20話 幻影
「慧英様……ひどいです……」
「あれが一番手っ取り早かったんだ」
正気に戻った紫芳は盛大に拗ねている。
「それよりも、ここの女将を締め上げなくては」
慧英はそんな紫芳を無視して部屋を出た。三人も慌ててその後を追う。しかし、宿の二階の居室らしきところに白児の姿は無かった。
「手分けをして探そう」
「はい」
萌麗たちは、宿の空き室も開けて彼女の姿を探したのだが、見つからない。
「あっ、このお茶……!」
すると厨房を探していた陽梅が声を上げた。その手には茶壺がある。慧英は陽梅からその茶壺を受け取った。
「これを飲まされたということか……」
「大きさは違いますが渡されたお茶と同じ封がしてありますね」
「本当だ」
陽梅の指摘に慧英はその封を見た。
「この模様……」
「あ、お猿さんのくれたこのお守りと一緒の目玉模様」
萌麗は帯に仕舞っていたお守りを取りだした。
「なるほど、この宿と猿の見世物と……あの祈祷師……全部ぐるという訳か、萌麗」
「ですね。でもどうして幻術なんて見せたのでしょう」
「うむ……」
慧英が考えこんだ時だった。慧英の胸元に仕舞っていた『熒惑』が輝き出した。
「如意宝珠が……」
「あちらの方向を指している、行ってみよう」
『熒惑』の放つ光は厨房の排気の窓からの月明かりを受けて、外を示していた。四人は宿の外に出る。
「……街外れの方だ」
「あのお堂ではないのですか」
「ああ……とりあえず行ってみよう。紫芳、陽梅……お前達は待機だ」
「ええっ、なんでですか」
「私もお供させてください」
紫芳と陽梅は口々にそう言ったが、慧英は首を振った。
「相手は幻術を使う。二人とも見事にかかってしまったからな」
「うう……情けない」
そう言われてしまっては紫芳も陽梅もこれ以上なにも言えなかった。紫芳と陽梅を残し、二人は如意宝珠の示す方向へと進んでいった。
「こんなところになにが……」
二人のたどり着いたところは街外れの畑を抜けた、山の中だった。
「しっ……あそこを見ろ」
手元の宝珠を見ていた慧英が、山の斜面を指差した。そこにはひっそりとした洞穴がある。
「行ってみよう」
萌麗と慧英はそっとその洞穴に近づいてみた。
「……中に入るしかなさそうですね」
「ああ」
二人が洞穴に入ってみると、狭い入り口の割に中は思った以上に広かった。
「……あ、人が……」
萌麗が指差した先には数人の男女がいた。何か喋っているようだが、これ以上近づくと気付かれてしまいそうだ。
「……宗主?」
「慧英様、彼らの声が聞こえるのですか」
「ああ、萌麗も仙力を耳に集中させてみてごらん」
「あ、はい」
萌麗は慧英に言われた通りに、自分の耳に力をこめた。すると、ぽつりぽつりと彼らの声が聞こえてきた。
「……白児よ、今日の分はずいぶんと少ないではないか」
「宗主様申し訳ございません……標的の半数が術にかからなくて……」
「む……そなた、私を愚弄する気か?」
「いえ! いえそんなことはございません」
白児は宗主と呼びかけた男に向かって、地面に頭をこすりつけるように平頭した。
「いいか、我々は人々に夢を見せてやっている。人は夢があれば生き生きとして暮らして行けるのだ」
「素晴らしいお考えです。宗主様」
「その為にはお前たちの協力が必要なのだ、わかるな」
「はっ」
「それでは今日の『夢』をお食べ」
そういって宗主という男は鍋の中のものを椀に掬って人々に与えた。彼らは我先にとそれに群がり、椀をすする。宗主は被っていた頭巾をとってその姿を満足そうに見ていた。
「慧英様……」
「ああ、李烓だ」
やはり、と慧英と萌麗は顔を見合わせた。この宗主という男は李烓だった。人を使って街の人々に夢を見せているらしい。だが、一体どうしてだというのか。
「では、頼んだぞ」
「はい……」
群がっていた人はうっとりとしながら洞窟を出て行く。萌麗と慧英は窪みに身を潜めてそれをやり過ごした。
「……まだ、足りない」
「なにがだ?」
唐突に後ろから聞こえて来た声に李烓は振り返った。
「誰だ!」
その声に岩陰から慧英と萌麗は姿を現した。
「お前達……幻覚にかからなかったのか……そうか……」
「私は神仙だ。あのような他愛のない幻覚にはかからない。お前、何を企んでいるのだ」
「人の夢の欠片を集めて仙薬を作っているだけだ。邪魔しないでくれないか」
李烓はのらりくらりとそう答えた。すると慧英の胸元の宝珠が輝き始めて洞穴の中を照らした。
「きゃあ!」
萌麗の悲鳴が響きわたる。明るくなった洞穴の壁にはぎっしりと白骨が並んでいたのだ。中にはまだ肉のついた生々しい死体もあった。
「ひ、ひとが……死んで……」
「ああ、それはちょっと夢を絞り出し過ぎた出がらしですよ。ははは、欲張りすぎるとこうなるんです」
そう微笑みながら説明する李烓の姿にやはり萌麗は東方朔を重ねてしまう。
「……ま、これを見られたからにはただで返す訳にはいきませんけどね」
「はっ、ただの祈祷師に何が出来る!」
慧英はそう言って哄笑し、すらりと剣を抜く。
「無念のこの街の住民に詫びて、地獄に落ちるがいい」
「……この姿でもその剣を振るえるかな」
李烓の姿が霧に包まれた。その霧が大きく膨らみ立派なヒゲを蓄えた老翁の姿が現われた。
「……天帝様」
「それ、この霧を吸い込め。今日の事を忘れるといい」
「たわけ……!」
慧英は一なぎで天帝の姿を模した霧を散らした。
「うう……慧英様……」
「萌麗!?」
その霧の引いたあと、そこにいたのは萌麗だった。左腕から血を流し、傷口を押さえて震えている。
「大丈夫か……」
慧英は動揺した。李烓を切ったつもりが萌麗を切ってしまったのか。人間の祈祷師の幻影に惑わされてしまったというのか。
その時である。
地面をビキビキと割って、太く、鋭い棘の茨が出現した。生き物のように蠢く茨が洞窟を埋め尽くしていく。
「慧英様、しっかり!」
その出所は萌麗であった。萌麗の茨は李烓に向かい、その周囲を囲んでいく。
「邪を祓う茨。まやかしを打ち払いなさい……慧英様、今です」
「ああ!」
慧英は剣を握り治した。
「よくも幻とは言え、萌麗を傷つけたな!」
「グッ……」
慧英の剣は深々と李烓の臓腑を貫いた。
「ああ……もう少しで仙薬が出来上がるところだったのに……」
「お前の目的はそれか……」
慧英は『熒惑』を取り出すと李烓の眼前にかざす。輝く赤い光が彼を包み混んだ。
「ああっ……!」
李烓の姿がボロボロと炭の様に黒ずんで、黒い霧になって消えて行く。慧英と萌麗はその姿がすっかり消えてなくなるまで見つめていた。
「……ありがとう萌麗、俺としたことが術中に嵌まりそうになってしまった」
「いいえ。慧英様をお助けできて嬉しいです」
萌麗は目を細めて微笑んだ後、後ろのおそらくは街の人々の骨を振り返った。
「夢を見ただけなのに……」
「夢は人の思いだ。李烓はその力を利用して仙人になる薬を作ろうとしていたのだな」
「気の毒に」
萌麗はせめて、安らかにと思いを載せてふっと息を吐いた。その遺体の周りには、可憐な雛菊が咲いた。




