20 推しを抱きしめたい1
夜会翌日。
仕事から帰宅途中の馬車内で、フォルクハルトは腕を組んで考え込んでいた。
フォルクハルトの口数が少ないのはいつものことだが、その向かい側では従者のライマーも珍しく物思いにふけている様子。
無言の静けさが漂っているため、外から聞こえる蹄や車輪の音がいつもより大きく聞こえた。
王太子夫婦から指摘されたことについてフォルクハルトは考えていたが、昨夜の夜会でライマーとフィリーネは楽しそうにダンスを踊っていたので、二人の仲を心配する必要はないだろうと安心をしていた。
屋敷での生活も、最近の彼女は趣味の絵に没頭しているようだし、使用人達とも上手くやっているようなので問題ないと思っている。
彼女のことは客として扱うようにと使用人達には言い渡してあるし、不便がないようなんでも揃えるよう執事長に指示してある。
フォルクハルトとしては、彼女が快適に一年を過ごせる環境は整えたつもりだ。
ただ、フィリーネが自分との接し方を変えてきたように、自分も少し彼女との接し方については変えなければならないということも、フォルクハルトは感じていた。
昨夜はそれを王太子夫婦に指摘されたようなもの。
ライマーとフィリーネの仲を崩さないよう配慮しつつ、夫婦として最低限の交流を持たねばならない。
士官学校も王宮魔導士も大半が男ばかりの環境なため女性の扱いに慣れていないフォルクハルトにとっては、この上ない難題だった。
そんな状況でフォルクハルトがまず行動に移したのが、フィリーネに対するお礼だった。
昨夜は陛下の前で妻として上手く立ち回ってくれたので、そのお礼がしたいと夜会の帰りに申し出てみた。
フィリーネはきょとんとした顔を見せたが、少し考えた後に彼女の口から出た望みは意外過ぎるものだった。
彼女とした約束を、屋敷に戻ってから果たさねばならない。フォルクハルトは、少し憂鬱な気分だった。
言葉少なめにライマーと別れの挨拶をして馬車を降りたフォルクハルトは、屋敷の中へ入るといつものように吹き抜けの二階部分に視線を向けた。
そこには当たり前のようにフィリーネが愛犬と共に立っていて、今日は帰りが遅かったが彼女はファンサうちわを掲げている。
これが彼女の望んだ、夜会のお礼だ。
今まで早く帰ってきた日にだけ目にしていた、あのファンサうちわ。
書いてある内容は『大好き』以外はよくわからないものばかりだったが、それについてはすでに執事長から説明を受けている。
この動作に何の意味があるのか全くわからないが、妻が望むならフォルクハルトはそれを実行するまで。
フォルクハルトは右手の親指と人差し指を立てて拳銃のような形を作ると、それをフィリーネに向けた。
「バン」
声に合わせて、拳銃を撃つような動作を取ったフォルクハルト。
この声がフィリーネに聞こえているとは思えない大きさだったが、そう口が動くだけで良いらしい。
それを受けたフィリーネは、くたりと膝から崩れ落ちると、ぱたりとカミルに寄りかかった。
「おい……、あれで良かったのか……?」
フィリーネの思わぬ反応に驚いたフォルクハルトは、振り返って執事長に確認する。
「はい、そのように伺っております。フィリーネ様にはご満足いただけたかと」
フォルクハルトは知らないが、最近はお昼休憩時に使用人達とフィリーネでファンサうちわ当てゲームなどをして遊んでいる。
フィリーネが掲げたうちわに書いてあるファンサのポーズを取るという遊びで、執事長も参加しているのでファンサについては熟知しているつもりだ。
その執事長がそう言うのだから、フォルクハルトの動作はフィリーネにとっては満足いくものだったのだ。
「……ならいい。俺は戻る」
全てがまるでわからない状況だが妙に恥ずかしさを覚えたフォルクハルトは、唇を噛みしめながら書斎へ戻ったのだった。
フォルクハルトが見えなくなったのを確認してから、アメリアと他のメイド数名がフィリーネに駆け寄った。
「フィリーネ様!大丈夫ですか!」
「わぅん?」
「えぇ……、ありがたく天へと召されたわ。やはり今日は、死ぬ運命だったみたい……」
フィリーネは寄りかかっているカミルの毛をなでながら、うっとりとした表情でフォルクハルトの部屋がある方角を見つめている。
フィリーネ様はしっかりと生きてますよ。フォル様のバーンで負傷するはずがないし、体調不良どころかお肌つやつやです。
メイド達の誰もがそう思ったが、彼女が変わった表現方法を使うのはすでにこの屋敷にいる使用人全員の知るところ。誰も慌てたりはしない。
「本当にフォル様のバーンはかっこよかったですわ!」
「私達のバーンとは格が違いましたね。さすがはフォル様です」
「フィリーネ様、今のフォル様も絵に起こされるのでしょうか?」
最近はメイドの間でも、フォル様呼びが定着している。
これは、フィリーネには同担という存在が必要不可欠らしいという助言をアメリアから受けた執事長が、フォルクハルト本人に見つからないようにという条件で許可したものだ。
全てはフィリーネを盛り立てるため。そして彼女に頑張ってもらいフォルクハルトを陥落させ、二人の子供をこの手に抱くため。
手段を選んではいられない執事長の命により、屋敷内は急速にオタク文化が浸透しているのであった。
「もちろんよ。描きあがったら見にきてね。昨夜の夜会でのダンスも合わせて、素晴らしいフォル様がまた増えてしまうわ」
フィリーネはベッドへ入った後も、フォル様のファンサを思い出しては寝具を抱きしめてコロコロとベッドの上を転がっていた。
(断られると思っていたけれど、思い切ってお願いしてみて良かったわ)
夜会の帰りにフォルクハルトから今日のお礼がしたいと提案された際に、フィリーネの頭には真っ先にバーンして欲しいと思い浮かんだが、言い出すには勇気が必要だった。
『ご一緒にお食事を』『お菓子を作ってみたのでお茶を』『たまにはお庭でお散歩を』夫婦としての些細な願いをことごとく拒否されてきたが、ファンとして立ち振る舞いを前世の記憶から学んだフィリーネは、ライマーにも話したように推しに見返りを求めてはいけないという考えで、思い切って願いを口に出してみた。
断られるのが当たり前。お礼を提案されただけでも奇跡みたいなものだと思いながら。
けれど、フォルクハルトはあっさりとその願いを受け入れてくれた。
ファンとして認知されてからというもの、フォルクハルトの態度の変化には驚かされてばかりだった。
昨夜は推しイベントともいえる夜会でも推しを補給しすぎたためなかなか眠れず、今日も眠れぬ夜を過ごすことになりそうだ。
推しのことで頭がいっぱいになりながらベッドの上を転げまわっていたフィリーネだったが、昨夜から少しだけ物足りなさを味わっていた。
これだけ推しを補給したのに、何が足りないのか。そう思いながら、抱きしめている寝具に視線を向けたと同時に、前世のある記憶を思い出した。
七海がこんな時に抱きしめていたのは、寝具なんかではない。抱きしめるべきは、推しに決まっている。
(そうだわ、フォル様ぬいを作ろう)





