37 推しと領地視察3
実家へは、頻繁に帰るとローデンヴァルト家の居心地が悪いのではと心配をかけてしまう気がしたので、結婚してからは一度も帰っていないフィリーネ。
当然、祖母が送ったという手紙は読んでいないし、結婚という言葉に驚いた。
「あの……、テオとの結婚とは……?」
「我が家には貴族へ嫁ぐための持参金もないし、借金を背負ってまで婿に入りたいという方もいらっしゃらないでしょう?フィリーネにはどんな形であろうと結婚して幸せになってもらいたかったものだから、テオのお嫁さんにと思ったのよ。ほら、あなた達は仲が良かったでしょう?」
平民にはなってしまうが、田舎なら都会よりも住みやすいはずだと田舎育ちの祖父母はそう考えていたようだ。
それに王都で平民と結婚するとなると、フィリーネには『貴族と結婚できなかった貧乏令嬢』という汚名が一生付きまとってしまう。
祖父母なりに、フィリーネの幸せを考えてのことだった。
けれど、息子のクラウスからの返事は『フィリーネを嫁がせる予定はまだない』というもので、祖父母は不思議に思っていたようだ。
「お祖母様達が、私の将来を心配してくれていたなんて嬉しいわ。ありがとう」
「孫娘を心配するのは当たり前よ。テオには申し訳ないことをしてしまったけれどね」
(それでテオは、あの時に残念そうにしていたのね……)
そんな出来事があったにもかかわらず、彼は危険をおかしてまでフィリーネ達のために食材調達をおこなってくれたようだ。
改めてお礼を伝えたくなったフィリーネは、テオを探すことにした。
祖母の部屋を後にしたフィリーネは、テオを探しながら塔の探検を始めた。
フィリーネが訪れていた頃の塔は祖父母しか住んでいなかったので、使っていない部屋をテオと一緒によく探検したものだ。
軍事施設だったここには、大砲を撃つために壁がぽっかりと開いている部屋や、兵士が寝泊まりする二段ベッドがずらりと並んだ部屋、武器を保管する倉庫などがある。
残っているものはどれも壊れて埃をかぶっていたが、子供の好奇心を満たすにはじゅうぶんな場所だった。
今はそのどれもが綺麗に片付けられていて、領民が寝泊まりする部屋となっている。
昔とは違い、塔の中は活気に満ち溢れた空間になっていた。
それらを見学しながら塔の屋上までたどり着いたフィリーネとカミル。
「ここからの眺めはとても良いのよ」
カミルを案内するように屋上へ出たフィリーネは、そこで気持ちよさそうに寝ているテオを見つけた。
テオはフィリーネ達の気配に気がついたようで、目をこすりながら起き上がった。
「フィリーネか……」
「ごめんなさい、テオ。起こしてしまったわね」
大きく伸びをしたテオは、すっきりとした表情をフィリーネに向けた。
「いや、昨夜は深夜にお前んとこの護衛さんが見張りを代わってくれたから、ゆっくり眠れたんだ」
「テオはよく見張りを任されるの?」
「独身の若者は俺一人だからな、ほぼ俺の仕事みたいになってるよ」
「毎日は大変ね。危険ではないの?」
「意外と楽な仕事だぜ。塀を登ってくるような魔獣にはまだ出会っていないし、集まりすぎた時は塀の上から松明を落とせば逃げていくしな」
「それに」と、テオはにやりと笑ってみせる。
「見張りをすれば農作業は免除されるんだ。めちゃくちゃ楽な仕事だろ?」
「ふふ、テオらしいわ」
村の同世代では一番年下だったテオは、割とちゃっかりした性格だった。今でもその性格は健在のようで、避難生活のような暮らしでも悲観していない様子にフィリーネは少し安心をした。
「テオ、私達のために町へ食料調達をしに行ってくれてありがとう。久しぶりの領地の食事は美味しかったわ」
「それくらい大したことじゃないさ。それよりも俺達にまでお土産ありがとな」
領地にあまり余裕はないと思ったフィリーネとフォルクハルトは、自分たちの滞在中に必要な食材はもちろんのこと、村では調達しにくいであろう食材や嗜好品の食べ物などもお土産としてたくさん持ってきたのだ。
昨夜はそれらも振る舞い、領民は大いに喜んでくれた。
「あの……テオ。お祖父様とお祖母様が、私との結婚を勧めたようで……ごめんなさい」
しばらく他愛もない会話をした後にフィリーネがそう切り出すと、テオは寂し気な表情を見せた。
「……聞いたのか。まぁ、貴族のお嬢さんをもらおうなんて俺には不釣り合いな話だったのさ。気にすんな。ただ……」
テオはそれまでの雰囲気をがらりと変え、熱い視線をフィリーネに向けてきた。
こんな表情の幼馴染を見るのは初めてだ。フィリーネの記憶の中にあるテオは、王都では味わえない体験をさせてくれるやんちゃな兄のような存在だった。
「俺は本気だったぞ。大旦那様に言われたからじゃなく、俺の意思でフィリーネを――」
今にもフィリーネに触れそうな勢いのテオに圧倒されてフィリーネが一歩後ずさったところで、誰かが二人の間に割って入ってきた。
「フィリーネ様を誘惑する気か!身の程を知れ、領民!」
「ハンス……!」
フィリーネが驚いて視界を埋めた背中の主の名を呼ぶと、ハンスは首だけ振り返ってにこりと微笑んだ。
「立ち聞きしてしまい申し訳ありませんが、これが俺の仕事なもので」
ハンスの仕事はフィリーネの護衛であり、彼女の身の危険を回避すること。
この行動が仕事に入るのかハンス自身が一番疑問に思っているが、フィリーネの心を乱す存在が許せなくて思わず出てきてしまった。
「俺は別に誘惑なんて……、フィリーネに俺の気持ちを伝えたかっただけだ……」
「それが迷惑なんだ。フィリーネ様はすでにご結婚されて幸せな生活を築いておられる。フィリーネ様を想うのなら自分の気持ちを押し付けるような真似はするな」
ハンスはテオを叱りながらも、自分にそう言い聞かせているような気分になった。言葉に出したことで、自分の中にあったモヤモヤが消えていくような気がした。
テオはバツが悪そうに頭を掻きながら、フィリーネに視線を戻した。
「余計な事を言っちまって悪かったな……フィリーネ。けど……、これだけは忘れんな!アイツに泣かされるようなことがあれば、俺が王都まで行ってぶん殴ってやるから!すぐに手紙を書けよ!」
「それには及ばないぞ、領民。万が一にもそのような事態になれば、俺が真っ先に行動に出る」
二人がフィリーネを心配してくれていることは嬉しいが、あまりに的外れな二人の宣言にフィリーネは思わずくすくすと笑いを漏らしてしまった。
「二人ともありがとう。けれど、フォル様はお優しいもの。そのような事態は起きないと思うわ」
その夜、視察から帰ってきたフォルクハルトは遅い時間までフィリーネの祖父と話をしてから、二人の寝室へと戻ってきた。
「おかえりなさいませ、フォル様」
今日は夕食も一緒に取れなかったので寂しかったフィリーネは、フォルクハルトが部屋に入るなり抱きついて出迎えた。
こんな大胆な出迎えができるのも、二人の距離が縮まった証拠でもある。
「ただいま、フィー。今日はゆっくりと休めたか?」
「おかげさまで、のんびりさせていただきました。領地視察はいかがでしたか?」
フィリーネの問いに、フォルクハルトは眉間にシワを寄せて難しい表情を彼女に向けた。
「そのことで、大切な話があるんだ」
ただならぬフォルクハルトの雰囲気に、フィリーネは背筋が寒くなる感覚に襲われた。
とても良い話には思えない。それほど領地はひどい状態だったのかと思いながら、フィリーネはうなずいた。
二人でソファーに座ると、フォルクハルトはすぐに本題を切り出した。
「フィー。俺達は予定通り一度、離婚しよう」
「え……」
思いも寄らなかった言葉がフォルクハルトから発せられ、フィリーネの視界は一瞬にして涙でぼやけてしまった。
昨夜はやっと本当の夫婦として身も心も一つになれたというのに、なぜ今になって離婚話などするのだろうか。
涙を浮かべたフィリーネを見て、フォルクハルトは慌てて言葉を続けた。
「違うんだフィー!俺の言い方が悪かった!悪い話ではないと思うので、安心して聞いてくれ」
焦った表情のフォルクハルトに両肩を掴まれたフィリーネは、彼を信じてもう少し話を聞いてみようと思い涙を拭ってうなずいた。
フォルクハルトはフィリーネを抱きしめて、なだめるように背中をさすりながら「相変わらず不器用な俺で申し訳ない」と謝った。
今日は一日中領地視察をし、フィリーネの祖父とも領地の今後について話をしていたため、完全に仕事の延長として話を切り出してしまった。
大いに反省をしてから、フォルクハルトは改めて本題を切り出した。
「一度離婚して、改めて俺をフィーの婿にして欲しいと思ったんだ」
「えっ……!?」





