29話 お呼び出し
そして一行の乗る馬車は帝都の手前の街までたどり着いた。
「飛ばせば帝都に宿も取れますが、どうしましょう」
「……今日はここで宿を取ろう、紫芳」
紫芳に聞かれた慧英はしばし考えて、そう答えた。あれから数日たったが再び襲撃は無かった。このまま帝都に突入していいものか、慧英には不安があった。
「わかりました。では宿をとってきます」
駆けだして行く紫芳。慧英は少し慎重になりすぎているのではないかと自問自答しながらその後ろ姿を見る。そんな慧英の袖を引っ張ったのは萌麗だった。
「あの……私のことなら気になさらず。後宮が決して嫌な訳ではないのです」
「……ああ。ただ無理をして先に進む事はないと思っただけだ」
「そうですか?」
「それにこの街に宝珠があるかもしれん」
「ああ、そうですね!」
なんとか萌麗を納得させることには成功した。だが、慧英は何か胸騒ぎを胸に感じていた。
「やはり帝都が近くなると、街も洗練されてきますね」
一行は夕食を終え、陽梅がそう言いながら萌麗の湯浴みの準備をしている。部屋には湯に浮かべた蝋梅の甘い香りが満ちている。
「でも私、北方のお料理も好きだったわ」
「あれは大河の向こうの文化が入って来ているのでしょうね」
「そうね、服の刺繍もこっちでは見ないようなものだったし」
萌麗は湯を浴びながら、旅を振り返った。慧英が鱗のお守りをくれたのは大きな転機だったが、それ以上に様々な旅の経験が萌麗を強くしてくれた気がする。
「何もできない……か……」
そういつも嘆くばかりだった萌麗。でも今はそんな風には思わない。例え慧英が居なくても一人でだって……そう思えるほどに。
「……うむ」
「どうですか、慧英様」
一方、慧英は如意宝珠を部屋の窓辺に並べていた。
「どう思う? 紫芳」
「帝都よりやや南方向な気もします」
「だな……やはり帝都は素通りするか」
「それが宜しいでしょう。行けばまたあのキツそうな皇太后に挨拶しないわけにはいきませんし。萌麗殿も気詰まりでしょうし、僕だってごめんです」
「そうか、そうだな。紫芳、これを伝えてきてくれ」
「あ……はい」
「俺はもう寝る」
慧英は如意宝珠を袋にしまうと、ごろりと寝台に横になった。
「……という訳で帝都には寄らずにその先の街に行くことになりました」
「そう」
紫芳からそう伝えられた萌麗は正直少しほっとした。
「帝都の先の街というと……旺蝉の街ですか」
「そうね」
「そうね……と申しますが、萌麗様あそこは今大寺院を建てている場所ですよ」
陽梅にそう言われて、萌麗はそう言えばと口に手を当てた。
「あそこは……皇太后様の出身地ね」
「ええ、ご一族は代々あそこの洛陽令(県令)を勤めてらっしゃいます……」
「うう~ん……」
「まあ何もないと思いますが……」
影響の強い土地ではあるものの、なにも皇太后がそこに居るわけではない。萌麗は顔を振って悪い考えを頭から追い出した。
「ふわ……」
翌朝、萌麗が目覚めてうんと伸びをした時だった。真っ青な顔をした陽梅が部屋に飛び込んで来た。
「ほ、萌麗様!」
「どうしたの……?」
「そ、それが帝都……いや、宮殿からの使いが……」
「ええっ?」
萌麗が部屋の窓の外を覗くと、そこには大量の高官と兵士が宿を取り巻くようにしていて、それを野次馬が取り囲むようにしている。
「そんな、昨日旺蝉に向かうと決めたところなのに……」
「慧英様がお断りをしてくれたのですが、向こうは聞かなくて」
「……はあ。顔を出すしかなさそうね」
萌麗はそう言ってため息を吐いた。
「神龍将軍慧英様、並びに翠淳公主様……早朝にお伺いして申し訳ございません」
「まったくだ」
慧英は不機嫌そうに部屋に上がって来た高官を睨み付けた。とはいえこの高官もそう指令を受けただけで引くに引けないのである。それがわかっている慧英と萌麗は困った顔をしてみせるばかりだった。
「では、こちらに輿を用意させておりますので」
「わかった。身支度がある、しばし待たれよ」
慧英は高官を部屋から追い出すと、太白を振って女物の衣装を出した。白地に金糸の縫い取り、牡丹の刺繍の着物と白地に梅の刺繍の着物である。どちらも一級品と見て取れる立派なものだ。
「萌麗、陽梅これに着替えてくれ。普段の出で立ちで行く訳にはいくまい」
「は、はい」
そう言いながら、慧英も鎧姿の半龍の姿に変化する。
「やられたな……」
萌麗達の着替えの間に、慧英はうんざりとした顔をして呟いた。
そうして四人は皇太后の用意した輿に乗って帝都へと向かった。
「……良かったわ、太白があって。こんな輿に乗るような服持っていないもの」
「大袈裟な。きっと萌麗様に恥を掻かそうとでもしたんでしょうけど!」
陽梅はぷりぷりとしながらも、二人の衣装を見た。共に大国の公主とその女官にふさわしい出で立ちである。
「まあ、さっと顔を出して次の街に進みましょう」
「……本当にそんなにあっさりと済むでしょうか」
陽梅はそんな萌麗の言葉に、行列をなす迎えの一団を見ながら心配そうに呟いた。
そして一行は帝都へと入った。道行く人は艶やかな萌麗の出で立ちと雄々しい慧英の姿を見て、頭を垂れる。
「なんだかすごく久し振りに感じるわ」
宮殿を目の前にして、萌麗はそう小さく囁いた。
「神龍将軍慧英様、並びに翠淳公主様のご到着!」
その声に広場の家臣達は一斉に跪き、頭を地面に叩いた。ゆっくりと輿は宮殿へと向う。中央殿を前にして、萌麗と慧英は輿を降りた。
「これはこれは、麗しいお二人。よくぞ来てくれたもうた」
その中央の玉座には皇太后がいる。そっと隠した扇の向こうで彼女がにんまりと笑うのを、萌麗は確かに見た。




