41話 送別の宴
それから二日、休養をとるようにと言われたが、萌麗の元に慧英が来ることはなかった。そしてその翌日、朝早くから皇帝の送った女官達がやってきた。今日の送別の宴の為である。
「本日のお支度とお供の為にまいりました」
「そう……よろしくね」
萌麗は女官たちのされるがままに髪を結われ、衣装に袖を通す。皇帝の用意してくれたその衣装は立派なものだった。
「このまま……時が止ればいいのに」
萌麗はそう言いつつ、慧英から貰った簪を髪に挿す。
そんな萌麗の思いとは裏腹に時は午を迎え、慧英たち天界の使者の送別の宴が華やかに始まろうとしていた。
「皇帝陛下のおなりでございます」
その声に臣下、妃獱たちは跪き頭を垂れる。しっかりとした足取りで、皇帝は臣下を引き連れて玉座へと座った。
「続きまして、翠淳公主のおなり」
その声にちらりとのぞき見た妃獱の一人は息を飲んだ。
大勢の女官に囲まれ、皆そろいの牡丹の刺繍の衣装を着ている。女官達が赤い牡丹なのに比べて、萌麗の刺繍は金一色であった。それは華やかでありながら清廉な印象を受けた。
「綺麗……」
「しっ」
「だって、あの公主様あんなに綺麗だったかしら……」
そんなざわめきを微かに聞きながら、萌麗は皇帝の隣の席についた。
「我が妹は美しいな」
「もったいなきお言葉です」
この衣装も女官達も、すべて皇帝が用意してくれたものだ。陽梅は意気揚々と女官達の先頭で得意気な顔をしていたが、萌麗は慧英の姿を見るのが少し怖かった。
「神龍将軍、慧英様のおなりです」
その声に萌麗は弾かれたように前を向く。そこには金の鎧に身を包んだ、愛しい慧英の姿があった。たった二日なのに随分と離れて居たような気がする。
「慧英様、この地上の最後にどうか我らのもてなしを受けてください」
「その気持ち、ありがたく頂戴する」
慧英は一礼すると席についた。すると音曲と舞が始まる。
まるで、初めて慧英と会った時のようだ。と萌麗は思った。でも、あの時は広間の隅で小さくなっていた。今は……隣に彼がいる。
「なんでも手の込んだ地上の料理がお好きとか。今日用意したのは珍しい食材ではありませんが、皇宮の料理人が腕によりをかけましたゆえ」
「……なるほど、美味い」
皇帝と慧英が談笑している間、萌麗はどうしたらいいかわからなかった。すると慧英が急にくるりとこちらを向いた。
「どうした、萌麗食べないのか? これはなかなか美味いぞ」
「えっと、食べます……。羊の羹は好物です」
「そうか」
慧英はそう言ってにこりと微笑んだ。その顔を見て萌麗は今、言わなくてはと思った。
「慧英様」
「ん?」
「旅につれていってくれてありがとうございました」
「ああ……俺もなんだかんだ楽しかった」
「私もです」
萌麗はなんだか旅の最中に戻ったような心持ちがして微笑んだ。萌麗は恋慕の思いは胸にしまったとしても、感謝の気持ちは素直に伝えたかったのだ。
「おかげで皇帝陛下は元に戻りましたし、その元凶を打ち破ることができました」
「ああ……」
「でも、それ以上に……私、強くなれた気がしたんです」
「萌麗」
「前は何もできない自分が嫌いでした。でも、前を向く勇気を慧英様に貰ったんです」
萌麗は微笑んだ。これは決めていたこと。今日はずっと萌麗は笑顔でいると。別れの宴で涙は流さないと。
「良い旅でした」
「ああ。俺にとっても忘れられない度旅になったよ」
「……ありがとうございます」
萌麗は急に恥ずかしくなった。それ以上なにか言うと泣いてしまいそうで、口を結んで俯いた。
その時である、銅鑼の音が大きな音を立てて広間に響いた。
「翠淳公主、前へ!」
「は、はい」
急に呼ばれた萌麗は、慌てて立ち上がり、皇帝の前に跪いた。
「国中を巡り、天上の秘宝の宝珠を集め、此度の事件の為に尽力してくれた我が妹よ。ささやかであるがこれは褒美だ」
「は……」
「金と宝物をそなたに与える。それから……本来であれば公主に封じられる時に与えられるべき領地をそなたにあたえよう」
「あ、ありがとうございます」
「ご苦労であった」
萌麗の目の前に金や反物、装飾品などが積まれた。さらに領地までが萌麗のものになったという。萌麗は身に余る褒美に目がちかちかするような気がした。
「そして……慧英様」
「はい」
「天帝陛下の任務がありながら妹の願いを聞き、あの東方朔を倒してくれた。心より礼を言う」
「俺の好きにやっただけだ」
「だとしてもそなたが居なければ、私はあのまま意識のないまま死んでいただろう……。慧英様、何をこの地上の土産に渡すか萌麗と相談したのだが……萌麗がこれがよいだろうと」
皇帝が手を叩くと、籠が運ばれて来た。
「これは……」
「萌麗の咲かせた恒春宮の花だ」
「そうですか……」
慧英は見事な牡丹の花を手にした。そして慈しむようにその香りを嗅ぐと、花びらを一枚食らった。
「うむ……確かに。天上の花にも劣らぬ美味であります」
「……神仙というのは変わっているのう」
褒美に花を貰って満足気な慧英を見て、皇帝は苦笑しながら、もう一つ渡すもの手にした。
「それから、これを。萌麗の旅の守りにとそなたが渡した鱗だとか」
「……はい」
「旅が終わったのでお返しすると」
「……わかりました」
慧英はその鱗の守りを手にした。萌麗は自分で返してくれと言ったくせに、胸がぎゅっとつぶれそうになった。
「萌麗!」
すると慧英が萌麗を呼ぶ。
「な、なんでしょうか」
「旅は終わった。俺はもうお前を見守ることはできない」
「はい……」
「だから、これをその代わりに置いていく。困った時に使うといい」
慧英は皇帝から受け取ったばかりの鱗の守りを萌麗に握らせた。
「はい……わかりました」
本当は手放したくなかった。でも旅の間と言われていたから返さなくてはと強がっていた萌麗はふいに手元に戻って来た慧英の鱗を握りしめた。
「萌麗、これから皇帝を支えていくんだぞ」
「はい……」
「そんな顔をするな。心配になる」
「え?」
「……なんでもない」
慧英はふいと顔を逸らし、席へと戻っていった。萌麗は早口で言った慧英の言葉が聞き違いなのかどうかわからないまま、席に戻るしかなかった。




