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賑わいと忙しさを増しながら穏やかな日々を過ごしていたデザスタ領に、王都から緊急の使者が来たのはそんな頃だった。使者を迎えたカレルに呼び出されたブリジッタは、何事かとその執務室を訪ねる。
「お呼びと伺いました、カレル閣下」
「ああ、ブリジッタ。まず掛けてくれ」
向かい合ったソファへ腰を下ろすと、補佐官がお茶を淹れてくれる。
自分も出された茶をすすってカレルは一つ深い溜め息を吐いた。
「王都から使者が来たのは知っていようが……」
「はい。……また何かございましたか?」
「一度、王都へ戻った方が良さそうだ。無論、私も付き添う。あなたの身の回りの者も、同行する者を選んでおいてくれるか」
「……わかりました」
かつてのパーサプル公爵令嬢、またはエルスパス女侯爵ことイザベラ・エルスパス。彼女の急死は、当然ながら当時の一大スキャンダルだった。
その日、イザベラは懇意の伯爵夫人の茶会に招かれ参加した。その席には他にも幾人かの夫人や令嬢が招かれていた。
帰宅後、「少し休む」と自室で横になったイザベラはそれきり目覚めず、息絶えた。吐いた跡があったが、声を出して人を呼ぶことも出来ず死んだらしい。
被害者はイザベラだけではなかった。茶会の主催者だった伯爵夫人は夜分に吐いて倒れ、生死の境をさまよった。亡くなったのはイザベラだけだったが、他の参加者もひどく吐いたり熱を出して寝込んだりと、かなりの症状を示した。
犯人は、伯爵家に雇われたばかりだった菓子担当の職人だったと思われる。夫人が吐く頃には既に姿を眩ましていたが、比較的若い女だった。容姿ははっきり覚えている者はなく、他の料理人によれば髪は布で覆い口元から鼻までも同様にして、滅多に口も利かなかったそうだ。つんけんして愛想は悪いし妙に偉そうな物言いで遠巻きにされていたらしい。
「自分が得意な品だ、といって出してきた梨のケーキが……香辛料が効いて珍しい味わいでしたの。それで、イザベラ様には多めにお勧めしましたわ。私もいただきましたし……」
衰弱からある程度回復した伯爵夫人はそう供述した。
件の菓子職人は、某子爵家からの紹介状を持っていた、だが当の子爵家には心当たりがないという。
伯爵家の厨房を調べたところ、香辛料の瓶に紛れて毒薬の瓶が見つかった。匂いも味もあるが、香辛料に紛れてわからなかったものと思われる。
そのせいで、この国の社交界では「香辛料の効いた梨のケーキ」は縁起の悪いものになった。
梨は、この国でも周辺諸国でもさほど栽培が盛んではない。野生のものをそのまま生食するかシロップ煮にするくらいだ。ケーキにすることもないではないのだが、あまり香辛料の効いたものは忌避されるようになった。
その辺りの事情は、貴族なら承知していても一般庶民には広まっていない。なので彼らの領分には「梨のケーキ」はあるが、こちらは滅多に高価な香辛料は使わない。
が、最近になってとある貴族の茶会で「香辛料の効いた梨のケーキ」を出された、という噂が出てきた。こつこつと事件の謎を追っていた者が、噂の出処を探してみると、事実であることがわかった。独特の香辛料を効かせた、香りの高い生地にこちらも香りを活かしたシロップ煮にした梨を入れたケーキ。それが、とある家の茶会で麗々しく出されたという。しかも奥方秘伝のレシピという触れ込みで。
実物は手に入らなかったものの、何人かの証言をまとめて未だ療養中の伯爵夫人に話を聞くと、間違いなく例のケーキだという。少なくとも話を聞く限りでは、特徴が完全に一致している、と。
言わば状況証拠でしかないが、この報告が公式に取り上げられたのは、今になって問題のケーキを提供した茶会の主催者が、エルスパス侯爵代行の内縁の妻、ダリアだったからだ。イザベラを害する最大の動機を持つ者。




