42話 褒美
それから舞や芝居が始まった。慧英と萌麗はその間、口を利くことはなかった。
そんな風にしているうちに送別の宴は終わりに近づく。萌麗と慧英の別れももう間もなくであった。
いつのまにか空は夕焼けで真っ赤になっている。
慧英はすっと立ち上がった。そして広間中に響きわたる大声で宣言した。
「それでは、我らは天上にかえることとする! 此度の饗応、誠に大義であった!」
「はっ」
皇帝をはじめ、その場にいる全ての人が慧英に跪き頭を垂れた。
「まずは、如意宝珠を天に返そう。天帝陛下! お納めください」
慧英は五つの如意宝珠を取りだした。
萌麗の元にあった緑の如意宝珠『歳星』、遊郭にあった白の如意宝珠『太白』、化け物の腹にあった赤の如意宝珠『熒惑』、水神として祀られていた青の如意宝珠『辰星』、大寺院の鳳の彫像の目玉になっていた黄の如意宝珠『鎮星』。
黄昏の中、それぞれがまばゆい光を放ちながら、宝珠が天へと昇っていく。
「なんて綺麗……」
幻想的な光景に思わず見とれる萌麗であった。
「天帝様! 確かに五つの如意宝珠を集め、今天界へと送りました。これをもってこの慧英の任務、間違いなく完了いたしました」
慧英は天に向かって手を合わせ、朗々とした声でそう告げた。するともくもくと雲が揺らめいて大きな影が空いっぱいに現われた。その影から、体の芯まで響くような低く威厳のある声がした。
『確かに受け取った。慧英、大義であった』
「はっ」
『お前の地上での任を解く。疾く、帰還せよ』
「は……」
一礼をして慧英は立ち上がった。そして振り向き、萌麗を見つめた。
「萌麗……」
「慧英様、おめでとうございます」
笑いたい。笑って慧英を見送りたいのに、萌麗の声は震えてしまった。そうするともう歯止めが利かない。ぽろぽろと涙がこぼれ出す。
「……おいで」
「慧英様」
手を広げた慧英の胸元に萌麗は飛び込んだ。慧英は萌麗の小さな体を抱きしめる。
「ごめんなさい……。泣いたりして」
「いや。離れがたいのは……私も同じだ。またきっと会いにくるから」
「はい……」
「きっと、そのうち懐かしい昔話になる。幸せになるんだよ」
「はい……」
そう頷いた萌麗であったが、天界との時の流れの違いは大きい。次に慧英が萌麗に会いにくる時はいつになるだろうか。その時、自分はどこかに嫁いでいるか……そもそも生きているのだろうか、と考えた。
「皇帝陛下を支えて、達者で暮らせ」
「……わかりました」
萌麗はこくんと頷いて慧英の腕の中から離れた。慧英は再び天帝の影に向かって大声で宣言をした。
「では、天帝様、慧英と紫芳はこれより帰還します」
『うむ……その前に褒美をお前に与えようと思う』
「と、申しますと……?」
慧英は不可解な顔をした。
『そこの半仙の子』
「わ、私ですか」
急に呼びかけられた萌麗はびくりとして慌てて頭を下げた。
『そうだ。そなた……人としての生を捨てる覚悟はあるか』
「え……」
『此度の働きに免じ、お前の霊格を人より仙女にあげようと思うがどうか』
その提案に萌麗は思わず顔を上げた。自分が仙女になる。それは思わぬことであった。しかしそうすれば慧英の側にいることが出来る。
「それは……! そんなことができるのなら……是非!」
萌麗はこくこくと頷いた。
『慧英よ、この者はこう言っているが』
「天帝様……それはいけません。萌麗、よく考えろ、そんなことをしたらお前は人の世界の理と離れてしまうのだぞ」
「……だとしても構いません。それよりも私は慧英様と一緒にいたい」
「萌麗……!」
『慧英よ。この国はしばらく不安定になるだろう。お前はこの萌麗と共にこの国を見守るといい』
「天帝様……」
『――それが儂からお前への褒美になると思うがどうかな』
「……ありがたく、お受けいたします!」
慧英が力強く答えると、地の割れそうな天帝の大音声の笑い声が響いた。
『あーっはははは、そうか。それでは萌麗よ。母の名を継ぎ百花娘々を名乗ると良い』
するとぽっと天空から光の玉が降りてくる。その玉は萌麗の目の前に着地した。
「萌麗、覚悟が決まったらその玉の中に入るんだ」
「覚悟なんてすぐに決まりました」
萌麗は迷うことなくその玉の中に入った。その中は温かく。虹色に輝いている。
「……なんて美しい」
萌麗が見とれていると玉が割れた。痛いことも苦しいこともない。ただ美しく温かい幻影に見とれている間にそれは終わった。そしてすぐに慧英が駆け寄って来る。
「萌麗!」
「これで、私……仙女になりましたのね」
「そうだ……」
「ずっと、ずっと慧英様と一緒に居られるのですね」
「そうだよ」
萌麗は慧英の腕の中に飛び込んだ。
ああ、今ならわかる。母が全てを捨ててこの地上に残った訳が。それは、ただ愛する人の側に居たかっただけなのだ。
『では……』
雲の影がさっと風に流れて消えて行く。その影に向かって萌麗は叫んだ。
「天帝陛下! ありがとうございます!」
どうということはない、と天帝が笑った気がした。それは萌麗の見間違いかもしれない。けれど、慧英と同じ神仙の身となりこれから共に生きていくのは間違いなく事実である。
「信じられない……」
頬を抑える萌麗に陽梅が駆け寄ってきた。
「萌麗様っ!」
「……陽梅、ごめんなさい。私、勝手に……」
陽梅はただの侍女ではない。萌麗にとって家族とも親友ともいえる存在だった。萌麗が変化したことで陽梅を置いて長い時を生きる事になってしまった。
「いいんです! 私は萌麗様が幸せなのが一番なんです。ずっと、ずっとそう願ってきました……だからそんな謝らないでください」
「ありがとう……」
陽梅は涙を流しながら萌麗の腕に取りすがった。
紫芳はそんな萌麗と陽梅の横で空を見ながら呟いた。
「あーあ、天界に帰りそびれてしまった……」
「紫芳、俺につきあうことはないんだぞ」
「いえ、慧英様。紫芳は慧英様の従者ですので。まあいいです。そのうち帰れば」
紫芳も慧英にくっついてこの地上に残るつもりらしい。
「慧英様、皇太后の圧政の影響がしばらく出るでしょう。この国を戦乱の地にするつもりはありません。慧英様。またお力をお借りすることもあるでしょうが」
「何を水くさい。我らは夫婦になるのだ。今度はお芝居ではなく、な」
「夫婦……そ、そうですね!」
萌麗は慧英がそっと握った手をしっかりと握り返した。




