28話 あと一つで
「慧英様?」
「ん?」
「この鶏の煮込み、よく味が染みて美味しいですよと申したのです」
「あ……ああ」
「なんだかぼうっとしてらっしゃいますね」
夕食時、いつもは陽気に人間界の料理をつついている慧英が妙に静かなので、萌麗は首を傾げた。その様子に慧英はなにか言い訳を探す。
「いや……その。そうだ、あと宝珠一つを手に入れたら旅も終わりだなと思ってだな」
「あ……そうですね」
萌麗の顔がさっと曇る。
「安心しろ。天に帰る前に、萌麗の兄上のことは……」
「はい……疑ってなどいません」
萌麗はそう言って俯いた。そう、もうすぐこの宝珠を探す旅は終わる。元々は皇帝陛下を助ける為に共に旅に出たはずだ。だが、萌麗は胸がちくんと痛むのを感じた。
「萌麗、こっちの魚のすり身も美味しいぞ。とってあげようか」
慧英はよもや萌麗の命が狙われているかもしれないと伝えられずに言った一言で萌麗がしょんぼりしてしまったので慌てて話を逸らした。
「……ええ、いただきます」
萌麗は控えめに笑って慧英の差し出した皿を受け取った。
「ふう……」
「萌麗様、大きなため息で」
床につく前に萌麗の髪を梳いていた陽梅は萌麗がため息ばかり吐いているのを聞いてとうとう指摘した。
「あら……」
「それだけ慧英様と離れるのがお寂しいのですね」
「ちょっと、陽梅。からかわないで頂戴」
萌麗が手を振りながら答えると、陽梅はちょっと笑って答えた。
「……私もですよ」
「え?」
「こんな国中を旅して、色んなものを目にするなんて……もう無いと思うんです」
「確かにね……」
この旅が終わって、皇帝陛下を正気に戻して後宮に帰っても……いずれどこかに嫁入りするのは変わらないだろう。それが辺境の蛮族だったのが、たまの里帰りもできる近隣の王の元に変わるくらいだ。
「こんな事……二度とないわね」
萌麗はしみじみと呟いた。するとまた何だか悲しくなって萌麗はため息を吐いてしまうのだった。
***
「さて……行き先をどうするかな」
一方、慧英たちの部屋では。難しい顔をした慧英が如意宝珠を見つめていた。
「行き先は帝都ではないのですか?」
「方向としてはそうなのだが……萌麗が狙われている節がある……このまま進んでいいのか」
「では彼女らはどこかに預けて行きますか」
「それは一層心配だ。ああ、困ったな」
紫芳はいつになく落ち着きと冷静さを欠いた主人の姿に驚いた。
「何を弱気になっているのです。どうせあの怪しげな道士の小手先の術でしょう。慧英様は神龍将軍、天の大軍を率いるお方ではございませんか」
「紫芳……」
「心配ならば、守ってやればいいのです。これまで以上に。僕も微力ながらお手伝いいたします」
「ああ……済まない、紫芳。ありがとう」
この間まで幼い言動が多かった紫芳からの指摘に、慧英は苦笑した。
「そうだな、俺が萌麗を守る。簡単なことだ」
慧英はそう言いながら寝台に寝っ転がった。そうして彼女を守って、宝珠を集める。慧英のやることに代わりはない。
「……あと、ひとつか」
慧英はそう呟くと、夕食時の萌麗の表情を思い出した。あの、なんとも寂しそうな申し訳なさそうなあの顔。
「……いかんいかん」
慧英は首を振った。自分は任務が終われば天に帰らなければならない。
「それ以外は……余計なことだ」
そう慧英は自分に言い聞かせた。
「おはようございます! 今日も長い距離を移動ですね」
「ああ、おはよう萌麗。眠れたかい」
翌朝、二人はなんでもない顔で挨拶を交わした。お互いの揺れる気持ちを押し隠しながら。
そして四人はその街を後にする。目的地は帝都。大国稀の国で最も栄え、最も美しい街。
「まさか戻ることになるとはね」
「宝珠がすぐに見つかるといいんだが」
できれば商人として潜入して、宝珠を見つけられれば御の字なのだが。慧英はそう考えながら今まで見つけた宝珠を見つめた。だが、そうも行かなそうな気がする。今までも宝珠があるところには事件があった。慧英はまるで如意宝珠に試されているようだと思った。
「そろそろ休憩をとりましょう」
紫芳がそう言って馬車を止めた。小さな村がそこにはある。
「もし、ちょっと軒先を借りたいのですが……」
紫芳が村人と交渉している間に、三人は馬車を降りた。
「ん~~~~」
陽梅がうんと伸びをする。四人は農家の家で接待を受けることになった。
「今日はいい天気ですね」
「そうね。よく晴れているわ」
温かい白湯を貰って胃を温めながら萌麗と陽梅は冬晴れの空を見た。旅路のこんな空を、あと何回見られるだろう。
「そうだ」
「萌麗様、どこにいくのです?」
萌麗はとことこと人気の無い農家の中庭に入った。そこの日の差す一角にすっと手を伸ばす。するとスルスルと一本の木が伸びていく。
「もうすぐきっと花が咲くわ」
「これは……?」
「桃の木よ。縁起もいいし」
萌麗はくすっと笑って振り返った。
「……少し、外の世界に何かを残したくなったの」
「萌麗様」
「私が、後宮に戻ってもこの木は花を咲かせて実をつけてく、でしょ。さ、戻りましょ」
ちょっと恥ずかしそうにして萌麗は表に戻って行った。陽梅は複雑な表情でその背中を見つめていた。




