僧侶の話 其の一
──とある高名な僧侶が幼少期に体験した話である。
僧侶は貧しい村で生まれた。両親は早くに亡くし、村人の助けを借りて幼い妹と共に細々とその村で暮らしていた。
日照りが続いた年があり、多くの土地で飢饉が起こっていた。僧侶が住んでいた村も例外ではなく、その日照りの為に作物が育たず飢餓に苦しんでいた。
飢饉が深刻になってくると、村人達は悩んだ末に両親のいない兄妹を山に捨てる事にした。理由は勿論、食い扶持を減らす為だ。
山の中に捨て置かれた兄妹は、いつ来るかもしれない妖魔に怯えながら、二人身を寄せ彷徨った。
「──お兄ちゃん、怖いよぉ。帰ろうよぉ」
幼い妹はどうして此処にいるのか分からず泣いている。僧侶は村に帰る事が出来ない事を理解していた為、ただ幼い妹の手を握る事しかできずにいた。
──ガサガサ
草が擦れる音に二人は震え上った。
しかし、現れたのは一匹の黒い狐。その狐は二人をちらりと見るとそのまま通り過ぎて行った。
二人はほっと安堵した。
そして、ふと僧侶は思った。
──狐がいるのならば、あの狐の後を追えば、何か食べる物があるかもしれない。
子供ゆえの浅慮ではあったが、腹を空かせていた事もあり僧侶と妹は狐の後を追った。だが、子供の足で野生の狐を追いかけられる訳もなく、食べ物どころか狐すら見失ってしまった。
それから二人は当てもなく山の中を彷徨った。日が暮れる頃には、殆ど何も食べていない二人は歩く事もままならなくなっていた。
──僕達が獣の餌になるのだろうか?
僧侶がそんな事を思い始めた頃、ぽつりと火が灯っているのが目に入った。
「──灯り?」
兄妹はその灯りに呼び寄せられる様に進んだ。
──家だ! 人の家がある!
そこには一軒の家があった。兄妹が家の前で立ち尽くしていると、家人らしき女が兄妹の気付き声をかけた。
「──坊や達、此処で何をしているの?」
灯りに照らされた女は兄妹の母親くらいの年齢で、身形がよく、裕福な家の夫人の様だった。
「僕は……」
僧侶は口を噤んだ。「捨てられた」等と言えば、自分達が再び捨て置かれるのではと恐れたからだ。だが、僧侶は嘘をつく事が出来なかった。何故かこの女に嘘をついてはいけない気がしたからだ。
「迷子なのね」
何も話さないでいると女は勝手に解釈したらしい。
「もう遅いから、今日は泊まりなさい。明日道を教えるわ」
女はそう言うと兄妹を家の中に招いた。疲れ切っていた兄妹は女に言われるまま家に入った。女は彼等を客間に通すと食事を振る舞ってくれた。それも、粥に副菜、汁物だ。皆が飢饉で苦しむ中、何と豪勢な食事だろうか、と兄妹が目を丸くしていると女は笑う。
「今出せるのはこれだけなの。質素でごめんなさいね」
女はそう言った。どうやら女は本当に裕福な家のものらしいと僧侶は悟り、考えた。
──もし、妹だけでも置いてくれたら、きっと妹はこの先何不自由なく暮らせるだろう。
僧侶は妹を寝かしつけると女の元を訪れ、山にいた経緯を話した。
「僕の事は捨置いて構いません。どうか、妹だけでも置いてくれませんか?」
「申し訳ないけど、それは出来ないわ」
僧侶がそう頼むと女は首を左右に振り、代わりにと一つの玉を手渡した。
「これはたった一度だけどんな願いでも叶える事が出来るの」
「よく考えて使うのよ」と女は念押しして僧侶に握らせたのだ。
僧侶は手の中の玉を見て、先行きの見えない不安に一人溜息を吐いた。
──翌日
別れ際、女は一つの箱を手渡した。そこには沢山の握り飯が詰められていた。
「助けて頂いたのに、本当にこんなに貰って良いのですか?」
「ええ、勿論。これだけあれば山を越えるまで足りるでしょう」
女はそう言って微笑んだ。
女は三叉路まで兄妹を送って行くと一つの道を指し示した。
「あちらに行けは山を越えられるわ」
兄妹は女に礼を言うと女の指し示した道を歩き出した。僧侶は不安になる度、懐から例の玉を取り出し手は眺めた。そして、何を願うか考え、願った。
どれ程歩いただろうか、雲が空を多いぽつぽつと雨が振り始めた。次第に雨足は激しくなり、兄妹は急いで道を駆けた。
その道の先、傘をさした男が立っていた。
「お前さん達、何処から来たんだ!?」
男は突然現れた兄妹にかなり驚いたらしい。目を瞬かせていた。
「あの道から来ましたが」
不思議に思った僧侶が来た道を振り返るとそこには二人が歩いて来た道は綺麗さっぱりなくなっていた。
──その後、その兄妹はこの男の棲まう寺に引き取られ、その男を師として僧侶となった。また、妹の方は縁あって裕福な家に嫁いだという。
この話を聞いて、その家を探そうとしたものか何人もいたが、結局誰も見つける事は出来なかったそうだ。