25 推しぬいと出かけたい3
馬車を降りたフィリーネ・アメリア・カミル・ハンスは、観覧席へと入った。すでに多くの人が集まっており、その大半が若い女性であることにフィリーネは驚いた。
この観覧席は貴族家やその使用人は無料だが、平民は有料となっている。それでも貴族令嬢に混ざって富裕層の平民のような恰好をしている娘が多くいた。
貴族令嬢と気さくに雑談している子もおり、ここは地位に関係なく楽しんで良い場所のようだった。
(こんなオタ活スポットがあっただなんて……、もっと早くに知っておくべきだったわ)
同じ色のドレスを着ている子同士が集まっているように見えるので、どうやら彼女らにも『推し色』という概念があるようだ。
フィリーネは嬉しくなって、濃い青のドレスをまとっている五名ほどの団体の元へ向かった。
「皆様、ごきげんよう。もしかして、フォルクハルト様を見にいらしたのかしら?」
同担かもしれない子達に、うきうきしながら声をかけたフィリーネだったが、彼女達はフィリーネを見て青ざめたような表情を浮かべた。
彼女らはフォルクハルトの熱狂的なファンであるため、以前の夜会でフィリーネがフォルクハルトにエスコートされている場面を目撃しており、後日フォルクハルトが結婚していたことも調べている。
フォルクハルトが結婚してしまったことにショックを受けたが、これからも遠くから見守るくらいは良いだろうと考えて、ここに通い詰めていたのだ。
「ローデンヴァルト夫人……!私達はその……、ご主人を奪おうとかそんなつもりでは……」
「そうですわっ!純粋にフォルクハルト様のご雄姿を拝見したくて……」
ここはフィリーネが感じた、和気あいあいとイケメンを眺めるイベント会場という意味合いだけではなかった。
イケメンには妻や婚約者がいるのは当たり前の世界であり、パートナーから本気でイケメンを奪い取ろうと思っている者も数多くいる。
時に妻や婚約者がここへ乗り込んできて、ファンや浮気相手と修羅場が繰り広げられることもあるほどだった。
そんな事情は知らないフィリーネだが、何となく彼女らが危惧していることは感じ取ったので、なだめるように微笑みかけた。
「フォルクハルト様を応援してくださる方がいて嬉しいわ。これからも彼を見守ってくださいね」
どうやら見学を止めさせるために乗り込んできたのではないと理解した彼女達は、ほっとしたような表情を浮かべた。
それを確認したフィリーネは、持参してきたカードサイズの紙を彼女らに配った。
「こちらを見てくださる?私が描いたものなのだけれど……どうかしら?」
そこに描かれていたのは、もちろんフォルクハルトだ。これは同担と仲良くなりたいと思ったフィリーネが、少ない日数でせっせと描いたもの。
それを見た彼女らは頬を染めて喜んだ。
「まぁ!フォルクハルト様よ!なんて素敵な絵なのかしら!」
「ローデンヴァルト夫人素晴らしいですわ!」
「ふふ、ありがとう。もしよろしければ、そちらは皆様に差し上げたいのだけれど」
「なんてお優しいのかしら……。さすがは、フォルクハルト様の奥様だわ!」
「額縁に入れて一生の宝物にさせていただきます!」
なんとか同担との交流は成功したようで、ほっとしたフィリーネ。
一緒にフォル様を応援したい気持ちもあるけれど、今は彼の妻という立場なのであまり長居しては彼女らが恐縮してしまうと思い、今日の交流はこれまでとした。
少し離れた場所に腰を下ろしたフィリーネは、カミルからフォル様ぬいを下ろして椅子に座らせた。
「演習が始まるまで、フォル様ぬいと一緒にいるカミルを描こうかしら」
「わんっ!」
(こういう時、カメラがあれば良いのに……)
前世の七海は様々な場所にフォル様ぬいを連れていっては写真を撮っていたが、残念ながらこの世界にはカメラがない。今日の思い出は、フィリーネ自身が地道に絵にするしかないのだ。
フィリーネが絵を描いていると、先ほどのフォル様推し令嬢五名がこちらへやってきた。
「ローデンヴァルト夫人、もしよろしければご一緒に見学いたしませんか?」
どうやら交流したいと思ったのはフィリーネだけではなかったようで。思わぬ申し出にフィリーネは嬉しくなって、即座に了承した。
スケッチブックやフォル様ぬいを見てもらったり、フォルクハルトの愛犬であるカミルも散々可愛がられて嬉しそうにしている。
フォルクハルトの話題で大いに盛り上がったフィリーネ達は、後日フォルクハルトを語り合うお茶会を開催しようと約束までするのだった。
「フィリーネ様、そろそろフォルクハルト様が出てこられますわ!」
名前で呼び合う仲になった彼女らの一人がそう教えてくれると、その通りにフォルクハルトが演習場へと出てきた。
先ほどまでは数名の魔導士で魔獣と戦っていたが、次はフォルクハルト一人だけのよう。
黄色い悲鳴が一層大きくなり、まるでライブ会場のようだとフィリーネが思っていると、次に各所に設置されている魔法陣から魔獣が五体ほど出現した。
「始まりますわっ!」
令嬢がそう教えてくれると、辺りもしんっと静まりかえる。
フォルクハルトが天に向かって杖を突きあげると、雲の切れ間から何本もの氷の柱が落下してきて魔獣たちに突き刺さった。
彼の『氷の魔導士』という異名は冷たい性格だけではなく、彼自身の魔法属性が氷ということにも由来する。
一瞬にして五体の魔獣が倒され、一呼吸置いてから溢れるように歓声が起こった。
作品中で魔法を使うシーンは何度もあったけれど、実際の魔法は桁違いの迫力。
わずかな恐怖すら感じるほどの圧倒的な魔法の威力に、フィリーネはスケッチするのも忘れて魅入ってしまった。
「フォルク様、お疲れ様です!」
「疲れるようなことはしていないがな」
ライマーに労いの言葉をかけられたが、フォルクハルトにとっては複数を標的にした特大魔法を使ってもさほど疲労は感じない。
もっと地味な魔法でも容易く倒せるが、観覧席を開放している時は派手な魔法を使って欲しいといつも上司に言われている。
見せ物にされるのが嫌なフォルクハルトだが、今日は暑いので特大のをお見舞いしてやるとライマーには宣言していた。
いつもは暑いからといって、そんな気の利いたことはしたりしないが。
「これからフィーを呼んでくるんで、ちゃんと差し入れを受け取ってくださいよ!」
「何度も言うな、わかっている。だが、フィリーネを人前に出して良いのか?いずれはお前の――」
「いいんです!心の整理がつかなくて、なかなか言い出せなかったんですけど……」
フォルクハルトの発言を遮るように言葉をかぶせたライマーは、重大な決意をするように真剣な目でフォルクハルトを見据えた。
「フィーが俺に興味がないのはわかっていたんです。それでも彼女と結婚さえすれば、それなりに愛のある家庭を築けるんじゃないかと思っていたんですけど……。やっぱりフィーが幸せになる姿を見るのが一番だと思って!」
何度かフィリーネとお茶会をしたライマーは、いかにフィリーネがフォルクハルトのことを大切に思っているのかを、嫌というほど知らされた。
振り向いて貰えなくともあがいてみようなんて夜会の日は思ったけれど、そんなあがきも無駄に思えるほど彼女はフォルクハルトのことしか考えていなかったのだ。
「フォルク様の気遣いには感謝しています。けれど、フィーとフォルク様の気持ちを無視はできません」
「俺の気持ちとは何だ……」
眉間にシワを寄せるフォルクハルトに対して、ライマーは力なく笑った。
「俺が何年フォルク様の従者をやっていると思っているんですか。フィーから聞いたフォルク様の態度でバレバレです。そろそろ自分に正直になってもいいんじゃないですか?」
それだけ言うと、ライマーはフィリーネを迎えに行くと言って走り去っていった。





