26話 再び旅路へ
「申し訳ございません」
「紫芳、顔をあげなさい」
「ぼ、僕のせいで下流に大洪水を起こすところでした……」
「うむ、それは無事止めたからいいのだよ」
「でも……」
慧英の予想していた通り、紫芳は部屋で盛大に落ち込んでいた。慧英が部屋に入ってきたのを見るなり、紫芳は床に額をすりつけて謝罪した。
「紫芳、ほら」
「……さんざし飴?」
「皆も心配している。宝珠は残り一つだ。気を取り直してがんばろう、な?」
「……すみません」
慧英は帰り際に買ったサンザシ飴を紫芳に握らせて、落ち着くまで一人にしてやろうと部屋を出た。
「どうでしたの?」
「案の定、落ち込んでいた。まあ、落ち着くまで放って置いてやろう」
「まあ……」
「それより……」
慧英は四つの如意宝珠を卓の上に並べた。
「残り一つ……一体何処にあるのかだ」
如意宝珠は静かにそこに佇んでいる。萌麗は身をかがめてその様子を見守った。
「反応がありませんね」
「夜になるまで待ってみるか。今までは月光に反応していた」
「そうですね」
とにかく三人は今夜もここに泊まることにした。
***
「皆さん、失礼しました」
夕方くらいになって、紫芳はようやく部屋から出てきた。
「まあ……良かった」
萌麗はいまだ俯いたままの紫芳の肩をそっと抱いた。
「大丈夫よ。みんな気にしてませんから」
「だといいんですけど……」
と紫芳はちらりと陽梅を見る。
「なに? いつもの元気はどうしたのよ」
「元気だよ、別に……」
「ならいいわ」
軽口を叩く気力も出てきたようである。
「夕食は地元の名物の鍋ですって。紫芳はカモは好き?」
「え、ええ……好きです」
「良かった」
紫芳の様子を見て、萌麗はにっこりと笑った。それから三人で夕食を終えて、部屋を暗くして宝珠の反応を待つことになった。だが生憎と空は曇り気味である。
「……あっ」
雲が切れた瞬間差し込んだ月光に宝珠がぼうっと輝いた。
「これは……南……いえ、南東の方ですね」
短い時間ではあったが、如意宝珠はしっかりと次の行き先を指し示した。ここから南東へと向かえ、ということらしい。
「南東……? 南東って帝都のあたりでは」
陽梅がちょっと戸惑ったようにそう言った。
「そうなるわね……」
「でも、帝都なら緑の如意宝珠があったのでは」
「そうよね。あったらその時に反応しているはずよね」
これには萌麗も首を傾げた。そこにぼそりと呟いたのは紫芳だ。
「こんな小さな宝珠なのだから、誰かが持って移動した……とかあるんじゃないですか?」
「ああ!」
「なるほど」
萌麗と陽梅は目から鱗が落ちそうになった。宝珠じたいは手のひらにすっぽりと隠れるくらいの大きさである。これならば、紫芳の言う通り、宝珠が移動している可能性も十分にある。
「では、とりあえず一度帝都に戻る感じですかね」
「そうだな。では明日からまた移動だ。皆ゆっくり休むように」
「はい」
慧英は皆が部屋に引き上げるのを確認して、宝珠をふところに仕舞った。
翌朝、一行は宿を出た。出かけに宿の亭主が、水神様が現われたので是非お参りをするといいというのを苦笑いで聞きながら慧英たちは紫芳が馬車の準備をするのを待っていた。
「では行くか」
「あっ、そうだ慧英様」
「ん?」
そろそろ出かけようと慧英が声をかけた時だった。萌麗が急に思い出したような声を出した。
「これをお渡しするのを忘れていました」
「これは?」
それは袋だった。四季の見事な刺繍がしてある。
「ほら、この間雪に閉じ込められたときの刺繍の布をせっかくだから袋にしたのです。宝珠をしまうのにお使いください」
「ああ……ありがとう」
慧英は萌麗の心遣いに感謝しながらそこに宝珠をしまった。
「見事な刺繍だな」
「あ、ありがとうございます」
萌麗の耳がさっと赤く染まる。
「でも、陽梅の方がもっと上手です」
「陽梅は何か作ったのか?」
「……一応……」
陽梅はつかつかと紫芳の元に近づいた。そしてその手に何かを握らせた。
「襟巻きよ。御者台は北風が……あたるから……」
「あ……ありがとう……」
「あら……」
それをみた萌麗は小さな声を漏らし、慧英を見た。慧英はその様子を見て薄く微笑んでいる。
「では向かおう! 帝都へ!」
「は、はい!」
ぼーっとして襟巻きを見つめていた紫芳は慌ててそれを首に巻くと、御者台へと乗り込んだ。
***
「何……? 北の黒慶を出ただと?」
「そのようです」
「萌麗はあそこで死ぬのでは無かったのか」
「あくまで可能性が高いと申しただけです」
ここは皇太后の居室である。香をたきしめた薄暗い部屋で、東方朔の報告を受けた皇太后は不機嫌そうに眉を寄せた。
「今は南の方角に進んでいるようです。あの街道を真っ直ぐに向かってくるとなると……帝都でしょうか」
「なんだと?」
「もう宝珠を集め終わったのですかね……」
東方朔の言葉に、皇太后は香炉をガチャンと払い落とした。
「ああ……いい品でしたのに」
「そんな事はどうでもいい。なぜあの娘が生きている!?」
「……皇太后様、いいではありませんか。なんの力もない娘です。わざわざ天帝様の使者を刺激するようなことをしなくても……」
「……そうだった」
皇太后は肩で大きく息をしながら、ぶつぶつと何か呟いている。
「そんなにあの娘が気になりますか」
「いや、妾はそんな……」
「命じてください。私はあなたの願いを叶える為にいるのです……」
「……朔」
皇太后が東方朔を見上げると、彼はゆったりと口の端に笑みを貼り付けていた。




