33話 帝都に向かう
「さって、出発しましょうか」
遠巻きに見守る周りの視線と重い空気を吹き消すように、紫芳が明るい声を出した。
「そうですね、こんな所早く出ましょう」
陽梅も周りを睨み付けながら、萌麗と慧英に訴えた。
「ああ……紫芳、馬車を」
「はい、慧英様」
紫芳は馬車を取りに外に駆けていく。萌麗達もその後に続いて寺院を出ようとした。そこに追いすがってきたのは寺院の道士達である。
「申し訳ございません! 翠淳公主様」
バッと萌麗の前にひれ伏す道士達。その横からさっと手を伸ばして這いつくばっている道士の胸ぐらを掴んだのは慧英だった。
「申し訳ないで済むか……!」
「ひっ……」
「あのままだったら、萌麗は……萌麗は……」
たまたま念の為に如意宝珠を萌麗に渡して居なければ、萌麗は死んでいた。慧英の拳が怒りの余りに白くなっていく。今にも殴りかかりそうなその手に、そっと手を添えたのは萌麗だった。
「慧英様、やめましょう」
「しかし……」
「この者達は命じられただけ。それよりも元を絶たねば」
今回、儀式の最中に萌麗を事故に遭わせようとしたのは、どう考えても皇太后の差し金である。
「……そうだな。わかった萌麗、そなたに免じてこの者らに手はださん」
慧英は乱暴に胸ぐらを掴んでいた手を放した。
「げほ……お許しを……」
「いいから去れ」
慧英が凍り付くような冷たい目で彼らを睨むと、道士達は一目散に目の前から立ち去って行った。
「行こう」
「はい」
萌麗と慧英は人々の間を寺院の出口に向かって歩く。戸惑いと畏怖の感情の渦巻く人垣がそれに連れて割れていく。
「慧英様!」
「紫芳、ご苦労。萌麗、手を」
「はい」
慧英に手を引かれて萌麗は馬車に乗り込んだ。これまでずっと一緒に旅をしてきた馬車の中に乗り込んで、萌麗はほっと息をついた。
「では、帝都に参ります」
紫芳がムチを馬にいれ、馬車は出発した。
「萌麗、帝都についたらすぐに……」
「……」
「萌麗?」
慧英は返事のない萌麗を見ると、こくんこくんと船を漕いでいた。
「――気が抜けたかな」
慧英はそんな萌麗の肩を引き寄せると、眠る萌麗を抱きしめた。生きていて良かった、と改めて胸を撫で降ろしながら。
馬車はやみくもに旺蝉の街から離れようと進んだ。
「一晩、途中の村で泊まりになりそうですが」
「かまわん」
そうして日も落ちた頃、四人はとある村にたどり着いた。
「もし、一晩宿を借りたいのですが!」
紫芳が家の戸を叩いて交渉すると、村長という人がやって来て自宅へと案内してくれた。
「うちは一人なので好きにお使いください」
「ありがとうございます」
立派な家だが子供達は流行り病で亡くなってしまったという。少し寂しそうにそういう村長に萌麗は心を痛めた。
「朝にでもお参りをさせてください」
「それは……お心遣いありがとうございます」
村長に案内された部屋で、萌麗はようやく重たい儀式用の衣装を脱いだ。
「……皇太后様は、どうしたのかしら」
「どうしたもこうしたも、頭がどうかしているんですよ!」
着替えながらふと疑問を漏らした萌麗に、陽梅はそう返した。
「陽梅、私が言いたいのは、なんでこの旅の最中にこんなことをしでかしたのかってことよ」
「それは、萌麗様が――憎いからではないでしょうか」
「だったら後宮にいた時の方がよっぽど手を下しやすかったはずでしょ」
「……そうですね」
そう萌麗が首を傾げていると、部屋の扉が叩かれた。
「萌麗、食事だと」
「はい」
大した物でなくてすみませんと村長が出してくれたのは粥と炒め物だった。四人は文句も言わずにそれを平らげた。
「なんにもない村なのです」
「いえ、心づくしをありがとうございます」
萌麗は申し訳無さそうな村長に微笑みかけた。
「なにか……匂うか……?」
「どうしました慧英様」
「なんだか生臭いような匂いがする」
「え……? そうですかね」
萌麗はくんくんと周りの匂いを嗅いでみたが、特に変わった匂いはしないような気がする。
「ああ、この村は皮革の加工をしてますので、それでしょうか」
「皮革……そうか」
「加工に煮込む時にひどい匂いがしますので、風向きによってはこちらにも流れてくるのです」
そう言って村長は気が紛れるようにと香を焚いてくれた。
「やさしい方のおうちに泊まれて良かったわね」
「ええ、そうですね。今日はゆっくり休みましょう」
陽梅は萌麗の上掛けをそっとかぶせると、部屋の灯りを落とした。
――ドン、ドンドン!
――ドンドン!
扉……いや窓だ。窓を誰かが叩いている。萌麗は突然の音に驚いて飛び起きた。
「萌麗様!」
「しっ……陽梅、静かに」
萌麗は陽梅の手を引くと、窓から距離を取った。
「う……ううー」
「うう……」
窓の外からは呻き声が聞こえる。
「ひっ……」
陽梅は悲鳴をあげそうになって慌てて自分の口を塞いだ。
「萌麗様……何かいます」
「そうみたい……。うん扉の向こうは音がしない。陽梅、こっちへ」
「はい」
萌麗と陽梅は部屋を抜けて慧英と紫芳のいる部屋の方へと急いだ。そこには灯りを手にした慧英と紫芳が当たりを伺っていた。
「慧英様!」
「萌麗……無事だったか」
「何が起こっているのでしょう……」
萌麗の姿を見つけて駆け寄った慧英は、その肩を抱き寄せながら外の方向を睨み付けた。
「音が聞こえる……月琴の音……?」
慧英は眉をひそめた。




