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「……お父様。こちらのお二人、屋敷に入っていただくということでよろしいのでしょうか」
「あ、ああ。もちろんそうだよ」
痺れを切らして問えば、慌てて頷く。
「そうですか。……では、改めまして。私はエルスパス侯爵家のブリジッタと申します。お二方とも、色々大変かと思いますが頑張ってくださいませ」
よろしく、とは言いたくなかったし言う必要もない。彼女等はあくまで父・ライアンの内縁の家族、侯爵家とは無関係な存在だ。伯父と話がついているなら公式にそういう話のはずだし、この二人がエルスパスの名を名乗ることも許されない。
ただ、当人達はどれだけそのことを理解しているのか。
「まあ、そんなこと言わないで。私、貴女のお母様になりたいのよ」
そんなことを言い出す女性に、家令は冷ややかな憤りのこもった視線を投げる。
殺気に似たものさえ感じとってブリジッタは溜め息を吐いた。
「それには及びません。どうぞ私のことは気になさらず」
どうやら全く状況を理解していないらしいと察して、ブリジッタは期待するのは止めておくことにした。彼女もだが、それをにこにこ見守っている父も、見切りをつけねばなるまい。
「何でよ、お姉さん。仲良くしましょ?」
不意に娘の方が、ブリジッタの腕を掴んだ。細い指は意外に強く、家令がブリジッタを、控えていた侍従がその少女を引き剥がしたはずみで引っ掻かれる。
「いたっ!」
「いたぁい!乱暴にしないで!」
思わずこぼしたブリジッタの声を掻き消すように、甲高い悲鳴をあげる。
「まあデイジー、大丈夫?」
母親は甘ったるい声を出しながら娘を抱き締めるが、どこが痛いのかはっきりしない彼女に対してブリジッタの腕には血が滲む引っ掻き傷ができている。
きいきい喚く少女に母親は侍従を睨むが、それを父親が宥めている。それだけなら、幼い子どもを抱えたどこにでもある家族の姿だろう。
だが、とても侯爵家の者としては扱えない。社交界で何かやらかした際、名前を出されてはかなわない。
以降、エルスパス侯爵家の態勢はかなり変わった。
元々、侯爵のライアンは仮の立場と見られていたし、彼に侯爵家に関する決定権はない。それは周知の事実だ。
だが、内縁の妻と娘を迎えて以降は屋敷の別棟に隔離された。妻子も一緒で、生活費も最低限に抑えられる。
とは言え彼自身、王宮で官吏として長年働いており、それなりの高給取りだ。妻子に十分な暮らしをさせることなど容易い。ただ妻の方は、その状況に納得していなかったようだ。エルスパス侯爵家、として社交界に出たいと駄々をこねたらしい。それにライアンも、せめてお披露目くらいはできないものかと家令に相談する辺り、やはりわかっていなかったようだ。
「侯爵家としてのご紹介はできかねます。ですが旦那様個人として、お客様をお呼びになられる分にはいっこうに構いません」
ならば、と彼等は割り当てられた棟を飾り立てて招待状を送ったらしいが。応じたのは、ライアンの部下で貴族籍のない者、あってもまだごく若く事情もわからない者ばかりだったとか。
「そんなことさえわからない方だったかしら?」
公爵夫人は小首を傾げる。
「……あの方は、社交もなさってらっしゃらないので……その辺りの判断は不得手かもしれません」
伯母の疑問にブリジッタは溜め息混じりで応じる。
ちなみにパーサプル公爵家にも招待状は送ったそうだが、この伯母にたっぷり嫌みを言われ、伯父からはふざけるのも大概にしろと厳しく叱責された。
はっきり言って社交が不得手、とかそういう次元の話ではない。先妻の実家に後妻のお披露目など、まともな人間はしないだろう。増して明らかに先妻の存命中にもうけた子どもまでいる。
ライアンはイザベラも納得していたと抗弁したらしいが、それは公爵の怒りに油を注ぐことにしかならなかった。
両親がどういう経緯で結婚したのか、ブリジッタはよく知らない。父は伯爵家の三男で、官吏としては優秀だったが、公爵令嬢を娶るには些か立場が弱いと言わざるを得ない。実際婚約をまとめたのも母イザベラだったという。