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風がふいて~短編集~風が吹いて始まる4つの物語   ★第1話:「海の声」

作者: 秋月 レイ

 「海の声」          秋月 レイ 

 

 

 湿気を含んだ暖かい風を受けて、パオンガの大きな葉影がゆらりと揺れた。


「ん……眩しい……」

 ひょこん、と伸びて来た一本の腕が、パオンガの葉をぐいと掴み、そのトゲに刺されて慌てて引っ込んだ。

「いちっ……ちち。目ぇ、覚めちまったぜ」

 ラオズはぴょんっと跳び起きた。うーん、と一つ伸びをする。日に焼けた体がしなやかな豹の様に弾む。

「あぁよく寝た。さて、眠気覚しに一泳ぎでもすっかな」

 黒い岩の上を器用に跳んで行く。天気はいい。飛び込むと、海はコバルトブルーの深い色をたたえて、ひんやりと心地よく、彼を迎え入れた。

「ぷはっ……うーん、最高!」


 ラオズは一つ大きく息をすると、そのまま一気に体を反転させ、海の底へと潜り込んだ。

 素潜りは得意だ。

 島の少年の中でも、ラオズ程長く自在に潜れる者は、そうはいない。

 海の底は色とりどりの色彩に溢れている。青、緑、ピンク、紫の珊瑚礁。海流にそよぐ海藻の林。

 それに群れ成す幾多の魚影。そして――巨大な船。


 貝殻が無数に張り付いて白っぽい塊になったもの、海草の温床となって緑の丘の様に横たわるもの、黒々と朽ち果てた遺骸の様に、その姿を晒しているもの……。

 いずれも魚達の、そしてラオズ達の、絶好の隠れ家であり、遊び場でもあった。


 ラオズは、一際深い珊瑚礁の影の、傾いた白い沈没船の円い窓から、中へと迷わず入り込んだ。

 傾いたおかげで、水平に近くなっている階段を泳いで抜けると、船室がある。

 ここで息継ぎが出来る。

 沈んだ時のままの空気が溜まっているのだ。他の船も大半がそうした、出口を失った空気の溜まり場を内包しているが、この船は特別にその容積の半分近くを水ではなく、空気が占めている。


 薄暗い船室の水面に顔を出すと、ラオズはすいっと近くの壁――以前は天井だった――に近づいて、そこに開いた穴の中へ潜り込んだ。穴の向こうは大広間である。もう50名近い仲間が集まっていた。


「やっと来た。おい、ラオズ、遅いじゃねぇか」

 仲間内では一番年かさの少年、ミゲルが言った。

「へ?」

「『へ?』じゃねぇだろ、まさか今日の集会、忘れてたわけじゃないよなぁ」


 年齢だけではなく、精神的にも一番大人で、皆のリーダー的存在であるミゲルに横目でちらっと睨まれて、内心焦りながらも、ラオズは平然と「忘れてねぇよ。ちょっと用があったんだよ」と、うそぶく。

「用ってお前……」

「まあいいじゃん。それより早く本題に入ろうぜ」

 突っ込まれる前に、ラオズは笑ってごまかした。


「そうだな。せっかく今日は全員揃ったんだから、例の件についてじっくり話し合えるよな」

 不意にミゲルは真面目な顔になった。


 例の件、と言うのは最近、島々の大人達の様子が変だ、ということだ。

 ラオズ達が住むシュリエス諸島は大小七つの島々から成っており、中央の一番大きな島、マガィラ島の長によって束ねられている。

 このマガィラ島で、毎年成人式が行われるのだが、その年齢は十八才。 

 つまり大人と言うのは十八才以上の、式を終えた者を指して言う。


 その“大人”達の素振りが、ここしばらく、どうもぎこちない。

 重大な事件が起こったらしい、と言う事だけは子供達にも分かるのだが、それは何か、となるとさっぱり要領を得ない。


 大人に聞いてみても、皆一様に口を濁すだけだ。こんな事は今まで一度もなかった。それに、時々遠くを見てはぼうっとしたり、子供達の姿を見ていて、ふいに涙ぐんだりする。島中の大人のほとんどがそうなのだから、これはただ事ではないではないか。


「まず、大人達の様子が変になった理由がどうしても分からない。変になり出したのは、一週間前の雨の夜からだったよな、モロル」


 ミゲルにモロルと呼ばれた少年は、おずおずと頷いた。


「うん、水曜の夜中の集会からさ。はっきりしてる。

 その集会できっと恐ろしい事があったんだ。夜中に目を覚まして、とおちゃんとかあちゃんが居ないんで、心配になって外を覗いたら、(おさ)の家の方から帰って来るとこでさ、ボクの顔を見るなり、かあちゃんが抱き着いて、泣き出したんだ」


「そうだったな。他にもあの夜起きていたサラとローリーも、似たような事を経験している。実はオレもあの夜起きてた。親父に、リヤラを連れて丘の家へ言ってるように言われてたんだ」


 ミゲルは長の息子である。

 だから長である彼らの父が彼ら兄妹に岡の上の家へ行け、と命ずると言うことはつまり、その夜は大人だけの集会がある、と言うことを意味する。


「いつも憎らしいくらい落ち着いてやがる親父の様子が、あの日は変だった。――これは後で気付いた事なんだけどさ。リヤラがあんな事になってから。

 ……畜生、一生の不覚だ。今までは時々禁を破っても立ち聞きしに行ってたのに。親父の奴、急に入り用だとか言って網の繕いをどっさり押し付けやがって……」

 ここでミゲルは唇を噛み締めた。


 その夜から、幼いリヤラは口がきけなくなったのだ。

 ミゲルがふと、眠っていたはずのリヤラの姿が無いのに気付いて、家のそばまで探しに降りたときに、道端で呆然としている彼女の姿を見付けた。それっきり、何を聞いても、何も言わなくなってしまったのだ。


「かわいそうなリヤラ。よっぽど恐ろしい話を聞いてしまったんだわ」

 日頃から実の姉の様に慕っている、サラに抱かれたリヤラの目は空ろだった。


「本当に……。一体全体、どうなっちまったんだろうな」

 そんなリヤラを目の当りにして、ラオズもやり切れない溜息をつくのだった。


 ラオズには両親がいない。

 まだ十六だが、数年前に海の事故で両親を失って以来、一人暮しだ。

 だから、親のいる他の者に比べ、大人達の変化にはまだ実感がそれほど持てなかった。しかし、リヤラを見るのは事件以来二度目だが、痛々しい程に憔悴しているのは判る。以前の活発な彼女を知っているだけに、事の重大さが改めて身に染みた。


(ミゲルの奴、二、三日もすりゃ治るなんて言ってたくせに。もう六日にもなるじゃないか。そんなに凄い事聞いちまったのかよ、リヤラ……)

 ラオズの気分は重く沈んだ。


 その時、ミゲルがふと思い付いた様に言った。

「そう言えば、こないだ真っ赤なパオンガの実が見つかったよなぁ。あれはちょうど一週間ぐらい前の事だぜ。あれからまた二つ見つかったって事だし……何か、関係あるんじゃねぇかな」


「真っ赤なやつなんて気色悪りぃ」


「ねぇ、その実は食べられないんじゃないの? だから、そんなのが増えると食べ物が減っちゃって生活に困るからだとか」


「いや、オレ食ったぜ。普通のやつと全然変わらない。むしろ甘さが増して美味いぐらいだよ。でも、大人は食おうとしなかったな」

「何でだろ?」


「単に気味悪かったからだろ」


「でも、味見もなにもしなかったんでしょ。初めて見たんなら子供に食べさせたりするはず無いわ。長老のところへ持って行くなりなんなりするわね」


「んじゃ、やっぱり前にも見たことがあるんだよ」


 皆が一斉にがやがやと自論を展開し始めた。

「よし、分かった!」

 ミゲルは騒がしくなった皆を静めて言った。


「このままじゃ埓があかないから、ちょっとでも変わった事から手を付けて行くとするか! みんな、今度赤いパオンガの実を見付けたら、必ず大人に問いただしてみること! 他にも何か変わった事があったら、すぐにオレに連絡するんだぞ。じゃ、今日はもう解散だ」


 子供達はバラバラと船から散って行った。ここまで潜れる子供は、だいたい平均して八才ぐらいだ。リヤラはまだ六才。リーダーである兄のミゲルを慕ってここまでついて来る様になった、勝ち気な娘だった。

 その子が口もきけなくなるなんて。ラオズの胸は痛んだ。


「ミゲル、オレも一緒に行く。家までリヤラを送らせてくれよ。な、リヤラ?」

 俯いていたリヤラだが、ラオズにぽんと肩を叩かれてふっと顔を上げ、心配気なこちらの顔を見上げて、安心させるようにニッと笑った。


  ※


「おい、タンポポってこんなにでかかったかな。これなんか、オレより背が高いぜ」


 ラオズが、一際高く伸びたタンポポを気味悪そうにつつきながら言った。


「どうやら今年は植物の成長がいいみたいだな。他にもラグビーボールみたいな米粒とか、六枚葉のクローバー畑を見付けたとか聞いたぜ」


「いや、成長がどうとか言う問題じゃなさそうだ。その手の報告が他にも沢山あった。それも植物だけじゃない」


「え? 馬みたいな鶏が生まれたとか、子ブタが三十匹生まれたとか?」


「そんな気楽な話じゃない。手足が無いのが生まれたり、死産が増えたっていうんだ」

「げ。何だそりゃ」


「それも、この島だけじゃない。昨日、モン島の連中が来てて、同じ様な事を言ってた。気になって他の島も全部行ってみたけど、どこでもそうらしいんだ」


 ラオズの傍らの岩に腰掛けて、ミゲルは長い髪を縛り直しながら言った。どこを見るでもないその目は暗い。

「今夜は七つの島全部の長が集まる大集会だ。オレはもう成人式まで待っていられない。今日、集会の場で大人共に問いただしてやる」


「おい、正気かよ、お前の成人式は三日後だぜ? もうちょっと我慢出来ねぇのか。なにもわざわざ……それって重罪なんだろ?」


「かまうもんか。一年成人式が延ばされるだけだ。それに、どうしても我慢出来ない理由があるんだ――」

 ミゲルは一瞬口をつぐみ、やがて吐き捨てる様に言った。

「今朝、隣のメシル姉さんの産んだ子は、頭が半分無かったんだ!」


「!!」


「リヤラが聞いたのはこれに関する事に間違いない。大人はこのことを知っていたんだ! こんなことを子供達に黙っていていいのか? いずれ島中のみんながこのことを知るさ。でも、何も知らされずにいたら不安じゃないか!」


「――それで、小さい奴らにも教えるべきだってのか? みんなリヤラの様になるかもしれないぜ」


 いつもの彼らしくもなく、立ち上がって拳を震わせているミゲルを見ている内に、何故か反対にラオズの方が落ち着いて来ていた。


「あれは急に知ったからだ! ――ゆっくり順を追って話せばそんなことはないさ。知る権利は誰にでもあるんだ!」


「――どうやらお前のおやじもそう決心したらしいな。……あれを見ろよ!」


 ラオズが指差した山の頂きに、一筋青い煙が上がり、次いで太鼓の音が響いて来た。全員集合の合図だ。一番近い“伝達の広場”へ行かねばならない。


 木の上の”スピーカー“から長の声がする。

『今日集まってもらったのは重大な発表があってのことだ。子供達も薄々気づいておろうな。最近動植物の様子が変だということにだ。……幼い者は知るまいが、実は三、四十年ごとにこういう事が起こるのだ。

 この前は三十六年前だった。

 ”その年“は、いち早く真っ赤なパオンガの実がなる。これは、大陸の方からそういった変種のなる花粉が飛んで来るからなのだが、その風には放射能という毒が強く含まれておってな。タンポポの背が伸びたり、変な動物が生まれたりするのだ。そして、人間も例外ではないのだよ……

 ――今朝、メシルが産んだ子はその影響を受けていて、しばらくして死んだ。残念ながらこれから一年近くの間に産まれる子供は、八割以上がそんな子供なのだ。

 思い出してみるがよい。この七つの島全体で今年三十六才になる人間は何人いる?……たったの二人だ。無事産まれても、途中で死んだりすることが多いんじゃよ。いや、死なせてしまうと言うべきか。五つになっても言葉が話せず、泳ぐことも物を作ることも出来ない子供は、海の神に捧げるというのが掟だからな』


「そんな……」

 子供達は目を見開き、大人達の間からは嗚咽が漏れた。


『それから』

 長の口調が急に厳しさを増した。

『放っておいたのでは全員の体の調子がおかしくなる。今日から三日に一度、聖なる洞窟で神の光を浴びねばならん。これは最優先命令だ。そして、もう一つ。三日後の成人式は取りやめだ。来年、二年分まとめて行う。当然、結婚式も一年間はおあずけだ。……では以上だ。

 尚、十六才、十七才の者達はこれからわしの所へ来るように。他の者は屋号一の家族から順に、聖なる洞窟へ向かうこと。光りは灯してある。注意書きをよく読むこと。ではすみやかに移動せよ』


 長の話は終わった。

 しばらくは誰も口をきかなかった。が、前回の風の年――いつの間にか”その年“はそう呼ばれるようになっていた――を経験した年輩の者達の先導で、島人達は次々と行くべき場所へと向かった。重い足どりで。

 ラオズとミゲルも、その場に居合わせた他の十六、七才の少年少女数人と一緒に、長の家へと向かった。


 ラオズ達がいたのは長の家から一番遠い広場だったので、彼らが着いた時にはもう殆どの該当者が集まっていた。三十人位だろうか。

「ふむ。これで全員だな。サラとミリーは、今日はレイゼ島へ行っとるらしいから、向こうの集まりへ出とるだろう。よいか、驚かずに心して聞けよ……おまえ達の中から次の長を選ぶ」


 いきなりだった。一瞬、全員がざわめく。

「しかし、適した者がおらん場合は、もっと年下の者にその権利が移る。実際、わしの時は十四才だった。なまじっかな者では耐えられん、つらい仕事だ。……まず、この中で、辞退したい者は立って後ろへ下がれ」


 長のこの時の顔は、厳しく、有無を言わせぬ何かがあったので、この一言で気の弱い者と少女の大半が退いた。

「では、この中で素潜りが二十分以上出来る者だけ残れ」


 さらに数名が退いた。


「ほほう。九名か。なかなか頼もしいな。では、二十五分ならどうかな」


 残ったのは三人だった。

 ラオズとミゲルとレナ。レナは少女である。だが、三人とも少々不審な気持ちであった。島に住む民として、泳ぎは確かに重要である。しかし、それが長になる決め手となるとは思い難い。


「この三人か。サラとミリーはどうかな。確かサラもかなりの泳ぎ手だったと思うが。……よいか、潜りが必要な訳を教えてやろう……水葬があるからだ。これから次々と産まれて来るであろう哀れな赤子達を、一番深く沈んだ船へ運ばねばならんのだ。そして、長として学ぶべき事の多くも、そこにある」


 ラオズの後方でレナがあっと息を飲んだ。彼女は以前それを垣間見たことがあったのだ。決して近づいてはならないと堅く禁じられている黒い海溝。


 ある日それと気づかずにその付近へ入り込んでしまった時、彼女はその中腹に引っかかった不気味な船影を見たのだった。……あれが墓だったのか。


「普通に死んだ者は土に埋めてやれるのだがな。今でもその船には数え切れぬ程の呪われた遺体が眠っているのだよ。……死んだとは言え、まだ幼い赤ん坊を親から引き離す時はつらいぞ。心がかきむしられる。それに耐えられるかな?」


「……」

 誰も答えなかった。

「今すぐ返事をしろとは言わん。この三人には一応候補、と言うことでこれから試練に耐えてもらわねばならん。……最後に残った者が次の長だ」



  ※


 試練は次の日から始まった。昨日の三人にサラを加えた四人は長に連れられて、メシルの赤ん坊を海の底の墓場へと運ぶ事になった。 長が船腹の円い窪みに手をかざすと、静かに墓はその不気味な入り口を開いた。中は真っ暗である。


「いいか。気を確かに持てよ」


 長の低い声と共に、パッと薄紫色のライトが一斉に灯った。

 そして……四人共ぞっとして、声にならない悲鳴を上げた。通路の両脇の棚には透明なカプセルに入れられた無数の、いずれも目を背けたくなるような姿の赤ん坊がずらりと並べられていた。


「目をそらすな。よく見ておけ。そして心に深く刻み付けておくのだ。これは――人間がしたことの結果なのだから」


 その時、後ろでドサッと言う音がした。サラが気を失って倒れたのだ。


  ※


「いやあぁぁ!この子を連れて行かないで!」


 泣き叫ぶ母親。モロルの母親だ。それを、沈痛な面持ちの父親がなだめる。

 こんな時はいつも自分が悪魔になったような気がする。胸が張り裂けそうになる光景だ。彼らの三番目の子供は、生後一ケ月で死んだ。生まれたときには何も異状は無く、とても愛らしい赤ん坊だった。それだけに、両親は一縷の望を託していたのだ。――それが、今日死んだ。


「私も殺して! その子と一緒に連れて行って。一人じゃかわいそう。お願いよ……」

 泣き崩れる母親を背に、ラオズとレナはその家を後にした。


 レナは強い。人前では決して涙を流さない。こんな点ではラオズはレナにはかなわないと思っていた。しかし、こんな日はいつも、役目を終えて一人になると、レナがパオンガの葉陰で声を殺して泣いているのを、ラオズは知っていた。


「レナ」

「ん?」

「……ミゲルのやつ、なんで急に自分は降りるって言い出したんだろう」

「さあ。でも、辛いからって逃げ出すような人ではないはずよね」

「うん。オレはあいつが一番長にふさわしいって思ってたんだ」

「何か事情があるみたいだったわ。……後で一緒に会いに行かない?」

「そうだな」


 ラオズとレナが長の家の前まで来た時、突然ミゲルが飛び出して来た。そしてラオズ達の顔も見ずに、そのままものすごい剣幕で走りさって行った。


「ミゲル……」

 その後から、涙で頬を濡らした彼の母親が出て来た。美しかったその顔も、近ごろめっきりと年を取ったように見える。

「一体どうしたんですか」

「あの子はリヤラを――リヤラを助けに行ったの……」

「リヤラを? どうかしたんですか」

「――これからあの子が神に捧げられるのよ」

「ええっ!」

「聖なる洞窟へ――お願い、リヤラを助けてあげて。あの子は本当は口がきけるのよ!」 


 ラオズとレナは、聖なる洞窟を目指して走った。

 長になる修行を始めて以来、実は聖なる洞窟は彼らの先祖が作った空を飛ぶ船で、人間が生きるのに必要な全ての機能と情報を持っているのだと教えられていた。

 そして、その機能を持続させるためには、どうしても生きた人間を犠牲にする必要があることも。船の頭脳を作動させる、本物の生きた頭脳。そのために、一人の人間が生きたまま船の心臓部へ直結されるのだ。

 前回の犠牲者は、もう百年も船の中で眠っている。

 そろそろ寿命だとも聞かされていた。だから次の『守護者』を考えておかねばならない、と。


 ……まさか! 

 ――リヤラはあの晩これを聞いたのではあるまいか。そして、自分が犠牲になろうと…… 

 そんな考えを振り払おうとして、ラオズは激しく首を振った。だが、考えまいとすればする程、この恐ろしい考えはより一層真実の色を帯びて、ふつふつと胸の内に頭をもたげて来るのだった。


 ラオズとレナが聖なる洞窟へたどり着いた時、辺りには誰もいなかったが、『神檀』の扉が開きっぱなしになっていた。

 二人はそこから中へ入った。奥へ奥へと、薄暗い道が続いている。ミゲルの声がその先から響いて来た。長の声も。


「馬鹿者! 今聖なる光が消えてしまったら、全員が死なねばならん事になるのが分からんのか!」

「だからオレがなるって昨日言ったじゃないか! リヤラでなきゃだめな訳じゃないんだろう!」


「兄様!」

 リヤラの叫ぶ声が空洞一杯に響いた。

「兄様、リヤラがお願いしたことなの。そうでもしなきゃ、きっと兄様がそう言うだろうと思って」

「リヤラ、お前やっぱり口が……」

「うん。でも、最初の晩は本当に口がきけなかったのよ。……御免なさい、だましてて。でも、リヤラ本当に、みんなの役に立ちたいの。犠牲なんかじゃないわ」


 これが七才にも満たない少女の言葉であろうか。そのいたいけな姿は神々しくさえあり、一瞬誰も口を開く事が出来なかった。

「さあ、もう時間がない。一刻をあらそうんだ」


 長がそう言ってボタンに手を伸ばすと、天井からスルスルと円筒形の透明な筒が降りて来た。それが今にもリヤラを飲み込もうとした刹那。


「だめだ!」


 ミゲルが絶叫と共にリヤラを突き飛ばした。――ウィン、と鈍い音がして、ガラスの筒はミゲルをその中に飲み込んだ。


  ※


 あれからもう七年にもなる。結局、次の長はラオズに決まった。


 今は毎日、長となるための膨大な量の仕事や勉強をこなさねばならない。全て修得するにはあと十年はかかるだろう。候補者が若い者でなくてはならないのはこのせいでもあるのだ。


 あの日以来、ミゲルは『聖なる人』と呼ばれる、二度と動かぬ人となった。白い、糸のように細い半透明の管で包まれた彼は、まるで繭の中で孵化を待つ様だった。


 サラが毎日そこへ花を持って行く。毎日何かを語りかけている。

 レナは既にミグレイ島の長となり、リヤラは十三才の若さで、もうドロール島の次の長となることが決まっていた。


 ラオズはあれ以来、時折暇を見ては海を見つめるようになっていた。

 そしてその度に、波立つ暗い海の底から何かに語りかけられているような気がするのだ。


 長は、あの船の中に葬られた子供達は人間のしたことの結果だと言った。先祖の犯した罪の為、安らかに土に返ることさえかなわぬ哀れな小さな(むくろ)達。どの様な悲劇が引き起こされるのか、忘れぬ為の標本。


 ……そして、海の声は今日も語りかける。

 彼らは未来において、またお前達が過去と同じ過ちを犯さぬ為の戒めだと。……そうなのだ。二度と犯さぬ為の。


 ―― 西暦二千九百〇X年、人類はついに第四次世界大戦を引き起こした。汚染され尽くした地球を見捨て、宇宙へと旅立って行った船の数、約一万五千。だがその後、母なる地球へと舞い戻った船も数多くあった。

 だが、彼らの生活は厳しい。放射能による突然変異で、狂暴となった猛獣が、自然の猛威が、容赦なく彼らを襲う。

 だが、最も恐ろしいのは、彼ら自身がその放射能の影響を受けることであった……。


 多くの悲劇を生みながら、彼らは戦い続ける。そして語り続ける。二度とこの手で地球を穢すなと……


 ―― 西暦三千百二十一年、現在地球復元中 ――

  

                  -完-







※ 巨大なタンポポは、昔チェルノブイリ近郊で発見されたそうです。


連載小説の形にしようと思ったのですが、実験的にそれぞれニュアンスが全く違う話になっていますので、単品ずつでアップさせて頂くことにしました。


お気に召しましたら、励みになりますので、☆にて評価お願い致します。

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