朱衣の女 其の一
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羅羽の実家は都でも名の知れた大店であり、その三男として生まれ育った。
後継ぎの長兄、今は暖簾分けをされ自分の店を持つ次兄、そして良家に嫁いた姉とは年が離れていた事もあり、可愛がられて育った。
「──そんなに甘やかしたら三男坊は碌な大人にならないね」
そう苦言を呈される事もしばしばあったが、両親、兄姉共にどこ吹く風だった。
実際、羅羽は碌な大人にはならなかったなあ、と自身でも思っている。
とはいえ、悪事を働く等人様には迷惑をかけるような事はしていないし、兄姉にとって毒にも薬にもならない様に心掛けてはいた。下っ端ではあるが、一応官吏の職についてもいる。
「──羽は立派じゃないか」
「──羽は流石ね」
そう言ってくれる両親、兄姉は羅羽に今でも物凄く甘い。羅羽自身これで良いのかと思う程度に甘かった。
ただ、それには少なからず理由があり、羅羽はそれを自身のせいだと理解していた。
羅羽は一度死にかけた事があったのだ。
──それは羅羽が5歳の時の事である。
その日は羅羽の側には誰もいなかった。
店が何時も以上に忙しかった上、本来側についている筈の乳母も体調を崩していなかったのだが、何かしらの不手際もあったのだろう。
退屈していた幼い羅羽が店の中を回っても、誰にも相手にしてもらえないので、一人離れへと向かった。
離れには先祖代々伝わる品々が飾られている部屋があり、羅羽はその中でも赤い婚礼衣装を非常に気に入っていた。
その婚礼衣装は古いものであるにも関わらず、仕立てたばかりの様に色褪せず美しかったのだ。その頃の羅羽はそれが女人の着る花嫁衣装だと分かっておらず、大人になればその衣装を纏う事が出来るのだと信じていた。
離れの部屋につくと羅羽は早速床に寝転がり衣装を眺めていた。丁度おやつを食べたばかりだった事もあり、直ぐに睡魔もやってきて、羅羽はそのまま寝入ってしまった。
「──羽よ、羅羽よ!」
どれほどの時間が経っただろう。自身を呼ぶ声と強く揺すられる感覚で羅羽は目を醒ました。その瞬間、焦げ臭い匂いに羅羽は顔を顰めた。
──何の匂い?
見れば周囲は白い煙に覆われており、その奥にちらちらと火の手が見え隠れしていた。遠くで鳴る激しい鐘の音と同じくらい羅羽の心臓はどくどくと音を立て始めた。
──火事だ!
そう理解したのは良いが、羅羽の頭の中は真っ白になってしまった。
「──羽よ!」
不意に羅羽を呼ぶ声がした。声のした方を向けば、朱色の衣を着た女が佇んでいる。
「羽よ。暫し耐えよ」
女はそれだけ言うと、羅羽に頭から布を被せ、そのまま羅羽を放りだしたのだ。その瞬間、何か大きなものが倒れる音が響いた。
あまりの出来事に羅羽は布の中に縮こまり呆然としていた。
「──坊ちゃん!」
「──羽は、無事か!」
大勢の人の声が羅羽の方に向かってくる気配を感じ、羅羽が布の中でもぞもぞと体を動かすと、ばっと勢い良く布を剥がされた。
「羽よ!!」
逆光で最初誰かは分からなかったが、直ぐにそれが自身の父である事に気が付き、羅羽は安堵した。視界の端に兄達の姿もあった。
倒壊した離れの側で、真っ黒に焦げた布の下、羅羽は無傷であったのだ。
火事は直ぐに収まったものの、離れは倒壊、母屋にも少し被害が出た。だが、幸い家族、従業員皆無事だった。