36話 宮殿への帰還
翌朝早く、一行は帝都へと向かった。目的地までもうすぐである。皆、宮殿に入る為に、衣装を商人風のものから慧英はいつもの鎧姿へ、萌麗達は太白から出した美しい衣に着替えた。
「見えてきました……!」
都の中にはすんなりと入ることが出来た。そして宮殿はもう目と鼻の先である。
「あっさり過ぎませんか?」
そう陽梅が首を傾げる。
「もっとこう……引っ捕らえにやってくると思ったのに」
「……ふん。こちらは天帝の使いを終えて、萌麗を帰しにきただけだぞ。向こうに大ぴらに敵対する大義はない」
「……確かに」
「だから堂々と真っ正面から入るぞ。紫芳」
「はい、畏まりました」
紫芳は慧英に命じられた通り、馬車を走らせた。検問も問題無く、馬車は中へと入っていった。
「これはこれは、神龍将軍様、翠淳公主様! 無事のお帰りよろしゅうございました」
「皇帝陛下の拝謁まで今しばらくかかります。宴の準備も居たしますので、しばしゆるりとなさってください」
それは天帝の使いとして慧英がこの宮殿に初めて来た時と同じような歓待ぶりであった。
「……なんか微妙な気持ち」
「気味が悪いですね」
にこにこ顔の高官達を見て、萌麗と陽梅は顔を見合わせた。
「それでは翠淳公主様は一度恒春宮へ、お支度ございましょうし」
「えっと……それは……」
「……我らの隣に、部屋を用意してくれ」
「さようでございますか?」
使いの官吏は不思議そうな顔をしながらもそのように取り図ってくれた。
「良かった。……恒春宮の花たちの様子は見たいけれど、今慧英様と離れるのは怖いわ」
萌麗はほっと胸を撫で降ろした。この宮殿のどこに東方朔がいるのかわからない。その状態でバラバラになるのは避けたかった。
「皇帝陛下の拝謁の準備が整いました。中央殿に起こしください」
「はあ、やっとだな」
かなり長々と待たされたあと、慧英達は中央殿に案内された。
「神龍将軍、慧英様ならびに翠淳公主様のおなりでございます」
そう呼ばれて慧英と萌麗は前に進み出る。その後ろから紫芳と陽梅はしずしずと付いていった。
「……あれが『緑の公主』様? 嘘でしょう?」
「あの簪の立派なこと……」
「もしかして神龍様にいただいたのかしら」
ざわざわとお喋りな妃獱達の噂する声が聞こえてくる。
「そなた達! 行儀が悪いぞ」
「はっ、申し訳ございません」
そんな声を一喝しながら入ってきたのは皇太后であった。
「皇太后……」
慧英は苦虫を噛みしめたような顔をして彼女を睨み付けた。
「よくぞ戻られた、慧英様。ほほほ」
だが皇太后は臆する事なく笑って席についた。逆に悲鳴混じりに息を飲んだのは萌麗であった。
「皇帝陛下のおなりです」
そう言って入って来た皇帝は、両脇を侍従に抱えられ、引き摺られるように玉座に座らされていたのである。目は虚ろに半分開き、半身を起こしているのがやっとという感じである。
以前はそれでも多少なにか言葉を発していたのに、もう彼は何も話すことがなかった。
「義兄上……」
萌麗は唇を噛んだ。これほどまでにひどいことになっているとは思わなかった。萌麗が初めての後宮の外の世界に目を見開き、触れあっている間にも、皇帝の意識混濁は進んでいたのだ。
「萌麗、おのれを責めるな。お前のせいではない」
そんな萌麗に、慧英は真っ直ぐに前を向きながら声をかけた。
「誰が悪いのか我々はわかっているだろう」
「そうですね」
そう、悪いのは全て東方朔である。あの男が来てからすべてが狂った。もちろん宮廷になんの問題も無かったわけではない。ただその小さなヒビに手をつっこんで大きく裂いて笑うあの男が今の事態を引き起こしたのだ。
「慧英様、このたびめでたく探し物の宝珠を集めることができたとか」
「はい。萌麗殿の手助けもあり見つける事ができました」
「そうか……。時にその宝珠、見せて貰うことは出来るかえ?」
「……よろしいでしょう」
慧英は目の前に五つの如意宝珠を並べた。それを侍従が盆に乗せ、皇太后の前に持って行く。
「これが天界の宝珠か。美しいの」
「本当でございますね」
その玉座の後ろからスッと姿を現したのは東方朔であった。
「その宝珠は神仙でなければ力を発揮できませぬ」
慧英は澄ましてそう言った。
「それは試してみたい」
東方朔は手を伸ばして宝珠を掴んだ。
「……」
「……何も起きない」
「東方朔や。神仙のみがこの宝珠を扱えるそうじゃ」
「これが本物であれば、ですね」
東方朔はにこりと笑って玉を地面に落とした。地面に触れた玉は粉々に割れる。
「慧英様もお人が悪い。皇太后様を謀ろうとは」
「まともに相手をする気は元々ない!」
慧英は立ち上がった。そして懐から今度こそ本物の如意宝珠を取り出す。
「如意宝珠よ。我が願いを聞け。この悪しき東方朔を退け、皇太后の罪に罰を、皇帝の縛めを解き放て!」
慧英の声に応えるように五つの如意宝珠が輝きだした。
「と、東方朔や! これは一体……」
皇太后は怯えた声を出した。それを無視して東方朔は高らかに笑った。
「ははは、そうやすやすとさせると思うか!」
東方朔の周りに黒い稲光がバチバチと音を立て、紫色の煙がそれを包む。
『ちまちまと悪しき気を食らうのにも飽きた! 慧英! お前の龍の血を啜って私は仙人になろう!』
バリン、と一際大きな稲妻が中央殿に落ちた。
「ひっ、逃げろ!」
人々が悲鳴をあげながら逃げ惑った後に現われたのは巨大な大蛇の尻尾と頭を持ち、獅子の胴体を持った怪物であった。その鱗は禍々しい紫。そして長い牙を生やした顎の下には東方朔の顔が貼り付いていた。
「化け物……」
萌麗達は邪悪なその姿を見て息を飲んだ。




