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事態が動き始めたのは、その伯父が外交のため国外に出るようになった頃。
伯母も共に出向くことが増え、公爵家はまだ若い従兄が切り回すようになると、エルスパス侯爵家にまで気遣う余地は減る。それを待ちかねていたように、父が申し出てきた。
「ブリジッタ。おまえも大変だと思う、内向きのことだけでも任せられるよう、人を入れたいのだが」
仕事を再開し、決まりきった流れをこなすことで父も母の死から回復してきた、と思っていたのだが。
珍しく食事を共にした席で言い出すのに、何事かとその顔を見る。その視線にカトラリーを置いた父は真面目な顔で続けた。
「再婚を考えている。おまえさえ良ければ、相手を招きたいのだが」
「……伯父様にはご相談なさいました?」
このエルスパス侯爵家はパーサプル公爵家の分家だ。しかも父は婿養子、正式な再婚など伯父達が許すとは思えない。
「……いや、話はこれからだが。その前に先におまえにだけは話しておかなくては。家族になるのだからね」
父は決して悪い人間ではない。真面目で仕事熱心な、優しい男だ。だが些か考えの浅いところがあり、母との結婚が意味するところも理解できていない。
現に今、給仕を務めていた使用人が慌ただしく食堂を出ていったのにも気づく様子がない。おそらく彼は、家令に報告に走ったのだろう。
家令はパーサプル公爵家から来ている人間なので、早急に伯父に報告してくれるだろう。
正直な話、ブリジッタ自身驚きはしたし疑問も抱いたが、父を責める気にはなれなかった。
死んだ母のイザベラは可憐な美貌とは裏腹に、一筋縄ではいかない気の強さと冷徹といってもいい判断力を備えていた。もし男性だったら、ひとかどの政治家になったのではないかと思う。真面目ではあるが性格の強くない父には、愛情があっても難しい相手だったかもしれない。
伯父がどう判断したかはともかく、しばらくして父はその女性を屋敷に連れてきた。再度ブリジッタを(加えて家内の使用人も)驚かせたのは、彼女が娘を連れていたことだ。ブリジッタより一つ二つ年下という女の子は、髪色こそ母親そっくりの金髪だったが、目の色は父に良く似ていた。
「彼女は私の妻として、この屋敷で暮らしてもらう」
珍しく笑みを浮かべて言った父に、家令が真顔で問い質す。
「それでは、旦那様の奥方であって侯爵夫人としてではない、ということでよろしゅうございますね?」
その意味するところは、正式な婚姻ではなく所謂内縁の妻ということだ。おそらく伯父の意向だろうが、この国の常識に即してもいる。
父が彼女を正式な妻として再婚するのなら、エルスパス侯爵家との縁を切る必要がある。彼はあくまで、イザベラの夫として侯爵家に留まっているのだから。
「ああ、うん。……そういうことになるのかな」
しかし肝心な父自身、その辺りがどうも曖昧なようだ。不要領な顔で首を捻っている。
そして彼が連れてきた、後妻の女性はと言えば。
おそらく貴族ではないのだろう、もしそうだとしてもかなり身分は低いと思われる。身に着けている装飾品が、見た目はそこそこだが安物で到底貴族女性が持つものではない。着ているドレスも、華やかな色彩ではあるが生地は薄っぺらく色味も派手なばかりで、まるで安手の舞台衣装だ。
当人は侯爵より幾つか若いくらいか、なかなか美人ではあるが言ってみればその程度。
むしろ連れている少女の方が容姿は美しかった。金髪に明るい色彩の瞳、つぶらなその瞳をにっこり細めて笑う。
「こんにちは!私、デイジーよ!」
声音も明るく可愛らしい、のだが。使用人は無言でそれを見返すだけで、ブリジッタもどう反応していいかわからない。
そもそも貴族令嬢なら、こんなに大きな声は出さないのが普通だ。稀に癇癪を起こして泣き喚いている子どももいるが、そうでもなければ大声を聞くこともない。
ブリジッタは領地運営に当たって大人達とのやり取りで大声を聞かされることもあるが、彼女を威圧しようとするような人間は大概何かしら後ろ暗いところがある、のも学習済み。
であれば、この自分と対して歳の変わらない少女も、大声で何かを誤魔化しているのか或いは単に感情を抑制できないのか。そのどちらかなのだろう。 ちら、と横目で見れば父にひどく嬉しそうににこやかで、だが口を出す気はないようだ。