人攫い 其の一
「──大変です、明月様!!」
皓然が言葉を失っていると廊下をどたばたと走る足音が聞こえ、彼を案内していたあの少年が部屋に飛び込んで来た。
「孫易峰、今は来客中だ! 礼儀を弁えなさい!」
「明月様、申し訳ありません! でも、本当に、本当に大変なのです! 姉が、姉が攫われたかも知れません!!」
叱責する明月に対して、取り乱した少年は彼に縋り付く勢いで詰め寄った。
「易峰、落ち着きなさい」
「何があった?」
堪らず皓然も口を挟む。
「張当主。私の姉が拐われたのです! 先程の無礼は俺が謝ります。どうかお助け下さい!」
「それは、確かなのですか?」
少年の切羽詰まった様子に明月の声も固くなる。
「先程、その、張当主に啖呵を切った後、姉は一人になりたいと。何時もなら直ぐに戻ってくるのです。ですが今日は何時まで経っても戻って来ないので呼びに行ったら、これが」
そう言って彼は握っていた髪紐を見せた。
「それが何の証拠になる」
「これは姉が明鈴様に頂いたもの。とても大事にしたおり、常に身につけているのです! それを落とすなんて有り得ません!!」
力説する少年の背を明月は擦って落ち着かせようとする。
「直ぐに周辺を探させます。貴方はそれが落ちていた場所案内しなさい」
立ち上がった明月は皓然に視線を向けた。彼は少し躊躇う様子を見せたが、皓然を真っ直ぐに見た。
「皓然、今ならまだ聞かなかった事に出来ます」
「何?」
皓然怪訝そうな顔をした。
「色々と内輪の話をしたのは私ですし、この様な事を言うと怪訝に思われるでしょう。張家の助力が得られるのは此方としても望むところです」
「ですが」と明月は続ける。
「今はまだ梁家の総意ではありません。私は張家を道連れにしたい訳ではないのです」
「共倒れになると? それほど今の張家に力がないと思っているのか?」
明月が張家を軽んじていると思った皓然は鼻を鳴らし、沸々と湧き上がる怒りを燃やした。しかし、その怒りは明月が続けた言葉で直ぐに消え去った。
「いいえ、力がないのは梁家の方です。場合によっては張家の足を引っ張るでしょう」
淡々と告げる彼の表情は分からないが、妙に頼りなく感じた。
「今この件に関わればきっと後戻りは出来ない。それでも梁家に味方して下さいますか?」
その問の答えに皓然は不思議なほど迷わなかった。