16 推しイベントがご用意されました1
馬車の中、フォルクハルトは向かい側に座っているフィリーネと何度も目が合っては自分から逸らすというのを繰り返していた。
逸らした先の窓から見える王都中心部はすでに薄暗いが、街灯や建物の窓から漏れる灯りがとても賑やかな雰囲気を演出していた。
再びフィリーネに視線を向けると、彼女はにこりと微笑んだ。
今夜の彼女はいつにも増して美しい。自然と視線を向けてしまうのは男の性だとフォルクハルトは自分自身に言い訳をしていた。
それに彼女の服装も気になっていた。
若い女性ならばもっと明るい色のドレスを着たがるだろうし、選べる程度には社交用のドレスも用意させたはず。
にもかかわらず、彼女が身にまとっているのは湖の底のように濃い青。
似合ってはいるが十代の娘が着るには地味なドレスだし、そればかりかアクセサリーやドレスの裾から見えている靴も、全て濃い青で統一されていた。
つまり、フィリーネは全身フォルクハルト色に染まっていたのだ。
相手の色を身に着けるのは好意の現れ。夫婦や婚約者同士なら良くあることだが、お飾りの妻がそれをするのは不自然だった。
もともと本人が好きな色だったのなら良いが、これまでの彼女の行動から判断するとそうは思えない。
毎日のフォルクハルトを気遣う手紙にファンサうちわでの大胆告白、カミルに贈った絵に描かれていたフォルクハルトは、描いた者の愛情で溢れているような優しい絵だった。
一年で離婚する関係だというのに、フィリーネから初めに送られた手紙の『これからはフォルクハルト様のご活躍を見守らせていただきます』という言葉以上の気持ちを向けられているようでならなかった。
ライマーからはフィリーネを思いやるよう毎日のように愚痴を言われるし、彼女とどう接するのが正解なのか彼はわからなくなっていた。
フォルクハルトは気分を変えるように、口を開いた。
「到着する前に、聞いておきたいことはないか?」
今までろくに雑談すらしたことがない妻と、今日は国王陛下の前で夫婦を演じなければならない。
偽装だと悟られないよう、不安があれば今のうちに解決しておこうと思ったフォルクハルトだったが――。
「フォルクハルト様は、ダンスを踊られますか?」
フィリーネは瞳を輝かせて、祈るような仕草を取りながら彼を見つめた。
「は……?悪いが、お前と踊るつもりはない」
夫婦を演じるのは陛下の前だけ。最低限のマナーとして入場する際のエスコートはするが、それ以外で妻として扱うつもりがないフォルクハルトははっきりとダンスを断るが、フィリーネは笑顔でうなずいた。
「はい、それは存じております。他のご令嬢と踊られないのかと思いまして」
フォルクハルトは眉間にシワを寄せた。
「上司の手前、断れない誘いは受けるが……」
「そうですか。楽しみにしています」
お飾りの妻として無理やり結婚させた自分に対して嫌味を言っているのかと一瞬だけ思ったが、フィリーネは純粋にダンスの時間が待ち遠しいように思えてならなかった。
これまでの彼女の行動とまるで釣り合わない発言に、フォルクハルトは大いに混乱させられた。
フィリーネは今日の推しイベントともいえる夜会を、とても楽しみにしていた。
執事長から夜会の話を聞いた時は、ついにこの日が来たかと天にも昇るような嬉しい気持ちでいっぱいになった。
そして真っ先に頭に浮かんだのが、『推し色の参戦服が必要だわ』だった。
イベントなどの際に自分の推しをアピールするには、推しの色を身に着けるのがとても有効的だ。
他にも推しの缶バッジをカバンに大量につける通称『痛バ』などもあるけれど、夜会にカバンは必要ないのでフィリーネはどうしても推し色のドレスで夜会に参加したかった。
なければ推し色のリボンでも買ってきて、既存のドレスをデコるくらいの意気込みでいた。
けれど幸いにも、夜会に必要なものは全て推し色のものが用意されていた。
これは推し色がオタ活には重要であることを以前から聞いていたアメリアが、執事長に報告したことで一式用意されたものだったが、フィリーネがそれを知るはずもなかった。
偶然にも推し色でイベントに参戦できることになったと思っているフィリーネは、使用人達の無言の声援を受けながらフォルクハルトと共に王宮へ出立したのだ。
(スケッチブックは持ってこられなかったけれど、イベント会場はカメラ禁止なのだから妥当なところよね……)
後で絵に起こすべく、今日のフィリーネは一瞬たりともフォルクハルトから目を放さないという意気込みでいたため、馬車の中ではひたすらフォルクハルトを見つめていた。
何度も目が合っては逸らされ、時に唇を噛みしめる仕草を見せられ、質問タイムまで設けてもらえた。
(ファンとして認知されたのは嬉しいけれど、ファンサが過剰すぎるわ……)
フィリーネは会場へ到着する前から、推しの供給過多に陥っていた。
馬車が王宮へ到着すると、フォルクハルトが先に馬車を降りた。
フィリーネも続いて降りようと思い立ち上がったところ、彼女の前にフォルクハルトの手が差し出された。
ここからは夫婦同士。夫のエスコートが始まったのだ。
(推しに触れて良いなんて……。私、明日死ぬのかしら……)
「早くしろ」
「はいっ」
あまりに非現実的な状況に固まっていたところをフォルクハルトに催促されてしまったので、彼女は慌てて彼の手を取った。
結婚して約五ヶ月。二人が初めて触れあった瞬間だった。
「フォルクハルトよ、余を結婚式に招待しないとは薄情ではないか?」
国王陛下へ挨拶をした際、真っ先に国王の口から出たのはフォルクハルトへの苦情だった。
他の貴族が同じ言葉だけを国王にかけられたら血の気が引くほどの大失態だと悟るだろうが、国王の口調は怒っているようなものではなく、むしろ孫に構ってもらえず拗ねている祖父のような雰囲気だった。
「申し訳ありません陛下。一日も早く彼女と結婚したかったもので、簡単に済ませてしまいました」
士官学校の同級生である第一王子のアルベルトと親しい間柄だったフォルクハルトは、王宮へ幾度となく訪れるうちに国王とも親しくなり、アルベルトと同様に孫のように可愛がられていた。
国王に対してこのような理由で済ませられる者は、王家に連なる者達以外にそうはいない。それほど国王がフォルクハルトを気に入っている証拠でもあった。
「それほどの相手に巡り合えたのなら良しとしよう。フィリーネよ、フォルクハルトは良き夫であるか?」
「はい、国王陛下。フォルクハルト様はお忙しくても必ず私との時間を作ってくださいます」
例えそれが一瞬目を合わせるだけでも、フィリーネにとっては推しを補給する貴重な時間だ。
けれどフォルクハルトは、目を合わせるだけの行為に対してわざわざ時間を作っているとは思っていなかった。
妻から紡がれる、偽りの夫婦関係。
嬉しそうに国王へ報告しているフィリーネを見たフォルクハルトは、結婚式以来の罪悪感に襲われていた。