4
「相変わらず辛気くさい女だな!」
顔を合わせた途端大声で言われたブリジッタは何事かと首を傾げた。
相手は彼女の婚約者である第二王子・シモン。金髪碧眼の絵に描いたような『王子様』だが、彼女に向ける表情は如何にも不遜だ。
この王子はブリジッタの婚約者だが、二人はそれほど親しくない。母親の王妃はよくブリジッタを茶会に招いてくれるし、姉妹達も親しいという程ではなくとも顔見知りではある。だがその席に彼が出てくることは少ない。
シモン王子も素行が悪い訳ではない。むしろ学業は優秀な部類だろう。ただし幼い頃に決められた婚約が不本意であるらしく、何かとブリジッタに突っかかる。
容姿は美しいが、他に長所はあまり聞かない。学業は前述通り、剣はさして使わず他の特技もないようだ。
兄の第一王子は既に父に従って公務に就いているが、ブリジッタと同い年のシモンはそちらもない。将来的にエルスパス侯爵家に婿入りする予定なのだから、国政に関わってもしょうがない、ということらしいが、本人はそれも不満のよう。
なので、今日はブリジッタも伯父の依頼で彼を訪ねたのである。
「伯父上……パーサプル公爵から、殿下にこちらの報告書をお渡しするよう、言付かってきたのですが」
それでも応接セットに向かい合って落ち着き、茶も出されて一息吐いたところでブリジッタが切り出すと、シモンは不機嫌そうに吐き捨てた。
「ふん。公爵も、頭が堅い」
報告書は、ブリジッタが受け取ったエルスパス侯爵領のものだ。食糧の自給率はそこまで高くなく、他の産業もめぼしいものがなく。色々手を打ってはいても、まだ結果が出ていない、という状態を示している。
「何か、ご質問等ありましたらどうぞ。私でわかる限りはお答えいたします」
ぺらぺらと斜め読みで頁を繰るシモンに声をかけると、馬鹿にしたように鼻を鳴らされた。
「おまえに聞かずとも、ぼくだって領地の運営くらいできる。女だてらに調子に乗るなよ」
「……」
正直なところ、ブリジッタはこれが伯父から王子への試験であることを承知しているが。そうであっても、或いはそれだからこそ。彼の性格に難があると思わずにいられない。
エルスパス領について、一番詳しいのは少なくとも現時点ならブリジッタ自身だという自負がある。その領地についての疑問点や地形・気候等、聞かれれば答えるつもりだったしそのために重い資料を抱えてきた。(侍女と侍従も手伝ってくれたが)
しかしその彼女の知識を不要だというシモンは、一体何に基づいて公爵の宿題に答えるつもりなのか。
「では殿下、ご解答いただけますかな」
そして十日ばかり経った日、再度シモン王子を訪ねたブリジッタは伯父の試験に立ち会っていた。
伯父のパーサプル公爵は、見た目穏やかな男性だ。若い頃は騎士として国を守るために剣を取ったとも聞き、今も鍛練を欠かさぬ人物でもある。さほど筋肉質にも見えないが、腕も立ちしかしそれ以上に頭の良い切れ者として知られている。そしてパーサプル公爵領は、王都に程近く彼の手腕もあってよく栄えている。
エルスパス領は、その公爵領に隣接している。元はこちらも公爵領の一部だったのだ。面積はそれなりにあるが、主要な街道沿い以外は寂れがちの、地味な土地だった。
「うむ。ぼくの答えはこれだ」
シモンは公爵の前にぱさりと紙束を置いた。麗々しく厚手の羊皮紙に箔押しした表紙、綴じ紐も絹か何か艶やかな品を使ったずいぶん高級感の漂う代物だが、中身は意外に薄い。
「では、拝見させていただきましょう」
穏やかな笑みのままそれを開いて中身を確認するその間、公爵の表情は僅かにも動かない。正直なところちょっと怖い。
今まで、ブリジッタ自身も公爵から領地の運営について相談したり指導を受けたりしたことはある。何しろ彼女が領地運営に関わるようになったのは彼女がまだ十に満たぬ年頃。父のライアンは当時から宛にならず、そうでなくとも母の遺したエルスパス領はパーサプル領の影響が濃い。
伯父も多忙なので直接指導は少なかったものの、伯母や家令・領地の代官を通して彼女の技量を計っていたのだろう。それが合格点に達しているかどうかは自分ではわからないが、シモンの方は何やら直接指導してやってほしいと、王家から依頼されたそうだ。
将来的に彼もエルスパス侯爵家に入るのなら、今のうちに勉強を始めても良いのではないか、と。