36 推しと領地視察2
本当の二人きりになると、フォルクハルトはフィリーネを抱き上げてベッドへ運び、彼女が安心するまで一時間近くも抱きしめるという優しさを見せてくれた。
緊張がほぐれるよう雑談などもしてくれ、推しの尊い対応によってフィリーネはすっかりと落ち着きを取り戻していた。
「フィーは一人娘だが、この領地は誰が継ぐ予定なんだ?」
「デッセル家は父の代で終わらせるつもりのようです」
この国の領地は男性しか継ぐことができないので、フィリーネの実家のように娘しかいない場合は婿に継がせるか、分家から養子をもらう必要がある。
その両方が不可能な場合は国に返還することも可能なので、フィリーネの父クラウスは返還という選択をする予定になっている。
分家にはライマーや他にも甥はいるが、その親であるクラウスの兄弟が自分達の子供に領地を継がせたくないと思っていることはクラウスも承知している。この領地に振り回されるのは自分で最後だと決めていた。
国にはすでに話を通してあり国王陛下からの許可も得たが、クラウスが生きている限りは領地の借金を返済し続けるようにと条件を出されている。
それでも、残るであろう借金をフィリーネや分家には返済義務を課さないと約束してくれた国王は、この領地の不憫さを少しは理解してくれているようだった。
そんな経緯をフィリーネが話すと、フォルクハルトは探るような視線を彼女に向けた。
「国に返還されると、おそらくこの村は閉村に追い込まれるだろう。フィーにとっては、思い出のある村じゃないのか?」
領地へ向かう旅の途中で、フィリーネは幾度となく領地での思い出話をフォルクハルトにしていた。
貧乏であったために幼い頃からいじめられる傾向にあったフィリーネは、周りを気にせずに思い切り遊べる領地への訪問はいつも楽しみにしていた。
「領地には幼い頃の楽しい思い出がたくさんありますが……、これだけ魔獣に浸食されてしまった土地ですから仕方ないと思います。村人には申し訳ありませんが……」
「魔獣さえいなければ、ここはのどかで住みやすそうな土地のようだな」
「はい。領民は皆、この土地が大好きなんです。私も領地に住みたいとは思っていたのですが、残念ながらここでは私ができそうな仕事がないもので」
ここで細々と農業を手伝うよりも、王都で手芸の内職をしていたほうがよほど稼ぎが良い。
「ここに仕事がなかったおかげで、俺はフィーと結婚できたんだな」
「ふふ、王都で暮らしていて良かったです」
「ところで話は変わるが、フィーは結婚相手に爵位を求めるほうか?」
「え?」
質問の意図がわからず、首を傾げたフィリーネ。
「例えば爵位のない俺でも、フィーは変わらずに愛してくれるのだろうかと思ってな」
「もちろんです。私はフォル様自身をお慕いしておりますので、例え平民になろうともこの気持ちはかわりませんわ」
フィリーネは裕福な暮らしのためにフォルクハルトの本当の妻になる決心をしたわけではない。
唯ひたすら大好きな推しだから、推しを幸せにしたかったからだ。
フォル様もそんな心配をすることがあるのかと思いながら微笑むと、彼も安心したように微笑みながらフィリーネの頬をなで始めた。
「良かった。君と一つになる前にそれだけ聞いておきたかったんだ」
わざわざフォルクハルトが確認をした意味について考えたかったフィリーネだが、すぐにそんな余裕は消えてしまうのだった。
翌朝、朝食時にフォルクハルトとフィリーネは食堂へ足を運ばなかった。
使用人達がフォルクハルト達の部屋から食事の食器を下げているのを見たカミルは、二人が病気になったのではと心配になり、玄関脇に生えていた雑草の花を咥えて二人の寝室を訪れた。
ドアを開けて中へ入ると二人はベッドには寝ておらず、フォルクハルトがフィリーネを抱き寄せるようにして二人でソファーに座っていた。
フィリーネの元へ駆け寄ったカミルが花を彼女に差し出すと、彼女はまどろんでいるような表情をほころばせた。
「カミルおはよう。お花を摘んできてくれたの?」
「今朝は食堂へ行かなかったので、体調を崩したと思っているようだな」
「まぁ、ごめんなさいカミル。私達は大丈夫よ、お見舞いありがとう」
「くぅ~ん」
二人とも元気そうで安心したカミルは、フィリーネにすり寄り思う存分なでてもらった。
昨日は部屋を追い出されて少しだけ拗ねていたカミルだったが、二人に甘えてすっかり気分も元通りだ。
「フォルクハルト様、出発の準備が整いました」
しばらくして使用人が部屋へ報告にくると、フォルクハルトは立ち上がって外套を羽織り魔法の杖を手に取った。
「私もフォル様と一緒に視察へ行きたかったです……」
「フィーは旅の疲れもあるだろうし、今日はゆっくりと休んでくれ」
今朝のフォルクハルトは、優しさを通り越して過保護の域に達していた。
フィリーネは歩けないわけではなかったのに、浴室までフォルクハルトに運ばれ、朝食も部屋で取る手配を整えられてしまった。
今日の視察は諦めるとして、せめて外まで見送ろうと立ち上がったフィリーネ。
しかし外へ出るまでも運ばれてしまい、さすがに恥ずかしくなってしまった。
「外まで連れてきてしまったが、部屋へ戻る際はどうすべきか……。君を他の男には触れさせたくないが、メイドに運ばせるのも気が引けるな」
真剣に悩むフォルクハルト。
フィリーネは何とか誰かに運ばれるのを回避しようと辺りを見回して、カミルに目を止めた。
「大丈夫です、フォル様っ。無理な時はカミルに背負ってもらいますので……」
「なるほど、フィーなら軽いからカミルに乗っても問題ないな。カミル頼んだぞ」
「わんっ!」
それで納得したらしいフォルクハルトは、フィリーネを抱き寄せて額に口づけてから、颯爽と馬に跨り案内人の領民や護衛と共に領地視察へと出発した。
ぽーっと、その姿を見送ったフィリーネ。
過保護すぎたフォルクハルトも、いなくなるとすぐに寂しさを感じてしまう。
無事に早く戻ってくることを願った後、ふと足元に視線を向けるとカミルが尻尾をフリフリしながらフィリーネに背中を見せていた。
「ふふ、背負ってもらわなくても歩けるわ。ありがとうカミル」
「わっ……わぅん」
飼い主に負けじとフィリーネを運ぶ気でいたカミルは、少ししょげた。
フィリーネはカミルと共に、今朝はまだ挨拶をしていない祖父母の部屋を訪れた。
部屋では、祖母が椅子に座り何かの作業をしているようだった。祖父の姿は見えないのでどこかへ出かけているようだ。
「おはようございます、お祖母様。今朝は一緒にお食事できなくてごめんなさい」
フィリーネが頬を染めながらそう謝罪すると、祖母は席を勧めながら「気にしなくていいのよ」と微笑んだ。
「フォルクハルト様は、あなたをとても大切にしてくださるのね。手紙を読んだ時は驚いたけれど安心したわ」
「そうなの……。私にはもったいないくらい素敵な旦那様だわ」
「もったいないなんてことないわよ。とてもお似合いだもの、自信を持ちなさい」
「ありがとう……、お祖母様」
身内とこんな話をするのは初めてなので、気恥ずかしさを感じつつも嬉しいフィリーネ。
母とも早くこんな会話をしたいと思っていると、祖母が申し訳なさそうな顔を向けてきた。
「そうとも知らず、お節介を焼いてしまってごめんなさいね」
「お節介?」
「三ヶ月前に送った手紙よ。テオとの結婚の件……、クラウスから聞いていない?」





