40話 慕情
旅がようやく終わった。そうして萌麗と陽梅は久方ぶりに恒春宮へと帰ってきた。
「あーっ、やっと帰ってきましたね。このオンボロの宮に」
「……うん」
「もう、いつまで拗ねているのですか。ちゃんと慧英様達は残ってくれたのだからいいじゃありませんか」
「そうだけど……数日の話よ」
暗い声で言う萌麗に、陽梅はその顔を覗き混んだ。
「……だとしても、キチンとお別れできる時間ができたのです。萌麗様、しっかりお二人をお見送りしなくては」
「そうね……」
萌麗は頷いたが、そもそも萌麗はお別れなんてしたくないのだった。いつまでもみんなで旅をしていたい。まだまだ見てないものが沢山あるはず。そんな自分の本音に気が付いて、萌麗は己が嫌になりそうだった。
「萌麗様……」
「庭を見てくるわ」
「かしこまりました」
萌麗は長く不在にしていた恒春宮の庭に向かった。水やりしか頼んでいなかった宮の庭は、枯れてこそいなかったが草ボウボウになっていた。
「ただいま、みんな」
萌麗はそう言って黙って庭の手入れをしはじめた。
「萌麗様……」
陽梅はそれを諫めるでもなく、じっとその姿を見守っていた。
一方、慧英たちは豪華な客室に通されていた。
「なにかあればお申し付けください」
「しばらく休む。静かにしていてくれ」
「は、かしこまりました」
慧英は不機嫌な顔のまま寝椅子にころがった。
「慧英様……」
「なんだ紫芳」
「まさか本当にあのまま天界に帰るつもりだったんですか」
「そうだ。なにか悪いか」
ぶすっと答える慧英に紫芳は構わず答えた。
「物事には順序があると申したのは慧英様です」
「む……」
「あれでは萌麗殿が気の毒です」
「どうしてそこで萌麗が出てくるのだ」
慧英が体を起こすと紫芳はふう、とわざとらしいため息をついた。
「ご自分でおわかりにならないので?」
「……わかっている」
慧英は低い声で答えた。
「わかっていないのは紫芳、お前のほうだ」
慧英はそう言って寝椅子に再び寝転んで目を瞑った。
「萌麗様、萌麗様!」
「なあに、陽梅」
慌てた声を出す陽梅に、萌麗は顔をあげた。
「それが……」
「帰る早々、土いじりか。昔のままだね、萌麗」
「あ……義兄様……?」
「やあ」
地味な官吏の服に身を包んだ皇帝が萌麗の元を訪れた。どうやらお忍びらしい。
「どうしたのです?」
「少し話がしたくてね。抜け出してきた」
「そんな、大丈夫なのですか」
「ようやく自由になったのだ。少しばかりの息抜きくらいさせておくれ」
そう言って皇帝は恒春宮をぐるりと見渡した。
「修理があちこち必要だな」
「申し訳ありません……」
「いや、放って置いた私が悪い。それにしても懐かしいな。萌麗はこの庭で遊んだのを覚えて居るか?」
「はい、子供でしたからうっすらとですが」
「そうか。私はこの庭に来るのがいつも楽しみだった。父上はここではいつも笑っていたし、萌麗の母上は優しかった」
皇帝は愛おしいものを見る目で庭の東屋を見つめる。そこで子供時代の終わりに出会った美しい思い出、それは彼の中に大切に仕舞われていた。
「しかし、父上も萌麗の母上ももう居ない……」
「ええ……」
「萌麗、お前だけは本当に幸福にしてやりたい」
「お義兄様」
「お前の嫁ぎ先はよく吟味するからな」
「嫁ぎ先……」
その言葉を聞いて、萌麗は心の中がひやっとするのを感じた。
「ああ、気が良くてよく働いて清廉な人物が良いな。萌麗と気の合うような」
「……そんな、まだ早いですよ」
「そうか?」
「私のことより国を立て直すことを先になさってくださいな」
「はは……言われてしまったな」
皇帝は萌麗の頭を子供にするように撫でた。
「萌麗、見ていてくれ。私はきっとやり遂げてみせる。幸い助けてくれる廷臣たちもまだ残っている」
「はい」
「あ、ところで」
皇帝は当初の目的を思いだしたかのように手を打った。
「なんでしょうか」
「送別の宴で慧英どのに贈り物をしたいのだが、何がいいだろうか」
「……そうですね」
萌麗は考えた。金や玉を与えたところでそれは太白が出してしまうだろうし。というより金をかけた贈り物を慧英は喜ばない気がする。
「あ、いいものがあります」
「なんだ?」
「それは……」
萌麗は皇帝の耳にそっとそれを囁いた。
「それで慧英様はお喜びになるのか」
「ええ、きっと」
「……本当に、金の簪よりも一輪の花のほうがいいと」
「そういう方です」
「しかし、今は冬だ。花も少ない。この恒春宮の庭も荒れ放題だ」
皇帝は困った顔をした。
「ご安心ください。四季の花をご用意できますよ」
「……萌麗?」
萌麗はふっと息を吐いた。すると梅に桜に牡丹に菊と様々な花が咲いた。
「これは……」
「私の母、香麗は百花娘々という仙女だったそうです」
「なんと。確かに美しい人だったが……」
「先帝陛下に恋をして地上に残り、私を産んだようです。それで慧英様が仙女の力が少しでも使えるようにと、ご自身の鱗を旅のお守りに」
萌麗は胸元から慧英の鱗を取りだした。
「この花と一緒に、鱗もお返ししてください」
「……いいのか」
「はい。もう……旅は終わりましたから」
萌麗は俯いた。その姿を見て皇帝は全てを悟った。
「萌麗、慧英様をお慕いしているのだね」
「……ええ」
「それがどういうことが理解しているか?」
「わかって……わかっています」
萌麗は思わずこぼれそうになる涙を堪えながら、つっかえつっかえ答えた。
「母が仙女だとしてもお前は人間だ。天界には行けぬ」
「ええ」
「それに永き時を生きる神仙と違い、お前は先に死んでしまう」
「……その通りです。ただ……最後の別れを惜しむのは悪いことでしょうか……」
「萌麗……」
皇帝は叶わぬ恋をしてしまった可愛い妹を抱き寄せた。
「お前の気持ちはわかったよ」
「申し訳ありません」
「いいんだ、何もしてやれなくてすまない」
義兄の腕の中で萌麗は音も無く静かに涙を流した。




