大禍
──嘗て妖魔が跋扈していた時代の話である。
とある出来事を皮切りに国中を巻き込んだ戦乱が巻き起こった。民の多くが逃げ惑い、多くの人々が儚くも散っていった戦後期、死者の怨念なのか、その死の穢に呼び寄せられたのか一体の悍しい妖魔が現れたという。
これはその妖魔を見た者の話である。
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一人の兵士が戦場だった場所を歩いていた。
一面に黒い煙が立ち昇り、先程まで戦っていた兵士達は姿は無く周囲を見渡すと地面には骸が無数に転がっている。
背中から槍で貫かれた者、剣で腹や喉を裂かれた者が無数に倒れ伏している惨状は凄惨としか言いようの無い場所となっていた。
兵士はその惨状に顔を顰めるも、その戦場を進みまだ息のある者はいないかと探していた。
兵士が死体の中を更に進んで行くと、一際異様な場所に出くわした。
──何だ此処は?
死んだばかりである筈の屍から漂う酷い腐臭に、兵士は思わず鼻を覆った。そして、屍の顔を見て目を疑った。
その場所に転がる屍は皆、恐怖に染まった表情で死んでいる。まるで恐怖によって心臓を止められたような表情だったのだ。
一人二人の屍を見ただけでその異様さが分かった。
一人の首はもがれ、もう一人は腕があらぬ方向に捻れている。
兵士は息を呑んだ。
周囲を見渡せば、黒い臭気が漂い、禍々しい黒い炎がちらちらと揺れている。
まさにそこは地獄絵図だった。
兵士が引き返したい衝動に駆られ、踵を返したその時、背中に悪寒が走った。兵士は今まで感じたことの無い気配に身を強張らせる。
恐る恐る再び周囲を見渡すと何時から居たのだろうか、骸の中央に悍ましき妖魔が一体佇んでいたのだ。
その姿は大きな獣の様であるが、その体毛はどす黒い炎で出来ており、その獣が一歩一歩歩く度に地面がじゅわりじゅわりと音を立てている。
──何だあれは!?
兵士は恐怖でその場から一歩たりとも動く事が出来なくなった。
獣の纏う炎は黒く、ありとあらゆる物を燃やす、それは死者達の怨念の様であった。
兵士は目を瞠った。
──この様な魔物を見た事が無い!!
兵士は恐れおののくと共にその妖魔の纏う穢の大きさと美しさに目を奪われた。
獣が口から黒い炎を吐くと、その炎は骸を一瞬にして周りに転がる躯を焼いた。
兵士の目の前で燃える炎からは不思議な事に熱さは熱気は感じず、異様な寒さを感じた。
その妖魔は兵士を黄金の瞳で一瞥すると興味も持たず去っていった。
兵士はその妖魔の恐ろしさに呆然と見送る事しか出来なかった。
その妖魔が去った後、そこにあった筈の骸は全て一つの残らず塵となり、何事も無かったかのようにただの更地になっていた。
しかし、その去る姿は数多の人々が目撃していた。
その妖魔は度々戦場に現れるとその黒い炎で躯を跡形なく燃やし尽くした。
この妖魔を危険視した道士達によって一度は追い詰められるも、妖魔山で目撃されたのを最後に行方知れずとなった。
後にこの妖魔は現れた国の名を取り『紗華の大禍』と呼ばれたそうだ。