19 推しイベントがご用意されました4
「フィー、良かったらその……、俺達もダンスを踊らない?」
推しイベント第二幕ともいえるフォルクハルトのダンスに心躍らせているフィリーネに対して、ライマーは遠慮がちに声をかけた。
初めてダンスに誘ったあの日の彼は多少強引にでもフィリーネを誘えたが、今の彼女は一応人妻。
そして妻をおいて他の女性とダンスを踊りに向かった夫に対して、どういうわけか期待の眼差しを向けている。
「お誘いは嬉しいのだけれど……、私はダンスを踊るよりも見ていたいの……」
「そっか……、それじゃ一緒に見学してもいいかな?」
「えぇ、それはもちろん嬉しいわ」
にこりとライマーに向けて微笑んだフィリーネがすぐにフォルクハルトへ視線を戻すと、ちょうど彼が令嬢にダンスを申し込む仕草を取っているところだった。
(はぁ……、なんて優雅な仕草なの。フォル様は一つ一つの動作が尊いわ……)
ため息を付いてしまうほど推しの仕草に惚れ惚れとしていたフィリーネだったが、ライマーはそのため息を別の意味として捉えていた。
「フィー、あんまり気にしないでね!フォルク様はいつも上司から娘のダンスの相手を頼まれるんだよ。あれは仕事みたいなものだからっ!」
フォルクハルト達の上司は、なんとか娘とフォルクハルトを結婚させたいと思っているが、上司と言えども伯爵である彼がさすがに次期侯爵のフォルクハルトに結婚は迫れない。そのため、いつも押し付けるように娘をダンスの相手にさせているのだ。
結婚話の際もあわよくば娘を相手にと思っていた上司だったが、フォルクハルトが一年後には必ず離婚すると宣言したので、娘を差し出す計画は断念していた。
一応は既婚者となったフォルクハルトに対してまだこのように娘を押し付けているので、娘の結婚相手としては諦めていないようだ。
「…‥え?えぇ。とても可愛らしいご令嬢ね。フォルクハルト様とお似合いだと思うわ」
その令嬢のことは、ピンク色のゆるふわな髪の毛と、若葉色の瞳が愛らしい印象だとフィリーネは思っていた。
自分とフォル様が並ぶと同系色なので、ぼやっとした印象になってしまう。やはり絵にするなら可愛い色合いも欲しいところ。プライバシーに配慮し、彼女は後ろ姿を描くつもりでいる。
ライマーの心配をよそに、フィリーネの頭の中はどんな絵にしようかということでいっぱいだった。
「フィーのほうがその……、美人だと思うよ?」
「ふふ、従兄妹だからってひいき目に見すぎよ」
「そんなことないよっ!俺はずっとフィーを……」
「ライマー兄様、ダンスが始まるわっ」
「あっ、うん。始まるね」
ライマーは先ほどエマに言われた『そもそも彼女はライマーとの結婚を望んでいるのかしら?』という言葉がずっと頭に残っていた。
この国では、持参金を渡してやっと結婚してもらえる立場である女性。
これは、貴族女性は衣装代などにお金がかかるので少しでも補助する目的として始まった風習だったが、持参金という言葉だけが独り歩きした結果、今では結婚相手を選ぶ際の重要な要素となってしまっている。本来の結婚という目的の他に、財産を増やすという意味合いが増えてしまったのだ。
そんな結婚事情では貧乏令嬢のフィリーネは結婚相手が見つからない。
ライマーはその状況から救い出しさえすれば、フィリーネは喜んで自分と結婚してくれると思い込んでいた。フィリーネの気持ちも考えずに。
それについてはフォルクハルトも同じ考えでいたはず。
自分たちは長年エマと接してきたのに、彼女が嫌悪するこの国の男尊女卑文化から何も抜け出せていなかったのだと、改めて思い知らされた。
ライマーは、フィリーネの気持ちを確かめなければという気持ちになっていた。
けれどライマーは、二人が大聖堂の控え室で出会った時にその答えが出ていたことも気がついている。
あの時、フォルクハルトを目にして頬を染めたフィリーネ。あんな表情で男性を見るフィリーネを見たのはあの時が初めてだった。
自分には決して向けられることの無いあの表情。自分の敗北を知りながらも、それでもライマーは簡単には諦められなかった。
「ねぇ、フィー……。振り向いて貰えないとわかっていて、それでも足掻く姿ってかっこ悪いと思う?」
いつもとは違う、年相応の落ち着いた口調で話しかけてきたライマーの声を聞いて、大切な相談事だと思ったフィリーネは、夢中で見ていた推しのダンスから視線をライマーに移した。
「そんなことないと思うわ。相手に迷惑をかけなければ、一方的に好きでいることは許されると思うの」
「一方的にか……。それって悲しくならない?」
自分より年下のそれも好きな相手本人に何を相談しているんだと思いつつもそう尋ねると、フィリーネは真剣な表情でライマーの手を取り両手で包み込んだ。
フィリーネの思わぬ行動に、ライマーは顔が赤くなってしまう。
「ライマー兄様、推しに見返りを求めてはいけないわ。私達はあくまで、陰から支える立場なの」
「そっ……そっか。フィーも、そうなの?」
推しとは何だろうと思いつつも、何となく言っていることは理解できたので話を進めたライマー。
フォルクハルトに視線を向けてから、もう一度フィリーネに戻すと彼女は理解したようにうなずいた。
「えぇ、フォルクハルト様が幸せな人生を送ることが私の願いなの。今は妻という形で少しでもお手伝いできることが、とても幸せだわ」
ライマーの手を離したフィリーネは、自分自身の胸元に両手を当てた。
まるでその両手の中にフォルクハルトを抱いているかのような幸せそうな表情に、ライマーの心はずきりと痛んだ。
この五ヶ月でそこまで一方的な愛を捧げられるほどに、フィリーネはフォルクハルトを愛していたのかと。
「フィーは健気で良い子だね。俺もそんなフィーを応援したいけど……、もう少しだけ悪足掻きしてもいいかな?」
「……自分に正直なのが一番良いと思うわ」
ライマーの言いたいことがわからなかったフィリーネだが、何かの決意を後押しして欲しそうな雰囲気を感じ取ったのでそう答えてみると、ライマーはいつも通りの可愛らしい笑顔に戻った。
そして、フィリーネを抱き寄せて中央へと歩き始める。
「兄様っ、私ダンスはっ……」
「フォルク様を見たいんでしょ?こっちのほうが近くから見えるよ」
フィリーネがフォルクハルトを見やすいであろう場所に陣取ると、フィリーネは瞳を輝かせた。
ただ彼女と踊りたかっただけなのに、彼女の喜ぶ顔が見たくて自分に不利なことをしてしまっている矛盾。悪足掻きにすらなっていないなと、肩を落とすライマーだった。