33 推しとの旅がご用意されました3
「今は新婚旅行中ということを忘れたか?いつの日か、張り切りすぎた今日の俺を思い出して笑ってくれ」
「ふふ、私に素敵な思い出を贈ってくださった優しい旦那様として記憶に残させていただきます」
スペシャルメニューの巨大骨付き肉に夢中でかぶりついているカミルの横で、フィリーネとフォルクハルトも美味しいお料理を食べながら今日の思い出話に花を咲かせていた。
午前中は峠の道を通ったのだが、この街へは山を迂回してもたどり着けるので馬を疲れさせてまで峠の道を選択したりしない。
ましてや夏のピークは過ぎたとはいえ、まだまだ暑さの残るこの時期に峠を通りたがる御者はまずいなかった。
けれどフォルクハルトは、御者達に峠の道を指示した。
馬の消耗を心配して渋った御者達だったが、フォルクハルトが魔法の冷気で馬達を涼ませながら行くと提案した時は心底驚いた。
今までの主は、馬どころか使用人にさえそういった目的で魔法を使ったことはなかったのだ。
フォルクハルトは便利な道具としての魔法使用を嫌がる傾向にあるが、フィリーネのためなら保冷庫に氷を取ってこさせる時間すら惜しんで、彼女のグラスに魔法の氷を入れてくれるのだと。
給仕からその話を聞いた時の御者達は誰も信じなかったが、どうやら本当だったのだ。
フォルクハルトがそこまでして峠を通りたかった理由は、王都を一望できる山頂からの景色をフィリーネに見せてやりたかったからだ。
「あれほど高い場所から景色を眺めたのは初めてでしたので、驚きましたわ」
「今日は天気も良くて運が良かったな。生まれ育った街を改めて眺めてみるのも良かっただろ」
「はいっ。実家も何となく確認できましたし、フォル様のお屋敷ははっきりと見えましたね」
「俺達二人のだろ?」
「はっ……はい」
王都の外れにあるローデンヴァルト家の屋敷は、山頂から見てもすぐに分かるほど屋敷も敷地も大きいのだと改めて認識させられた。
別邸でこれほどの規模なら、領地にある本家はお城かしらとフィリーネは思った。
これから向かっている実家の男爵領とは雲泥の差だ。
山頂では早めの昼食も取り、フォルクハルトとピクニック気分も味わうことができた。フィリーネにとって今日は本当に初めてのこと尽くめだったのだ。
「今日は本当にありがとうございました。思いがけずフォル様とデートができて……、一日中ドキドキしてしまいました」
二人が結婚してから揃ってどこかへ出かけたのは、王宮でおこなわれた夜会の一度だけだったので、今回の新婚旅行が初めてのデートでもあった。
「思い切り楽しめるのもこの街くらいなものだ。明日からは田舎町が続くが、つまらない新婚旅行だったと幻滅しないでもらえるとありがたいな」
「そのようなことはっ!私は、フォル様と一緒にいられるだけで幸せですわ。むしろ、はるばる男爵領へ訪問してくださるのに、あまりに田舎でがっかりしてしまわれないか心配です……」
「男爵領は、どこも似たようなものだろうから驚きはしないさ。一番の楽しみはフィーの祖父母に会うことだな」
フィリーネの祖父母には一年で離婚する予定の結婚については話していなかったので、新婚旅行へ出発する前に手紙で結婚したことを伝えている。
突然、孫が結婚して相手を連れてくると知った祖父母は、さぞ驚いていることだろう。
翌日、次の町へと出発した一行。
馬車の中で、自分の髪の毛を留めているバレッタにそっと触れているフィリーネを見て、フォルクハルトは彼女の顔を覗き込んだ。
「そんなに気に入ってくれたのか?」
「はいっ、とても嬉しいです……」
フィリーネの髪の毛を留めているバレッタは、昨日アクセサリー店で彼女が初めに見ていたものだ。
今朝、髪の毛をアメリアに結ってもらった後に合わせ鏡で後ろを見せられたフィリーネは、このバレッタが自分の髪に留められていてとても驚いた。
慌ててフォルクハルトにお礼を伝えに向かったが、「思った通り、フィーに似合うな」と朝から眩しい笑顔を見せつけられてしまった。
推しの性格は熟知しているつもりだったけれど、最近は知らない彼ばかりを目にしていて、フィリーネの心臓はますます忙しい。
今日からはつまらない旅になると言っていたフォルクハルトだったが、涼やかな滝に寄り道してみたり、辺り一面に咲いているお花畑で昼食を取ってみたり、町のお祭りに参加してみたりと、フィリーネをひたすら楽しませてくれた。
素敵な思い出をたくさん作ってくれた夫へ、フィリーネも何か思い出を残したい。
カメラがないこの世界では目で見える形で思い出を残すのは難しいので、フォルクハルトのように記念の贈り物という形が一般的だが、フィリーネのお金は元々フォルクハルトから支払われたものなので、そこから何かを贈るというのは違うと彼女は思った。
そこで思いついたのが『新婚旅行のアルバム作製』だった。
楽しかった場面を写真のような絵にしてアルバムとして残せば、何年経っても鮮明に思い出せるだろう。
そんな旅を続けて、今日は五日目。ついに男爵領へと到着する日だ。
最寄りの町を午前中に出発して、領地へ入ったのがお昼の時間も過ぎた頃。
その辺りから、フィリーネは異変に気がついていた。
(昔は一面の畑だったのに、今はすっかりと荒れ果ててしまっているわ……)
デッセル男爵領の唯一ともいえる産業は、農業だ。
フィリーネが領地を訪問していた頃は、祖父母が住む家まで続くこの道は一面畑であったが、今は雑草が生い茂っているだけだ。
所々に点在している家も、人が住んでいる様には思えない傷み具合。
祖父母からたまに来る手紙では、そんなことは一切書かれていなかったので、フィリーネは急に心配になってしまった。
そんな彼女の様子に気がついたフォルクハルトは、優しく彼女を抱き寄せた。
「最近の地方領地はどこも魔獣が増えているからな。危険がないよう、領主の屋敷がある村に移住させたのだろう」
「そうだと良いのですが……」
それからしばらく荒れた土地を進んだ一行は、日が沈む頃になりやっと畑の体裁が保たれている辺りへとやってきた。
「人が住む気配が出てきたな。村はそろそろかな?」
「はい。もうすぐ屋敷の塔が見えてくると思います」
「塔があるのか?」
「はい……、屋敷の塔というよりは塔が屋敷なのですが……驚かないでくださいね」
曖昧な返事をする彼女に、フォルクハルトが疑問を感じていた時だった――。
突然、鐘の音が辺りに響き渡り、フィリーネはびくりと体を震わせた。
それと同時に馬車の窓からは、騎乗して護衛をしていたハンスが全速力で前方へ駆けていく姿が映った。
「魔獣が出たようだ」
「魔獣……。大丈夫でしょうか……」
「俺も様子を見てくる。フィーは馬車の中にいてくれ。カミル、彼女を頼んだぞ」
「わんっ!」
フォルクハルトはそう指示するとすぐに、動きを止めた馬車から出ていってしまった。
王都育ちのフィリーネは演習場で召喚された魔獣を見たのが初めてで、野生に生息する魔獣を見たことがない。
急に恐ろしくなってしまったフィリーネは、カミルの首にぎゅっと抱きついた。
「フォル様大丈夫かしら……」
「わんっ!」
演習場で圧倒的な強さ目の当たりにしたが、それでも心配はしてしまう。
けれどそんな心配も束の間、フォルクハルトはすぐに馬車へと戻ってきた。
「俺の出る幕はなかったようだ。一匹だけだったのでハンスが仕留めてくれたよ」
「そうでしたか」
馬車のドアを開けてそう状況を説明してくれたフォルクハルトを見てフィリーネがほっとしていると、彼は馬車には乗り込まずに誰かを招き寄せた。
「彼の荷馬車が襲われていたんだ。ここの領民だそうだ」
フォルクハルトの横に立った青年は、フィリーネを見て目を丸くして驚いた。
「フィー……!?フィリーネじゃねーか!」





