付喪神 其の三
郭家の道士達が帰った後、陳梓晴は私室で一人古茶碗を見ながら、その茶碗を譲り受けた時の事を思い出していた。
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「──さん、お嬢さん!」
いきなり腕をぐいっと引かれた陳梓晴ははっと我に返った。
「何をするの!?」
驚いて相手を突き放そうとしたものの力が入らず、ふらついた梓晴は相手に逆に支えられる形となってしまった。
「大丈夫ですか!?」
驚いた声に梓晴が顔を上げると酷く心配そうな表情をした女と目があった。その女は梓晴と同じ位の年頃で身形こそ質素ではあるが、何処となく品の良さを感じさせた。
そこで不思議に思って、梓晴が辺りを見回せば自分が橋の欄干にもたれかかっている事に漸く気がついたのだ。当然ながら橋の下には轟轟と川が流れている。落ちていたらと思うとゾッとした。
「申し訳ありません! お嬢様が橋から落ちそうになっていたので、不躾かと思いましたが、思わず掴んでしまいました」
顔を青くした梓晴に女はそう言ったが、自身の勘違いに気が付いた彼女は羞恥心と申し訳無さで一杯になった。
「私の方こそ……、勘違いをして申し訳ありません。貴女が掴んでくれていなければ、私は橋から落ちていましたわ」
そもそもここ最近の梓晴は何だかおかしいのだ。常にぼんやりとしたおり、この前はうっかり馬車にぶつかりかけたのだ。
結婚前は皆憂鬱になったり、不安になったりするものとは聞いていたが、自身のそれがそうだとはどうしても思えなかった。しかし、梓晴は周囲を心配させまいと自身を無理矢理納得させていた。
──気分転換に散歩でもすれば気が晴れるわよね?
そう思い立ち出掛けて侍女と離れた矢先にこれである。
──私ったら、どうしちゃったのかしら……?
梓晴は自問自答せずにはいられなかった。
「でも、お嬢さんが無事で良かったです。差し出がましい事ですが、何処か具合いが悪い様ですし、よろしければ家の近くまでお送りしますよ?」
再び梓晴ははっと我に返った。心配そうに声を掛ける女に対し梓晴は胸が苦しくなった。
「少し……ふらついただけですわ。本当にお恥ずかしい。でも、連れがおりますの。もう直ぐ戻って参りますのでご心配なさらないで」
「でしたら、あちらの茶屋まで付き添いますよ」
女は橋の近くの茶屋を指差した。そこまでならと梓晴も頷き、付き添われる形で茶屋の長椅子に腰掛けた。思わず溜息が漏れた。
「何か悩み事ですか?」
梓晴の溜息に気付いた女が言った。梓晴は慌てて否定するが、女は微笑む。
「些細な事でも心に溜めておくよりは吐き出してしまったほうが良いですよ。案外赤の他人の方が言い易い事もあるでしょう?」
梓晴は少しだけそうかも知れないと思った。
「大した事ではないのです。私、もう時期結婚するのに最近はぼんやりしてばかりで……。大丈夫なのかしらって」
女は少し考え込んでから、懐から大事そうに何か取り出した。
それを見て梓晴は目を見張った。
女が取り出した布はとても高価なものだったからだ。梓晴は商家の娘でとても目が肥えていた。その梓晴でも驚く品である。
女は大事そうにその布の包を開けると、古い茶碗を取り出した。
「良ければこれを差し上げます。私にとっては掘り出し物だったのですが……、お嬢様には唯の粗末な茶碗ですね」
女は苦笑いを浮かべた。女が取り出したのは確かに粗末な茶碗。だが、高価な布で包む程だ。女にとっては大事な物なのだろうと梓晴は感じた。
「いえ、頂けませんわ」
梓晴は言うが、女は微笑んだ。
「では、これは結婚祝いの品として下さいませ」
女は布で丁寧に包むとやや無理矢理梓晴に握らせた。その時、遠くに侍女姿が見えた。それに気付いた女はさっと立ち上がった。
「もう大丈夫ですね。その茶碗は部屋の月の見える場所に置いてあげてくださいね」
女はそれだけ言うとそそくさと去って行った。梓晴は返せなかった茶碗を眺めながら溜息を吐いた。
「お嬢様、それはどうされたのですか?」
女が去ってから直ぐに現れた侍女が梓晴の手に持った布を訝しそうに見る。
「頂いたの。でも、返さなければならないわね」
「?」
不思議そうな顔をした侍女とともに屋敷に帰ると、梓晴は女の言った通り部屋の月の見える場所に茶碗を飾った。
──後で必ず返しましょう。でも、また会えるかしら?