番が帰りたがっている
「ねー、そろそろおうちかえる?」
エデュアルドの手持ちで一番綺麗なシャツをきたアズがきく。小さなアズには裾が長すぎてワンピースのようになっていた。
あわよくばこのまま寝てくれたら、と思ったがそう甘くはなかったようだ。ここは異世界で、アズは俺の番だからこっちに喚ばれて、もう家には帰れない。
そんな説明をしても、今のアズにどの程度理解出来るのか。…理解できたとして、俺の番だからこちらへ来た、と知られたらどう思うだろうか。両親が恋しい年頃だろうし、エデュアルドの番であることを嫌がるかもしれない。そこまで考えて、ゾッとした。背筋が凍る。
「…アズ、帰られないんだ」
まだ小さくて理解できないだろうから、そんな免罪符で単純に事実だけを伝えることにした。
「…あずかえる」
「帰られないんだよ、アズ」
「なんで! いや、かえる、かえるの!」
大きなガラス細工の様な目に、みるみる涙の膜が張る。あっと思った時にはもう大粒の雫になって両の瞳からポロポロとこぼれていた。
「なんでおにーちゃんいじわるゆーの! あずかえるもん!」
「…ごめんな」
泣いている顔が見てられなくて、アズを抱きしめた。エデュアルドの腕の中で怒ったように暴れて、なんで、なんで、と繰り返していたが1時間ほどたった頃、全身から力が抜けてすうすうと寝息が聞こえはじめた。
顔を見ると、泣き腫らした目で涙の跡が行く筋もついている。柔らかな布でそっと顔を拭う。長いまつ毛に残ってきた水滴を指でとった。番を悲しませてしまった事実に胸が締め付けられる。
ふとアズの涙で濡れた服に気づいて、エデュアルドの番だからこちらの世界に来たのだ、と知られたらアズに嫌われるかも知れない、と先程も頭をよぎった考えがまた首をもたげた。
…もう少し大きくなるまで隠しておこう。嘘をつくわけではない。聞かれたら正直に答える。だから、今はおちつくまでこのままで。
そう決めて、アズの横にごろんと寝転んだ。番の隣ですんなり眠れるか心配したが、疲れていたのだろう。寝息の数が2つになるまでに、時間はかからなかった。
▷▶︎▷
エデュアルドの朝は早い。もともと体質的に睡眠時間は少なくとも耐えられるし、今日は横に番がいるのもあって緊張していたのか、いつもよりさらに早く目が覚めた。
アズの子供らしい無防備な寝顔を少しの間眺めて、そっと起こさないようにベッドから抜け出す。アズはまだぐっすりと寝ていて、起きる素振りはなかった。
(朝飯、どーするかな…)
エデュアルド1人であれば適当にすませていたが、アズにはきちんとしたものを食べさせたい。昨日の夜も食べずに寝てしまったし、いつから食べていないのかは分からないが腹は空いているはずだ。
…起き抜けに泣いてグズって、朝食も食べられないという可能性もないではないが、番の空腹を無視はできない。
近くの店に軽食でも買いに行きたいが、安宿にアズを置いていくのも危ないだろう。
思案しながらキッチンで湯を沸かす。とりあえずお茶くらいは飲むだろう。
「ん…」
声がして振り向くと、ベットからむくりと起き上がったアズと目が合った。大きな茶色の瞳はまだ眠たげだったが、エデュアルドを見た瞬間、パッと大きく見開かれた。
「おうち!」
アズがバッ、とベットから飛び出す。
「うお、あぶねーだろ!」
小さなアズからするとそれなりの高さだ。案の定バランスを崩して転びかけたアズを抱きとめる。
ふわり、と香った番の匂いに胸が華やぐが、アズの悲壮感あふれる表情をみて気持ちが強ばる。
1晩寝ただけで、忘れられるものではないだろう。当然だ。
当たり前にあったはずの両親も、友人も、環境も、全て突然失ったのだ。受け入れられないのも無理はない。
「なんで、おうち、かえられないの……?」
行き場のない気持ちをアズ本人も持て余しているようだった。目がまた潤んでいる。泣かないでほしいと思うけれど、エデュアルドは無力でアズはまたぽろぽろと泣き始めた。
「パパ、ママ…、帰りたい、帰りたいよぅ……!」
切実な声に答える術を、エデュアルドは持ち合わせていなかった。考えては口を開きかけ、また閉じる。アズをかかえたまま、背を優しく撫でることしか出来かった。
どれくらいそうしていただろうか、1度沸かした湯がすっかり冷めた頃、アズがやっと泣き止んだ。
「…のど、かわいた」
「あ、ああ、茶でいいか?」
「のみたい」
小さな体で、何を考えて、何を想ったのか、エデュアルドには分からない。それでもやっとすこし前向きになったアズにほっとして、お茶の準備を始めたのだった。
基本的に面倒見のいいエデュアルド。お母さん化進みつつあります。