15 推しを自給自足したい4
「カミルは自分のお部屋があるのよね?そこへ飾りにいきましょうか」
「わんっ!」
フィリーネは三枚の絵を抱えたが、これはそれぞれ紙と同じ大きさの板に貼りつけてある。
彼女の描いた絵は全てその状態で部屋に飾られており、アメリアは額縁に入れたらどうかと提案したのだが、貧乏性であるフィリーネは板でじゅうぶんだと言って庭師ジムにちょうど良い大きさの板を何枚も作ってもらったのだ。
そのお礼に、ジムの絵を描いてプレゼントしたところ大変喜ばれたようだ。
他の使用人達に羨ましがられたとジムから聞いたので、フィリーネはそれから少しずつではあるが使用人達の絵も描くことにした。
地方出身の使用人はなかなか帰省もできないので、フィリーネに絵を描いてもらった実家へ送るのだと期待しているようだ。
カミルの案内で彼の部屋に向かったフィリーネは、部屋に入った瞬間に驚いて「ひゃっ」と変な声を上げてしまった。
フィリーネはカミルの部屋がフォルクハルトの書斎の奥にあるとは知らなかったのだが、運が悪いことに仕事へ行っているはずのフォルクハルトが書斎で何かを探している最中だったのだ。
「申し訳ありませんっ!カミルの部屋へ行こうと思ったのですが……」
「カミルの部屋なら、この奥だ」
「はい……」
返事をしてみたものの、彼を怒らせてしまったのではと心配になったフィリーネは動けなくなってしまった。
大好きな推しではあるがそれは遠くから見つめる存在であり、彼のテリトリーに入ってはならないことは重々に承知していた。
そんな彼女の態度を見たフォルクハルトは、小さくため息をついた。
「……入っても良い」
「わわん」
彼の後にカミルも「早く」というような仕草を取ったので、フィリーネは「ありがとうございます」と頭を下げて足早に書斎を通り過ぎようと思ったのだが――。
「その絵は?」
と、フォルクハルトに呼び止められてしまった。
「カミルにリクエストされたので、描いてみたのですが……。カミルの部屋に飾っても良いでしょうか?」
フォルクハルトが見せろというように手を差し出してきたので、フィリーネは絵を彼に渡した。
推し本人に絵を見られるのは恥ずかしくて仕方ないし、勝手に描いて彼が気分を悪くしないか心配だったけれど、フォルクハルトは絵を見て微かに表情を緩めるとそれをフィリーネに返した。
(フォル様が、微笑んだわ……。なんて素敵な笑顔なの)
他の者が見たらその差がわからないほどのわずかな微笑みだったが、その違いがわかるフィリーネにとっては極上の微笑みだった。
「カミルが欲しがったのなら、部屋に飾っても構わない。……それから、カミルの部屋へ行く目的ならいつでも書斎を通って良い」
カミルの願いは極力叶えるのがフォルクハルトの主義だ。カミルが望んでいるのならこれくらいの交流は許されるだろうと思いながら、フォルクハルトは書斎を後にした。
そんな彼が書斎を出ていく姿を見送ったフィリーネは、へなへなと床に座り込んでしまった。
「わっ、わぅん?」
「フォル様と会話してしまったわ……」
フィリーネが彼とまともに会話をしたのは、ローデンヴァルト家へ嫁いだばかりの頃以来だ。
それも拒絶ではなく、初めて自分を受け入れてくれるものだった。
(ファンとして、認知していただけたのかしら……)
フィリーネはこれまでの活動が少しでも彼に受け入れられたのかもしれないと思うと嬉しくなり、これからも全力でフォル様を推そうと、改めて決意を固めた。
けれど書斎への出入りを許可した理由は、あくまでカミルのためというのがフォルクハルトの言い分。
ただ、フォルクハルトがそう思えるまでには、フィリーネの地道な活動があったのも事実だ。
フォルクハルトにとって彼女から届けられる毎日の手紙は、いつの間にか一日の疲れを癒すアイテムとなっていた。
早く屋敷に戻った日にだけ掲げられるファンサうちわも、『大好き』以外はどれも内容がよくわからないものばかりだったが、楽しそうな様子の妻を見るのは嫌ではないとフォルクハルトは思っていた。
ライマーの手前、全てを拒否し続けてきた彼が多少なりとも交流を持っても良いと思えるようになったのは、フィリーネの功績だった。
けれど、フォルクハルトはフィリーネを自分のファンだとは微塵も思っていない。
彼女のことはお飾りではあるが『妻』以外の何者でもないのだ。
カミルの部屋は小さいながらも、侯爵家の犬に相応しい高級感溢れる部屋だった。
犬専用に特注で作られたと思われるベッドは、フィリーネの部屋にある家具と同じくロココ調で、犬用なので低く作られている。
ふっかふかのマットレスというよりは巨大なクッションのようなものがカミルにとっての寝具のようで、実際にカミルが寝そべって見せると程よく沈み込んで気持ちよさそうだった。
床にはカミルのおもちゃが散らばっていて、犬の部屋というよりは幼い子供の部屋のように見えた。
カミルがベッドに寝そべって見える位置に三枚の絵を並べて飾ってあげると、カミルは満足そうにそれを見つめながらまどろみ始めたので、フィリーネはそっと部屋を出た。
次の日の朝。
「フィー!行ってきま~っす!」
フォルクハルトと共に玄関ホールに下りたライマーは、吹き抜けの二階部分から見送っているフィリーネに元気よく手を振った。
初めはフォルクハルトに見つからないようこっそりと手を振っていたライマーだったが、彼に見つかってからは堂々と行ってきますの挨拶まで叫んでいた。
フィリーネは相変わらず夫人らしく控えめに手を振っており、フォルクハルトは彼女を見上げるだけ。
そして、カミルがフィリーネにべったりとくっついているというのが、ローデンヴァルト家の朝の風景だった。
見送りを終えてフィリーネが部屋へ戻ろうと思っていると、カミルがフィリーネをどこかへ連れて行きたそうな仕草をとったので大人しくついていくと、たどり着いたのはカミルの部屋だった。
「お部屋がどうかしたの?」
「わんっ!」
カミルが見ている方向に視線を向けたフィリーネは、目を見張った。
昨日カミルにプレゼントした三枚の絵が、立派な額縁に入れられていたのだ。
「これ……、もしかしてフォル様が?」
「わんっ!」
フィリーネは彼がこの絵を見た時の、わずかな微笑みを思い出した。
(フォル様はこの絵を気に入ってくれたのかしら……)
カミルの部屋に相応しく整えたのかもしれないが、もしそうだったらどんなに幸せか。
昨日から推しとの距離がぐっと近くなったように思えたフィリーネは、朝から心臓が忙しく動いているのを感じ取っていた。