08 推しを遠くから見守りたい2
馬車に揺られて王都の中心部へ入ると、フィリーネは不思議な気分で外を眺めた。
石畳が綺麗に敷かれた道の両脇には、三角屋根の背の高い建物がひしめき合うように立ち並んでいて、商店も数多く存在する。
南側には大運河があり、桟橋にいくつも停泊している船からは大量の積み荷が降ろされていて、活気にあふれた印象の街だ。
フィリーネの実家であるデッセル家も王都の中心部にあり、彼女は生まれてからずっとこの街で暮らしてきた。
貧乏男爵令嬢だったフィリーネは平民とさほど変わらない生活をしてきたので街には詳しいが、七海の記憶が入ったせいで初めて訪れる街のように思えるし、豪華な馬車から街を眺めるというのも変な気分だった。
(この辺りは、ゲームの背景でよく見た場所だわ)
馬車は高級店が立ち並ぶ一角へと入り、文具店の前で停車した。
王都で一番の高級文具店へは、王都に詳しいフィリーネも入るのは初めてだ。馬車を降りて少し緊張しながら店内へ入ると、平民が利用する文具店とは比べ物にならないほど多くの商品が陳列されていて圧倒される。
「わわん?」
「何を買うのかって?色画用紙と厚紙にスケッチブック、それから絵具も必要ね」
フィリーネがそう答えると、カミルはまるで場所が知っているかのように先頭を歩いて、色画用紙のコーナーへと連れて行ってくれた。
カミルはフォルクハルトが学生の頃から何度もここへは訪れているので、店内の配置には詳しいようだ。褒めてくれと言わんばかりに色画用紙の前で尻尾を振っている。
フィリーネがお礼を言いながら首の辺りをなでると「くぅ~ん」と満足気に目を細めた。
「フィリーネ様、色画用紙で何をされるのですか?」
「ファンサうちわを作ろうと思うの」
見当がつかない様子のアメリア向かって、フィリーネはにこりと微笑んだ。
『ファンサービスをリクエストするうちわ』略して『ファンサうちわ』
ライブで観客に向かって手を振るなど、推しにしてもらいたいファンサービスをうちわに書いてアピールするものだが、推しへのメッセージを書いたり、貴方は私の推しですとアピールしたり、使い方は様々だ。
フィリーネはそのファンサうちわを使って、フォルクハルト推しだと主張したいようだ。
説明を聞いたアメリアは自分も手伝うと張り切り、カミルも賛同するようにわんっと吠え、ハンスも慌てて手伝いを申し出た。
「ふふ、皆ありがとう」
残りの材料もカミルに案内してもらい揃えると、執事から預かってきたお金でアメリアが支払いを済ませた。そのお金はフィリーネの給料で、今は執事が管理を任されている。
当初フォルクハルトは月々の生活費を渡すつもりだったが、それだとフィリーネが遠慮して使わないとライマーに言われたので給料方式にすることにした。
使用の有無にかかわらず、最終的には慰謝料と共にフィリーネの手に渡ることになっている。
これ以上行き違いがないよう全ての条件を記載した契約書が作成され、父親同伴の元に契約が交わされた。
『俺が不甲斐無いばかりに、フィリーネには苦労をかけるな……』
結婚に関する真実を知った父クラウスは大変ショックを受けたが、フィリーネは笑顔で受け流した。
当時の彼女にとっては笑顔になれる心境ではなかったが、心配させないためにも父の前では努めて明るく振る舞った。
父からは給料は好きなように使えと言われているが、クラウスの月給よりも多い給料を全て道楽に使うつもりはない。
貧乏の根源ともいえる、領地の負債に充ててもらう予定だ。
(けれど、これくらいは許されるわよね)
フィリーネが使ったのは給料のうち、ほんのわずか。父が知ったら、貧乏性で使うに使えなかったのだと嘆くことだろう。
屋敷へ戻り、昼食を終えた午後。
フィリーネとメイドと護衛と犬。三人と一匹は、裏庭の端にある作業小屋へと来ていた。
「何をするんですかい?」
木材置き場を物色するフィリーネに、白髪の庭師ジムがそう尋ねた。
「薄い板か棒が欲しいの。それをカットしたいのだけれど」
大きさと厚さを教えると、ジムは細長い木材を探してきてくれた。
厚さ三ミリほど、幅二センチ程度、長さは二メートルくらいはありそうだ。それが数本ある。
「これならたくさん作れそうだわ。ありがとう、ジム」
フィリーネが喜んでお礼を言うと、「カットはお任せくださいっ!」とハンスがどこからかノコギリを持ってきた。
ノコギリなら貧乏令嬢のフィリーネでも扱えるし、七海も推しグッズを綺麗に並べるためのDIYに励んでいたので手馴れたものだ。
けれど、今は貧乏令嬢時代とは比べ物にならないほど豪華なドレスを着ているので、足を上げて木材が動かないように踏むなんてはしたない真似はできそうにない。
なので、ありがたくハンスにお願いしたのだが――。
「あれっ、また失敗したぞ?」
どうしてそうなってしまうのか、途中までノコギリを入れるとバキッと変な方向に裂けてしまう。
剣術には長けているハンスも、大工仕事は苦手だったようだ。
(はしたないけれど、私がやるしかないかしら……)
そうフィリーネが思っていると、呆れた様子で見ていたジムが進み出てきた。
「やれやれ、お前さんは力を入れすぎなんじゃ。ほれ、ワシに貸してみ」
ジムがハンスからノコギリを受け取ると、手馴れた様子で綺麗に木材がカットされた。
「すっすごい、ジムさん!俺に教えてくださいっ!」
「よかろう若者。ワシの指導は甘くないぞ?」
「はいっ!よろしくお願いします!」
ここからジムによる気合の入った指導が始まり、さながら師匠と弟子のような関係となった二人は、フィリーネ達がいることも忘れて熱中してしまった。
カミルは早々に飽きてしまったのか、今は庭で蝶々を追いかけている。
「フィリーネ様、次の作業へ進んでいましょうか……」
「そうね。ジム、ハンスをよろしくお願いね」
フィリーネがそう声をかけると、ジムはハンスの握るノコギリに集中したまま片手を上げた。
「おう、任せてくだせぇ。くぉらぁ!軸がぶれているぞっ、そんなんじゃ真っ直ぐに切れないだろっ!」
「はっはい、親方!もう一度やり直しますっ!」
ジムのお眼鏡に適う完成品が何本できあがるのか、作業小屋を後にしながらフィリーネは少し心配になったのだった。





